敬復
お手紙ありがとうございました。拝見させていただきました。
まず薮内様には今回のマスコットにつきまして何かと心外な反響があり困惑しておられることをお察し申し上げます。
楽しいお祭となるべき「1300年遷都祭」がそのマスコットキャラクターで賛否両論がはっきり表れるということは、その選考に大きな問題が欠落していたからだと思います。
マスコットはイベントが成功裏に終結させるためのいわゆる「お守り」で、キャラクターはそれを擬人化したものですから多くの人々に支持されるものでなければなりません。私は選考委員会のメンバーの良識を疑っています。
どのような方々であったかは知る由もありませんが、信仰という観点からの検討がなされていなかったと思います。
私は日々檀家あるいは信者の方々に接し、仏様の尊厳さを説き、畏敬の念の必要性を話しています。あたかも生きているが如きに接し、私たちを見守り、人生の指針を教示してくださる、心の拠り所としての存在であると私自身確信を抱いて説いています。
私は当山に生まれ、その時から僧侶としての道を歩んできました。いろんな悩みはありましたが、今では一僧侶として充実した人生を送っています。
しかし私よりもっともっと信仰心の篤い人がたくさんおられます。死後の世界を信じ、仏様に導かれる喜びを実感しているのです。
ある女性(80才後半)は日頃口癖のように「死ぬことは別に怖いと思わない。ちゃんと仏様が迎えに来てくださるんだから」と話しています。彼女の頭の中には固定化された仏様が存在しています。例のマスコットを見て、私に「おぞましい」と答えました。
また先日、ひとり住まいの女性(90才代)は、いつも「何も怖いものはない。仏様が守っていてくださる」と言っています。彼女が「住職さん、何とかなりませんか?これ」と言って差し出して来たのがそれでした。
彼女たちにはこのマスコットは「童子」ではなく、仏様に見えます。このように感じる人たちが世の中にはたくさんいるのです。白毫がありますから当然なのですが。
私は大学、大学院で後期チベット仏教を専攻していました。その仏画や経典には我々の想像を絶する異様な仏像が多く描かれ、説かれています。とても日本人には受け入れがたい尊像です。しかしそこには仏教の多様性が見受けられます。多神教である仏教の豊かな創造性には感心しました。
仏教の思想は常に発展して来ました。日本でもそうであったのですが、江戸時代から様相が変わり、発展しなくなりました。寺請け制度と結びつき、祖先崇拝に重点を移し、独特の「日本先祖教」としての仏教に生まれ変わりました。それと共に仏像の進化はなくなったように思います。受け入れる側においても死者=仏のイメージが生じ、仏像は固定観念化され、違和感のある像は排斥する傾向になります。
さらに戦後は宗教教育が欠落し、また最近の核家族化、少子化、社会移動により、仏教に対する尊厳性、畏敬の念は希薄になり、祖先崇拝までもが疎かにされて来ています。僧侶自身にも宗教心、信仰心のない人が少なくないと思っているのは私だけではありません。
明治、大正生まれの人の中には一本筋の通った信仰心を持っている人が多いです。これは私が35年間の間に受けた印象です。信心に関しては戦後教育を受けた者は私も含めてその足元にも及びません。
このような今の日本ではこのマスコットが採用されるのは至極当然といえばそうかも知れません。薮内様の作品を非難しているのではありません。私は大楽思想に基づいた密教の行者ですし、チベット仏教を知っていますから。
信仰という面を考慮されずに決められたことに対する憤りを感じ、私たちは、今も仏様に深い尊崇を表す人々の代弁者としてもあのような要望書を提出させていただきました。
童子ならまだしも仏様の頭から角が生えるのはいかがでしょうか?奈良の鹿のイメージでしょうが角には嫉妬、我慢、戦いの意味があります。諸外国にあっても印象のいいものではありません。日本の仏教の寛容さに注目せよということには無理があります。欧米人にはトナカイの角に見えるでしょう。アジアの仏教国の人々はほとんど部派仏教ですから仏様といえばお釈迦様です。獣になぞらえた仏様はありえないはずです。
日本の僧侶が妻帯、飲酒、肉食するのは神仏習合や我が国の信仰のありようから始まったものではありません。上記の寺請け制度による僧侶の堕落が大きな要因です。妻帯はその禁止が有名無実となったための措置でした。結果、飲酒、肉食が公になりました。ただ親鸞の思想は当時では異端なものでありました。妻帯が禁止されている世界の宗教者でも女性問題は常にあります。日本の特異性ではないと思います。
遷都1300年は仏教の歴史と言っても過言ではありません。50年前の1250年祭はかなりの宗教色があったように記憶しています。「祭」と言うならば宗教色がなければなりません。その性格がないならば単なる「催し」にしか過ぎません。日本文化の奥深さを見るならば仏教をはずしては語れないはずです。官製のイベントが軽薄な催しに終わることを憂慮しています。
たくさんの作品集をお送りいただきありがとうございました。お礼申し上げます。貴殿の作品は「かわいさ」「こっけいさ」「神秘性」「意外性」など感性豊かなものと感じました。
すべてに白毫がなくてほっとしています(笑)。益々のご発展を期待申しあげます。
失礼なことを申し上げたかも知れませんがご寛恕いただきたく存じます。機会がありましたら是非お会い致したく思います。