『月刊美術』2000年6月号掲載

美術評論

籔内佐斗司(彫刻家)

 私が貸画廊で作品を発表し始めた二十数年前は、大新聞や美術雑誌の記者、そして美術館の学芸部のひとたちが銀座の画廊を巡り、目についた展覧会の寸評をこまめに書いていました。貸画廊のオーナーから「明日は××新聞の何とかさんと◯◯美術館のだれそれさんが画廊巡りをする日だから、居たほうがいいわよ。」などと教えてもらい、日がな一日待っていたものでした。後日、文化欄の片隅にちいさなちいさな展評が掲載されると天下を取ったような気持ちになったことを懐かしく思いだします。
 そのころは、春や秋に開催される「公募団体展」のことも、季節の風物誌のごとく掲載されるのが常でした。しかし「都立美術館で開かれている今年の◯◯展を見た。日本画では・・・等の作品が手堅い仕上がりを見せ、また洋画では・・・などの作品に注目した。彫刻では・・・の作品に新しい方向性の萌芽を見、云々」といった形式化された記事への批判や反省からか、いつのまにか美術団体展の評論を見かけることも少なくなりました。一方「現代美術」を扱う画廊は、新設の公立美術館を顧客とするようになって、その好みに合った作家を中心に紹介するようになりました。私はといえば、日本画や洋画を大量に扱う商業画廊を中心に作品発表をするようになり、いつしか先鋭な美術評論の対象外となっていき、私もそのことを気にもとめなくなっていました。
色心不ニ展/福岡三越
 ところが、昨年秋に創刊された季刊誌「てんぴょう」(アートヴィレッジ社発行)が、昨年11月に日本橋三越で開催された「籔内佐斗司の世界・色心不二」展を、第2号の特集で取り上げることになりました。私は少しの戸惑いと期待を持って、積極的に資料提供や取材の便宜を図りました。しかし発表された三篇の評論の内容と取材姿勢には、ほんとうに落胆させられました。それについてここで詳しく触れる余裕はありませんが、興味のある読者は、ぜひ同誌第2号「PICK UP」を参照されることをお薦めいたします。

第21回 平櫛田中賞受賞記念展
 どんな分野であれ、だれかの社会的活動を他者が公器によって批評することは、きわめて高尚な文化活動であるはずです。それゆえに、取材対象について、まず筆者自らが徹底的に確認することからすべてがはじまると考えます。もちろん美術活動に対する評論であっても、明確な社会正義に立脚して対象の非を指摘し広く問題提起をしたり、評論対象が健全に発展するために叱咤するという姿勢も必要であることは論を俟ちません。しかし、善意の適法な表現活動に対し、評論によって相手が傷を受け実害を被る可能性がある場合、そこには最低限守らなければならない礼節というものが求められるべきだと私は考えます。それなくしては、自分が認めたくないものに対して、単に喧嘩を売り抹殺しようとする文字の暴力に過ぎず、内向きの場合にはコミュニケーションを拒絶した評者の自慰行為に終わってしまい、いずれも高尚な文化活動とは呼べません。
 この特集にあたって私がなによりも驚いたことは、評者たちが展覧会を見ただけで作家や展覧会関係者になんら取材をしなかったことです。 私は、評者のひとりである宮内庁三の丸尚蔵館主任研究官・大熊敏之氏に対し、数通の書簡を送り、また「てんぴょう第3号」に私の考えをまとめた彼への反論を掲載しました。そのなかに以下のような一節があります。 「・・・私は、作家活動をコミュニケーション手段だと捉えており、人との巡り会いをとても大切にしています。今までも、作品を通じてたくさんの方々と出会い、好ましい人間関係を築き上げてきました。ですから、人と会い、会話を持ち、相互に理解し合う努力を厭いません。・・・」
 しかしながら今にいたるまで、彼から私の許には、なんの反応もありません。作家と評者の関係において、こんなに悲しいことはないと私は考えています。

緑の彫刻賞受賞記念展/倉吉市


籔内佐斗司彫刻展 神霊的童子/香港

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