『月刊美術』1998年12月号掲載

言霊

籔内佐斗司(彫刻家)

 古代の日本人は、ことばに「言霊(ことだま)」という霊力があると考えていました。言霊の「こと」と出来事の「こと」は、平安時代の初めまでほとんど同じ意味で用いられ、口から出た霊力がさまざまな出来事を引き起こすとされていたようです。祝福のことばによって幸福が生まれ、呪いのことばによって災いが生じると考えたのです。
音声五童子(1990年)
 たしかに何かよくないことがあっても、「なんでこんな目に会うんやろう。」と嘆くのと、「この程度で済んでよかった。」とつぶやくのでは、その後の気分のありようは全然違います。人を評するにしても、「あいつは性格はええけど顔が悪い。」というのと「顔は悪いけど性格がええ。」というのでは、言っている事実は同じでも、「あいつ」に対する感じは大きく変わります。いや、発言主の人間性に対する評価にも大きく影響し、「あいつ」と発言者の人間関係も全然違ったものになるでしょう。言霊のなせる業(わざ)として、お互いにご自戒のうえにもご自戒を。

古事到来 ささやき小町
 古事記は口伝えの物語を万葉仮名で筆記したことはよく知られています。しかしこれを声に出して読んでも、たいへん発音しにくいし耳触りもよくありません。それは古代の日本語にはたくさんの子音があって、今の発音とはずいぶん違うからだそうです。日本語の主要なルーツである韓国語は、現代でもじつにたくさんの母音と子音を持っています。韓国の友人は、風の音、鳥の鳴き声、川の音をすべて真似ることができると胸を張って言います。たしかに日本語の擬音は他の言語に比べてきわめて単調だと感じます。

 ある英国人にウィットに富んだ面白い指摘をされたことがあります。  日本語では、「は-ば-ぱ」や「た-だ」などと関連づけて表記するけれど、発声的に矛盾がある。【ba】行は「ま」行の濁音として、「ま”み”む”め”も”」と表記し【ba bi bu be bo】と発音すべきだ。また「は」の発音からは「ぱ」には繋がらない。きっとむかしは【ph】の発音があったはずだ。【da】行は「な」行の濁音とする方が自然である。「な”に”ぬ”ね”の”」と書いて【da di du de do】とすれば、日本人が苦手な【th】の発音に近くなると。
 これらのことが言語学的にどれだけ正鵠を得ているかは知りませんが、目から鱗が落ちる思いで小学校で習った五十音表の居心地の悪さもきれいに解消してしまいました。
 明治以降の国語教育が「読み書く日本語」に偏重し、戦後教育は「話しことば」一色になって「語るべきことば」を文語体として切り捨てました。また方言もテレビのおかげで大きく変容しています。尊敬語や謙譲語に至っては家庭でも学校でも死に絶えてしまいました。大きな声で話されることばといえば、駅のアナウンスやファミリーレストランなどのマニュアル敬語か、けんか腰の罵倒語ばかりです。現代人のことばの貧しさ軽薄さには、自分のことばも含めてほとほと呆れます。言霊があいそを尽かしてどこかへお隠れになっても当然でしょう。

 京都に一見和風スナックという趣のお店があります。ご主人が舞いや三味線はもちろんお座敷芸全般の達人で、興が乗るとカウンター越しに小唄、端唄、俗謡、また幇間芸のさわりまで飽きずに楽しませてくれます。

獅子吼童子

トリオTHE波木井
もちろん私などはそんな粋な遊びとは無縁の無粋者ゆえ、上っ面だけを見せてもらう「はとバスコース」のお客ですが、次から次へと繰り出される毒と笑いと情にあふれた当意即妙の言葉遊びに堪能させられます。このカウンターに一時間座るためだけに京都へ来てもいいと思うほどです。
 ご主人はお座敷芸で遊べる粋人が少なくなったことを嘆きます。それは取りも直さず、日本語で遊べるひとがいなくなったことを意味します。「私が三味線を弾いたかて、歌うてくれはるお客はんがいてしまへん。せやさかい私が歌わんならんよってに、お勘定も二倍になりますねんで、センセ。」「はい。」
 先頃、言霊復活の光明を告げる催しがありました。新聞各紙で紹介されましたのでご存知の方も多いと思いますが、去る十月十日に行われた「詩のボクシング」です。現代詩界の大御所・谷川俊太郎氏と、直木賞やH氏賞受賞作家のねじめ正一氏が、三分間交互に十ラウンドづつ壇上に立ち、自作の詩を趣向を凝らして朗読し、その応酬の様子を三人の審判が判定し勝敗を決するというものでした。詩の朗読が文化として根付いている米国では「詩のボクシング」は長い歴史があるそうで、朗読をする側も観戦する側も大変エキサイトして盛り上がると聞きます。残念ながら今回の試合は、エキシビションマッチの域をでないものでしたが、言霊の再来のためにもぜひこのような試みの盛んになることを願っています。
 私は彫刻家ですが、自分の作品を形態というハードだけでなく、その背景となることばや意味というソフトを付加したいといつも頭をひねっています。大きな声では言えませんが、彫刻をしている振りをして実は「言霊さま」と遊んでいるのです。
音声五童子(2011年)


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