『月刊美術』1997年3月号掲載

天狗

籔内佐斗司(彫刻家)

前回は日本のフォークロアの重要人物である鬼について考察しました。
今回はおおきな鼻に赤ら顔、山伏姿のいでたちで烏天狗を従えた山奥の超人・天狗さまです。

 「天狗」もことばは中国が本家で、前回の「鬼」と同様に日本とはずいぶん趣が違います。
むかし中国では、流れ星を天からのお使いとみなしていました。そして地上に大音響とともに落下した隕石の周辺には犬のような霊獣が現われると信じられていました。そこで大きな音をともなった流れ星を「天からやってきた犬」という意味の「天狗」と呼ぶようになったということです。
 ものの本によりますと、欽明天皇9年に、おおきな流れ星があり大音響を轟かせたとあります。
ときの物知りが「これはただの流星ではなく、中国でいうところの天狗である」と言上し、それを「アマツキツネ」と翻訳したことから天狗がキツネに類するものと理解された時期もあったようです。わが国では、キツネを神の使いとみなす考えが古くからあったことがわかります。
 大きな隕石の落下は山火事や粉塵、臭気あるいは放射性物質の飛散などさまざまな異常事態をともないます。むかしのひとがこれを天からの不吉の知らせであると考えたのは自然なことでしょう。
 こうした自然現象が、怪しげな生物の出現や天の凶兆へと結び付けられていく際に、山の民とりわけ易占や祈祷を生業とする修験者と関わっていくところから日本独自の「天狗」のイメージが醸成されていったのではないかと私は考えています。


大天狗


治道翁/平成伎楽団

 奈良時代には、日本の歌舞芸能のルーツのひとつである「伎楽」というものがありました。
 これは中国に起源をもつ仮面舞踊の一種で「呉楽(くれがく)」ともいい、胡人(ペルシャ人)や南方の黒人やいろんな動物などに扮して滑稽な処作を見せながら仮装行列のように練り歩いたと想像されます。ただ中国本土では伎楽に関する遺品や記録は発見されておらず謎の芸能でもあります。日本には7世紀に百済のひとがもたらし雅楽寮でそのほかの雑楽とともに広められ、天平時代を中心に大寺院の祭礼などに盛んに演じられました。
 数年前の東大寺大修理の落慶法要の際に再現されたのをご記憶の方もいらっしゃるでしょう。
 伎楽面は正倉院や法隆寺伝来のものがとても有名です。そのなかの「治道(ちどう)」という行列の先導役や「酔胡従(すいこじゅう)」と呼ばれる酔っ払った胡人を演じる仮面は、とても長い鼻をしています。山伏がこの仮面をかぶった姿を想像すると、私たちが抱く天狗のイメージそのものです。

 さてここから先は天狗から連想した私の勝手な仮説です。眉に唾してお読みください。
伎楽そのものは平安時代になって密教が隆盛になると急速に衰えていきますが、その仮面の一部がいずれの時代かに寺院から流出し、修験者や山の民が祭礼にそれをかぶって里人の前に現われたのではないかと私は考えています。保存状態がたいへんによい法隆寺や正倉院のものですら、眼のあなが乱暴に大きく削り取られたものがたくさんあります。これは、仮面が伎楽本来に用いられたのではなく、粗野な取扱いを受けた時期があることを物語っています。

 伎楽面には迦楼羅(かるら、火食い鳥のことでガルーダと同じ)の面があります。鶏のお化けのようなお面で、山伏がこのお面をかぶったら、天狗の手下である烏天狗のイメージそのままです。
また奈良時代の葛城山の仙人・役小角(えんのおづぬ)は修験道の祖と呼ばれていますが、彼は前鬼・後鬼というふたりの鬼を従えています。山伏たちが、仮面をかぶって自分たちの始祖の仮装や寸劇を演じている様子が私の眼に浮かびます。
 また「崑崙」という南方の黒人を表わした仮面があります。女性にいたずらを仕掛けては力士に懲らしめられるという役回りであったようです。ぎょろ目で牙をむき、もしこれに角を付ければそのまま鬼のお面になりそうです。私は古い仏像の修理をしていた経験からも、そのような作り変えがあった可能性は大きいと考えています。
 また、作り変えられた仮面をもとにして新作の仮面が作られ、それが新しい仮面の様式を形成していく可能性も、私の仕事場での作業を考えれば何の不自然もありません。


迦楼羅/平成伎楽団

 日本にはとても豊かな仮面の芸能や習俗が伝えられています。宮中の舞楽、武家の能楽、神社の神楽、寺院の行道会や追儺会、狂言、里神楽、獅子舞、鬼太鼓、なまはげなど思いつくだけでもこんなにあります。それらに用いられる仮面の造形上の主な源泉を私は伎楽面にもとめました。
 古代の中国人が表現した異人劇を起源とし、百済を通して飛鳥時代にもたらされた伎楽が、かたちを変えて山伏やその周辺の山の民によって演じられた寸劇となり、ひとびとに天狗や鬼の具体的イメージを定着させ、また日本のさまざまな芸能や民間の祭礼行事のひとつの母胎となっていった、そんなふうに考えると歴史の裏側でしぶとく生き延びた「妖怪」の本質をみるような気がします。
 もっともこれは私の勝手な「やぶにらみ史観」にもとづく仮説ですので他言は無用に願います。
 うっかりひとに話すと天狗に笑われますから。
 


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