福島県磐梯町の慧日寺金堂薬師如来坐像の制作は順調に進んでいます。

平安時代初めに、奈良興福寺の学僧・徳一(とくいつ)は、東国から陸奥にかけて巡錫し、多くの寺院を創建しました。そのなかで、最も早く建立され、陸奥最大といわれた寺院が、磐梯山麓に建てられた慧日寺でした。しかし、明治の廃仏毀釈で廃寺となり、その遺構は埋蔵文化財・史跡として保存されてきました。

ところが、10年ほど前に磐梯町が町興し事業の一環として同寺の金堂と中門を復元し、観光名所となりました。そして、現在、東京藝術大学大学院文化財保存学彫刻研究室では、かつて金堂に祀られていたであろう坐高2メートル、光背の先まで6メートルという大きな薬師如来坐像の想定復元制作をしています。

7月末の竣工式に向け、本体は藝大の上野キャンパスで、台座・光背は磐梯町の特設工房で作業が急ピッチで進められています。最近、内堀福島県知事が特設工房を視察され、台座・光背の制作をご覧になって、たいへん感銘を受け、完成を楽しみにしておられるとのことです。本像が、いまだに原発の風評被害に悩む福島県が、元気を取り戻す起爆剤になることを願っています。

今、磐梯町周辺は雪解けの時期を迎え、朝靄に包まれたほんとうに美しい会津の風景に出逢えます。