知足 解説
「足るを知る」をことば通りに解釈すれば、「おのれの分わきまえて、満足すること」となります。
このことばは、釈迦が臨終に際し説き遺したといわれる「遺教経(ゆいきょうぎょう)」のなかで、弟子たちが守るべき八つの徳目のひとつに挙げられています。
「足ることを知る者は、貧困であっても心が広くゆったりとして安らかである。足ることを知らない者は、富裕であっても心が貪欲に満ちてつねに不安定な状態にある。」に由来します。仏教ではつねに「執着」からの解脱を説きます。すべての苦悩は執着に発し、執着は欲から来る。欲は足ることを知らないこころから生まれます。
「知足」をより深く理解するためには、足ることを知ったことによって得られた「満足」の境地に執着することの罪も知らなければなりません。満足は決して慢心ではないのです。「悟りなんて一瞬のもんやで。気がついては捨てて、気がついては捨ててばっかりで、なあんも残ってへんよ。」さる老僧のことばが思い出されます。
「吾、唯足るを知る」のことばは、龍安寺の「蹲(つくばい)」で有名です。同じ図柄はあちこちにあって、仄聞にしてその成立や由緒は知りませんが「知足」がもとになっていることはわかります。銭のまんなかの四角い穴を「口」の字に見立て五、隹、疋、矢を配して、「吾唯知足」と読ませた愉快な智慧者に敬服します。
生きるということは、生かされていることだと気付かせてくれる「こぼすなさま」とともに、飽くなき欲を求める現代人に「知足」のこころを語りかける「禅機の童子」です。
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