『月刊美術』1996年11月号掲載

電信柱

籔内佐斗司(彫刻家)

  海外旅行から帰ってきて、一番最初に感じることは、わが国の街並みの貧しさではないでしょうか。貧しさといっても、途上国のような経済発展の遅れからくる社会基盤の整備の遅れではなくて、美しい街並みを作ろうとする美学と知性の欠如からくる精神的な貧困のことです。


籔内佐斗司工房前/世田谷区経堂

その象徴的なものに、電信柱と電線があると私は思います。だれがどんな権利のもとに、われわれの視界と空間をこんな不粋なもので切り裂いているのかといつも腹立たしい思いがいたします。  日頃親しくしている人に電信柱のことを話題にしても、「電線の地中化を成し遂げた国は、国力が衰退期に入ったことを意味するそうですよ。」などとしたり顔にいわれると、がっかりしてしまいます。街の景観について市民が成熟したおとなの感性を持つことと、経済成長の程度はなんの関係もないことです。たしかに電線の地下埋設には莫大な費用がかかることは想像がつきます。そして電線の埋設路線より新しくつくられる道のほうが多く、またこれから光ファイバーの架設がすすむことを考えると、われわれの街並みからすっきりと電柱が消え、広い空が帰ってくることは期待薄かもしれません。
  わたしの子供のころの電信柱は木でできていました。道は舗装さてれていませんでしたし、家の多くは木造住宅でしたから、電信柱も電線もひっそりと街の景観に溶け込んでいたように思います。地面に近い部分は腐食防止のコールタールが塗られていて、なかなか粋なデザインをしていました。また電柱のなかほどには平たい笠の電灯がついていて、夕方になると町内会の当番のひとがスイッチを点けて回っていました。
 電柱の貼り紙はむかしからちょっといかがわしくあやしい雰囲気がありませんでしたか。
わたしが鮮明に覚えている貼り紙は、「堺ミュージック」という劇場のちらしです。出演者のアンジェラ某とナンシー某という名前を記憶しています。もちろん見に行ったわけではありませんよ。小学生のころですから、当時は。七十年安保のころ、電柱の貼り紙は新左翼のアジビラでいっぱいでした。謄写版で印刷された細かい文字のアジテーションの内容はちっとも理解できませんでしたが、特徴のある全共闘文字はよく真似をしたものです。中共(いまやすっかり死語になってしまいましたが)の簡略文字も電柱のアジビラで随分おぼえました。
試験の答案にその文字を使って、×をもらったこともありました。「赤尾の豆単」の兄上が主宰していた政治結社のものは、古典的なわかりやすいデザインで筋の通った持論が堂々と展開されていて、「世の中をこういうふうに見ることもできるのか。」と足をとめて読みいったものでした。
いつのころからか、木の電柱は鉄筋コンクリートにとりかえられるようになりました。きっと家電製品と電話の普及が電線と変圧器などの重量を増やし、また自動車の増加から電柱への接触事故が増えたために、木の電柱は強靱な鉄筋コンクリートの背の高いものに替わっていったのでしょう。われわれはこの時点で、都市部における電線の地下埋設を強力に押し進める先見性のある政治家を持つべきだったと思います。

 一本ごとの電信柱は、それなりに美しいものです。頭に金属の帽子をかぶりいくつも変圧器をきりりとしめて、工事会社の誠実な職人ワザを見る思いがいたします。そして今もかわらず、迷いネコやサラ金・不動産関係などの掲示場として機能しています。
 いまの電信柱はビラよけの工夫がいろいろされていて、ぶつぶつのついたプラスチックの腹巻きをしています。そのためかシルク印刷をした布を木枠に貼ったものや厚紙に針金を通した「ステ看」といわれる取り付け式が中心になっています。  あやしげな広告媒体は、すでに電柱から分岐した公衆電話ボックスに移っています。
 可愛い女の子の写真と電話番号が印刷された色とりどりの小さなシールが壁一面に貼りめぐらされた電話ボックスは、自称アーティストの「ゲージツ作品」よりはよほどパワフルで美しい。もっとも最近の携帯電話の急速な普及によって、不法芸術の発表の場としての電話ボックスの利用は早晩すたれていくことでしょう。こうしてみると、電信柱やその端末は、最先端の通信手段であるとともに、常にもっとも素朴な情報媒体でもあったようです。そういえばわが家の駄犬も電信柱の根元を仲間との情報交換の場に利用しているふしがあります。


らぶ

 電線が蜘蛛の糸のように張り巡らされた街に暮らし、そうした街並みを放置してきた政治家や自治体しか持てなかったわれわれの民度は、残念ながら今の文化程度を表しています。
 そして、「美」と「知」に携わる者の責任はきわめて重大です。この国に「アーティスト」や「文化人・教養人」を自負する人がいるのなら、わが国の電線事情の責任の一旦を担うべきです。電信柱にぶらさがっている「街の美化のため、貼紙禁止」となぐり書きされたステ看は、ものすごいブラックユーモアに思えてなりません。


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