WELCOME TO THE WORLD OF YABUUCHI Satoshi・sculptor

三丘芸術家派遣授業2009.11.27(金)

演題「せんとくんが教えてくれたこと」

それでは授業に入らせて頂きます。

 今日は、何のテーマでお話をしようかといろいろ悩んでいましたが、真鍋先生から、「せんとくん」の話を織り交ぜてほしいというご依頼がありましたので、その話題から入ることにいたします。

せんとくんのデザインとその意味)

 せんとくんは、ご存じのとおり来年2010年に奈良県で開催される「平城遷都1300年祭」の公式キャラクターです。

 頭に鹿の角が生えています。眉間にいぼのようなものがあります。これは白い巻き毛という意味の白毫と呼ばれるものです。お釈迦さまの眉間には、一本の白い毛がくりくりと渦巻き状に丸まっていて、ときおりひゅるひゅると伸びたりしたそうです。また突然光を放って、映写機のような役割もしたそうです。こういうことがお経には書いてあるのです。

 大きな耳たぶには穴があいています。ピアスの穴のようなもので、耳飾りをすることもあります。仏像において、お釈迦さまが、古代インドの王族であったことを物語っています。

 服装では、上半身にななめにたすき掛けのような布を巻いています。これは条帛と呼ばれます。腰には青い布を巻いていますが、これは裙といいます。腕や足には釧という装飾品の輪っかをつけています。この姿は「菩薩」の装束と同じです。お釈迦さまが出家される前の王子さまだったときの姿がモデルといわれ、音菩薩や不動明王も同じ装束をしています。

 ちなみに阿弥陀さまやお薬師さんのような姿は、「如来」の姿といい、一枚、もしくは二枚の四角い布を体に巻きつけています。この姿は、すべての飾り物を捨て、出家したあとの質素な姿の象徴です。

 仏像は、上から順番に「如来」「菩薩」「明王」「天部」「眷属」などの階層社会から構成されます。菩薩というのは、サンスクリッド語の「ボーディサットバ、真理を求めるひと」という意味で、「ブッダ、真理を獲得したひと」という意味の如来に次ぐ仏格です。観音菩薩、千手観音などは菩薩の例です。

 仏像は、ブッディズムといわれる宗教哲学の開祖といわれるお釈迦さまの姿を写したものと言われます。ですから仏像のはなしをするためには、お釈迦さまの話から始めなければなりませんが、今日はそのお話をするには、いささか時間がたりません。

 ただ、なぜ菩薩のような姿をした童子の頭に鹿の角が生えているかは、きっとみなさんの興味があるだろうと思いますので、簡単にお話ししましょう。

 およそ2500年前、仏教が始まったころの古代インドでは、霊魂は不滅で、生前の行いによって次に生まれる段階が変化すると信じられていました。かなり早い時点で編纂された「前世譚・ジャータカ」というお経では、お釈迦さまも、お釈迦さまとして生まれる前には、500回の生まれ変わり死に変わりをしたとされています。そしてそれぞれの生涯において命を賭して弱い者、苦しむ者を救済する行為を実践されたとされています。こうした行いを、菩薩道といいます。その結果として、お釈迦さまは、ブッダになるべくこの世に生を受け、たくさんの真実の言葉を残し多くの弟子を育てて、ついには、二度と輪廻転生の苦しみのない如来になられたと仏典には説かれています。

 それで500回の輪廻転生のなかには、たくさんの動物にも生まれて、多くの命を救っています。とりわけ鹿王の物語は感動的です。お釈迦さまは遠い前世に、鹿の集団の王さまでした。あるとき狩猟好きの王さまがやってきて、妊娠をしていた雌鹿を殺そうと矢をつがえます。そのとき鹿王は、その雌鹿の前に立ち「この鹿には、たいせつな未来の命が宿っています。どうかこの鹿を射るのはやめてください。そのかわり、私を殺してください」と言いました。王さまは、その神々しい姿に圧倒されて、それ以後、鹿狩りを止めてしまったといます。お釈迦さまがこの世にお生まれになって出家をし、苦行と瞑想の末にこの世の真理を悟ったあと、初めてその心境と真理を語られた場所は、鹿の群れが遊ぶ「鹿野苑・サールナート」というところでした。それは鹿王であったことを思い出させる話です。

 私は、この鹿王の物語を子供の時になにかの本で読んでとても印象に残っていました。ですから、菩薩のような童子のあたまに、鹿の角が生えていることは、まったく自然なことでした。仏像に見られる32種類の特徴をまとめた「仏の三十二相」という考え方を説いたお経があります。その多くが、実はジャータカに描かれたたくさんの動物たちの特徴を連想させるものです。お釈迦さまの舌は、牛の舌のように顔をぺろりとひと舐めできるほど長く大きかったとか、足の裏は象のように平べったい偏平足だったとか。まっすぐに立っても、お猿のように膝小僧を撫でられるほど腕が長かったとかです。このようなことを考えると、仏法の童子であるせんとくんの頭に鹿の角が生えていることに何の不自然があるだろうと私は思いました。そしてジャータカは、お釈迦さまですら、たくさんのひとや動物に生まれ変わっているのだから、どんな素晴らしい方の前世の仮の姿かも知れないのだから、「この世の生きとし生けるもののすべてを慈しみ敬わなければならず、決して傷つけたり殺生をしてはいけない」という仏教の根本思想である「一切衆生悉有仏性」を、仏像は教えてくれているのです。

 仏教の「一切衆悉有仏性」の思想は、古代の日本の八百万の神々の信仰とうまく一致しました。それは山や川、樹木や草花にも神が宿っていると考え、敬い大切にするという信仰です。これがのちに神仏習合という日本独特の信仰になっていくわけですが、平城京が造られたころには、仏教寺院を建立すると、かならず神さまをお招きして守ってもらう、あるいはその土地の神さまにきちんとご報告をして守ってもらうために神社を造りました。奈良の代表的なお寺である興福寺は、お寺と平城京そのものお守り頂くために、常陸の国の鹿島神宮と香取神宮からふたはしらの強い戦いの神さまをお招きしたところ、白い鹿に乗って平城京にお越しになったという伝説があります。

 以上のようないくつかの理由によって、昔から奈良では鹿を大切にして、ひとびととともにたくさんの鹿が暮らしているのです。

 せんとくんのデザインに込めた私の意図がおわかり頂けましたか?

せんとくん騒動について)

 このキャラクターは昨年2月ころに、奈良県知事によって発表されました。するとそのとたん、マジシャンを名乗る奇妙な人物を中心とした「遷都祭を救う会」という団体が現れ、次いで「クリエイターズ会議大和」という地元のグラフィックデザイナーたちが反対運動の名乗りを上げました。また彼らと親しかった毎日新聞や産経新聞奈良支局の若い記者が熱心に彼らを追いかけて、そのニュースがヤフーニュースのトップページに転載され、ミクシーとか2チャンネル、ソシアルネットワークサービスのブログなどネット社会でさかんに語られる様になりました。また、それを煽るようにマスコミ報道やワイドショーが取りあげたため、いわゆる「ネット炎上」という状況になったわけです。

 一ヶ月足らずのあいだに、反対運動があまりにもみごとな展開をしたため、私も最初はびっくりしました。

 また、それらと連動するような形で、市内の十輪院という寺の住職が、自分の所属する中小寺院の親睦団体である「南都二六会」の僧侶たちを誘って「仏教を冒涜している」という理由で、デザインの変更を求める意見書を「南都二六会有志名」で県に提出しました。ところが、有志名で出された意見書について、マスコミは奈良県の寺院がこぞって反対しているかのように増幅して報道しました。そして後追い記事でも「南都二六会」として提出されたかのように報道し続けました。実は、当の二六会には、私が親しくさせていただいている僧侶が何人も所属していて、その方々から意見書提出の詳しい経緯を聞いていましたので、僧侶たちの騒ぎが自然発生的なものではなく、意図的に作られていることを、早い段階で知ることができました。また、「遷都祭を救う会」と「クリエイターズ会議大和」そして「十輪院住職」という反対勢力は、いずれも地元商店街を舞台に密接な関係にあったこともやがてわかってきました。

 ここで、ことの経緯を時系列でまとめてみましたので、ご覧下さい。

【経緯】

 騒ぎの発端は、地元のデザイナーたちが、公式キャラクターの選定に際し、自分たちの意見が通らなかったことに不満を持ったことだったといわれています。そして彼らのクライアントである商店主たちや商店街にお寺の出張所を持っている十輪院というお寺の住職が、「キャラクターが発表になったら、積極的な反対運動を展開し、県に白紙撤回、選考のやり直しを求めよう」という話になっていったというわけです。

 しかし、このレベルなら、ありきたりの市民の反対運動に過ぎません。ところが、これが若い人とたちの関心が高いマスコットキャラクターにかかわることであったため、インターネットや携帯ネットワークサービスの顧客獲得競争と重なったりして、ネットカフェなどにたむろするネット住民たちの格好の遊びの的になっていったわけです。そして一部のマスコミが扇情的に報道したことが、社会現象と言われるほどの盛り上がりとなっていったというのがざっとした流れです。

 せんとくん発表の前には、滋賀県の彦根城築城400年祭の記念キャラクター「ひこにゃん」が、制作者と彦根市のあいだで、著作権使用を廻って訴訟騒ぎにまで発展し、それが結果としてひこにゃんの知名度を上げたという皮肉な事件がありました。今回のせんとくん騒動のいくつかの動きが、ひこにゃん騒動と連動しているのではという憶測が当初からありました。私はその事実関係はわかりませんが、まったくの素人の市民だけが行ったにしては、反対運動の進め方があまりにも手際がよすぎるような気がしなくもなかったとは思っています。また、奈良というところは、「市民グループ」と呼ばれるひとたちによって行政に対する反対運動が始終起こって、公共事業がなかなか進まないと地元の友人が嘆いていました。せんとくん騒動のあと、中国の胡錦涛さんが奈良に来た時は、先ほどの十輪院住職がチベット騒乱の犠牲者を追悼する法要を行ったり、奈良訪問に反対するデモもあったと聞いています。またJR奈良駅周辺にホテルを誘致するための整備事業に反対する運動が盛り上がり、当時の奈良市長が退陣するという事態にもなったことは記憶に新しいことです。先日、私が奈良へ行ったときには、メインストリートの登大路で署名を求めているひとたちに出会いました。彼らは「私たちは奈良県で計画されている地下高速道路建設に反対しています。なぜなら埋蔵文化財の木簡が地下水脈の変動で、消滅してしまうからです。反対運動に署名して下さい。」という主張でした。そのなかのひとりの女性を見てびっくりしました。去年、近鉄奈良駅前で「公式キャラクターの白紙撤回と市民が参加できる選考を!」と反対署名の運動をしていたひとととてもよく似た女性だったからです。彼女がほんとうにせんとくん騒動の関係者だったかどうかは知る由もありませんが、ともかく古都・奈良は、なにかと市民運動がさかんな地域であることは、地元のひとも認めていることです。騒動のさなかに、「奈良っちゅうとこは、むつかしいとこですやろ」と、奈良の知人から笑いながらいわれたことが印象的でした。

 さてマスコミの論調だけを見ていると、県は白紙撤回して選考をやり直すのではないかという噂までささやかれたころに、私は、自分のホームページを通じて、反対意見に対して回答の掲載を始めました。するとネット上の風向きが急速に変わり始めました。私の意見がつぎつぎに転載されて、たくさんのブログで引用されました。反対派の意見だけをマスコミやネットを通じて知り、「奈良ではみんなあのキャラクターに反対しているんだ」「奈良で仏教界を敵にまわすのはいかがなものか」と思っていたひとたちが、「あれ、ちょっと様子がちがうかも?」「いわれているほど悪いやつと違うやんか」と意識が変化し始めたわけです。

 騒動の最中、私は何度も荒井県知事と会っていました。知事は当初から「もっと騒いでくれた方が宣伝になってありがたい」と平気な顔で笑っておられ、反対運動の本質を、かなり早い時点で読み切っていたという感触でした。また、東大寺や興福寺、春日大社といった、本当に大きな奈良の社寺には、選考過程から県が相談し、キャラクターデザインの了解を得て根回しはすんでいたということも知りました。

 私は、東大寺や興福寺で奉納イベントをしたり、2006年に奈良県の職員研修会で講演をしてきました。また仏像の調査を通じて各寺院の僧侶のみなさんとはたいへん親しくおつきあいさせていただいています。こうしたことが、意図的に曲げて伝えられ、キャラクター選定が、私と奈良県および大寺院が仕組んだ出来レースではなかったかという反対派の主張になっていったようです。しかし、キャラクター選定にあたって云われているような癒着めいたことは一切なかったと断言いたします。三つの広告代理店による指名コンペティション方式で行われたキャラクター選考は、デザイナーはまったく関与できないかたちで行われました。議会において、選考の経緯について、県側の説明で野党も納得しましたし、地元のマスコミがいくら調べても、なにひとつ違法性を立証できなかったことからもご理解いただけることと思います。

 反対運動は、6月にデザイナー集団が、ネット上の公募という形で「まんとくん」という独自キャラを発表したあたりまでは、マスコミも面白がって取りあげていましたが、「デザイン変更の意見書」を提出した十輪院の住職が、デザイナー団体の公募選考から漏れたキャラクターをお寺の独自キャラ「なーむくん」として発表したことによって、反対運動に亀裂が走り、急速にしぼんでいきました。

 しかしその後も相変わらずマスコミでは「かわいくないと評判の」という決まり文句をせんとくんに使い続けました。県庁に白紙撤回を求めるファクスとメールが「1000件」届いたことも、繰り返し繰り返し報道されました。1000件であって決して1000人ではありません。私の所に来た中傷メールも、ひとりで20通も30通も同じ文面を送ってきた暇人が何人もいたくらいですから。

 一方、キャラクターの愛称公募に15000通の応募があったことなどを、マスコミはあまり熱心に取り上げませんでした。私は、その15000通、すべてに目を通しました。ごく一部は、私のところへ寄せられたような誹謗中傷的なものでしたが、あとの大半は私のキャラクターを好意的に受けとめ、一生懸命かわいい名前を考えてくださっていることがよくわかる内容でした。

 反対運動がさかんにマスコミに取り上げられていた昨年の2月末から4月はじめころまで、私のホームページの投稿フォームからおよそ950通ほどのメールが届きました。ふだんは作品の問い合わせやグッズの注文がときおり来るくらいなのに、あの騒動の最中は、朝一番にパソコンを開くと50通から100通近くメールが届いている日もあるわけですから、ほんとにびっくりしました。あとでわかったことですが、関西方面の朝やお昼のワイドショーに取り上げられるたびに、メールがたくさん届いていたわけです。

 そのなかの半数以上は、「いろいろいわれてたいへんでしょうが、がんばってください」といった応援メールでした。しかし3割強は、批判的なものでした。

 そして私は、頂いたすべてのメールに返信しました。好意的なメールのほとんどはきちんとご自身のアドレスを書いてこられましたが、反対メールの大半は架空のアドレスで、せっかくの返信も届かずに戻ってきました。そのなかから、反対意見と私の返信の一部をホームページ上で公開しました。

 その一部を、ここでそれをみなさんにご覧いただきたいと思います。せんとくんの今現在の状況を思い浮かべながら、お読みいただけると幸いです。

【回答一覧】

 どうでした?

 次は、朝日放送のワイドショー番組に「ムーブ」というのがあります。この番組は、大阪のローカル番組ですので私は直接見たことはありませんが、せんとくんに反対する内容を繰り返し流していたそうです。またここの司会者やコメンテータがかなり辛辣な意見を述べているのをビデオで見ました。その番組の若いディレクターの後藤というひとからメールを頂き、視聴者から寄せられた質問について回答を求められました。私は彼とメールや電話でやりとりをした結果、彼の上司である木戸というひとからメールをいただき、彼ともなんどかやりとりをしました。今のジャーナリズムの水準を考えるよいケーススタディになると思いますので、それをみなさんにご紹介したいと思います。個人のメールの文面を使うことにはいささか躊躇しましたが、メールのなかで彼自身が「公人の義務」を私に要求しておられますので、私も彼がジャーナリズムに携わる公人であると判断して、実名で紹介いたします。

【「ムーブ」との対話】

もうひとつ対話を紹介します。奈良県民を自称されるTさんとの対話です。

【Tさんとの対話】

さいごに自称「一奈良県民さん」との対話をご紹介します。

【一奈良県民さんとの対話】

 じつは、せんとくんを応援する「SOB(せんとくん応援部)」という市民グループも早い段階で存在しました。彼らは、反対派の内部事情にも詳しくて、その活動に対しては批判的でした。そして彼らは、反対派が行ったマスコミを利用した売名行為のような動きはせずに、地域興しにつながる地道な活動を続け、今では遷都祭そのものを強く応援する市民グループに成長して、燈火会や街中の清掃事業などさまざまなイベントを企画しています。

 また、反対派ともうまく折り合いを付けながら、しかしせんとくんを応援しようという商店街の店主も現れました。この店のシャッターに、いち早くせんとくんとまんとくんの図柄を描いたことでニュースにも取り上げられましたから、ご存じのひともいるかもしれません。今では、彼が作った遷都祭関連グッズの専門店には、せんとくんとあとのキャラクターのグッズが仲良く並んでいます。店では、品数も売れ行きも、せんとくん関連のものが圧倒的で、ほかのキャラクターは希少価値で売れている程度だということです。みなさんも奈良にいったら、近鉄奈良駅の行基菩薩像がある東向き商店街から南に真っすぐ行った先にある餅飯殿商店街のなかほどのこのお店をのぞいてみてください。店頭においてあるせんとくんの大きな縫いぐるみが目印です。

 私は今日、せんとくん騒動の是非を問うつもりでお話ししてきたわけではありません。またせんとくんのデザインに嫌悪感を抱いたひとがいたことを否定するつもりもありません。私たちアーティストは、自分の創作物が好き嫌いで判断されるのは当然のことであると了解しています。ただし、好き嫌いの個人的感情を、善い悪いの社会的問題や倫理的問題にすり替えて見当違いの批難をされた場合は、作家生命をかけて毅然として反論します。

ネット社会について)

 本日の授業では、みなさんに、せんとくん騒動の経緯を冷静に見て頂いて、世論がつくられていく過程や背景を知ってもらいたいと思いました。情報化社会といわれて久しいわけですが、きょうは「せんとくんが教えてくれたもの」ということで、「情報」について、お話をして終わりたいと思います。

 江戸時代のころは、井戸端会議や床屋政談ような小さなサークルでの世間話や噂から世論が作られました。明治になって新聞ができ、昭和になってラジオが普及し、戦後は電話とテレビが急速に普及しました。その後、テレビが圧倒的な情報量をもった大衆娯楽として定着し、世論形成の仕組みが劇的に変化しました。また電話もファックスや留守電サービスなどによって、ニュースの出し手と受けてが双方向に意見を交わせるようになりましたが、それでも今から思えば限定的なものでした。

 ところがこの20年ほどのパソコンと携帯電話の普及によって、場所と時間にかかわりなくひとびとをインターネットが繋ぐようになりました。そしてネット社会という今まで現実社会に存在しなかった国境のない仮想社会が作られていったのです。

 こうした情報媒体における社会基盤の形成だけを見ていくと、よい方向に発展してきたように見えます。そのもっともよい例として隔絶した社会であった東ドイツが、非合法の衛星放送とインターネットによる情報が市民の意識を変え、ベルリンの壁を壊し、ついにはアメリカと世界を二分していたソビエト連邦まで崩壊させました。そして世界は核戦争の恐怖から解き放たれ、東側市民にようやく春が来たといわれました。しかしこうした評価は西側からの見方です。かつての東側では、ものすごい経済格差の社会が生まれ、社会が大混乱しています。旧ソ連領であった中央アジアの政情は、冷戦時代よりも混迷の度を増しています。米ソという二大パワーの均衡が崩れた途端、中東情勢はきわめて不安定になり、泥沼の争い、いや中東ですから砂まみれの争いを続けています。

 そうした推移を冷静に見ていた中国は、旧ソ連の先端技術を呑みこみ、経済的発展が軌道に乗ったのを見計らって、インターネットや携帯電話を規制するのではなく、逆にうんと民間に普及させ、中国民衆から世界に向けて大量の情報を浸透させる方法を取っています。一方中国政府は、早くからインターネットの脆弱さや危険性を感じて、行政機構や安全保障に関わる分野では、インターネットの利用を制限し、独自の閉鎖的システムで情報ネットを構築するという戦略で動いています。かつての森総理がITのことを「いっと、いっと」といいながら「グローバルなIT社会への転換」をむやみに推進し、行政システムや社会・経済の隅々にまで官民あげてインターネットを普及させようとしたことに比べ、戦略的にはるかに先を見据えていた感があります。日本では、DOCOMOに代表される日本独自の規格で携帯電話サービスが行われていますが、世界の携帯電話は現在、NOKIAというフィンランドのシステムで世界中が統一されています。しかし、早晩、圧倒的な契約者予備軍を背景に、中国の次世代システムの携帯電話が世界を制覇するだろうといわれています。

 いずれにせよ、社会基盤・インフラという面では大変な発展を遂げたインターネット社会において、そこを流れる情報というものの質が向上してきたかというと、そうではないと思います。情報は、ひとのこころが作りだすものです。ひとりひとりの人間性や知性やモラルが高まらなければ、仕組みやハードが便利になればなるほど、きわめて危険な状態になっていきます。現実社会では、相手のひととなりや個人情報をリアルに知らなければ、深い付き合いをすることなどありません。こうした情報を得て、自分と相手の立場を確認しあうことをアイデンティファイといいます。ところが、匿名性があたりまえのネット社会においては、名前や性別すらわからずに、自分の思いを話したり、悩みを打ち明けたりしています。ひとの付き合いにおいて、もっとも重要なことはひとりひとりの人間性であることは、現実社会でも仮想社会でも変わりはないということをしっかりこころにとどめておいてください。

情報について)

 ものごとの状況判断をし行動に移すとき、情報をいかに賢く処理するかということがあります。情報という言葉を辞書で調べると、data 、information 、intelligenceといった言葉が出てきます。日本語は定義をあいまいにしがちですが、英語ではこの三つを厳密に使い分けます。情報と翻訳されるこの三種類の単語は、それぞれ別の次元の意味をもっています。

Fact(事実)

「せんとくん」

Factor(Factを構成する要素)

「平城遷都1300年祭」の公式キャラクター

眉間に白毫があり仏像のような耳をしていて頭に鹿の角が生えている

仏像でいう菩薩の装束を着ている

ほか

Data(Factに関する資料、客観的情報)

1300年協会から委嘱された3社の広告代理店がそれぞれ推薦した数名の作家の作品から選定された。

彫刻家であり東京芸術大学大学院教授である籔内佐斗司が制作した。

籔内佐斗司は、県庁職員の研修会で講演をしている。

籔内佐斗司は、奈良の多くの寺院と親しい。

発表後に、県庁へ約1000件の反対意見が届いた。

中小寺院の親睦団体「南都二六会」有志がデザイン変更を求める意見書を提出した。

近鉄奈良駅前で反対派がアンケートを実施し、反対200対賛成0という結果が出たとテレビで報道された。

Information(Dataを、ある意思のもとに編集し直した情報、報道。主観的情報)

→ Opinion、Report(個人や団体の意思が強く入って発信される情報、意見)

→Rumor(根拠の乏しい情報、噂)

→ Gossip(悪意をこめた情報、醜聞)

→ Demagoguery(政治的あるいは煽動的な目的で嘘を混じえた情報、デマ)

「かわいくない」「気持ちが悪い」という意見があるという報道。

愛称公募に15000通の応募があり、ほとんどが好意的

選考過程が不透明だという意見があるという報道。

遷都協会が公式に選考経過を公表。

県議会で選考経過が説明され、野党が納得

「南都二六会」から仏教を冒涜しているという意見書が出されたと報道

意見書提出について二六会の総意は得られなかったため、有志名で提出。

制作者から図案の意図を仏教的解釈のもとに説明

同会構成員からの「だれもついていかへん」「あんなんほっときなはれ」という意見。

市内の大寺院で構成される「臨山会」では事前に了承済み

反対派が近鉄奈良駅前でアンケート調査が行われ、200対0で、賛成はなかったとテレビで放映

なぜアンケート場所にテレビ局が待機していたか

アンケート方法が「白紙撤回を求めています。あなたは賛成ですか、反対ですか」と質問

Intelligence (dataとinformationを総合的にinvestigation/調査・研究して、今後の行動の基本となりうるまでに高められた情報=知恵)

Intellectual(知的なひと、知識人、高度な判断のできるひと)

Journalism(真の報道)

Informationによって形成される行動計画→Tactics、戦術

Intelligenceによって構想される行動計画→ Strategy、戦略

↓creativity(過去と現在の情報を踏まえて、未来を予測すること)

Action(結果を見極めた行動)

CIA Central Intelligence Agency

FBI Federal Bureau of Investigation

好き嫌い× 善い悪い

私が好きなものはよいもの。

私が嫌いなものは悪いもの。

批判;善悪を判断される

批難;中傷・嫌悪の情で行われる


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