「座卓卸商の父」
川添裕(かわぞえゆう)/日本文化史家、皇學館大學教授

 「ざたくおろししょう」という音を聞いただけで、ぱっと、ああそうですか、そういうご商売ですかとわかるひとは、少ないのではないかと思う。私が教えている大学生たちは、音だけではむろん全滅で、「座卓」と文字で書いても大分あやしい感じである。しかし、それも無理のないことで、四十年前の自分の小学生時分(ちょうど東京オリンピックの頃だ)でも、同級生の親の八百屋とかクリーニング屋とか大工とか、公務員、会社員などと比べると、すでにわかりが悪かった。

 私の父親は横浜で、その座卓卸商をやっていた。

 もともとこれが家業であったわけではなく、祖父は生糸の仕事から転じた横浜の炭商で、偶然ながらともに木と縁があることになる。戦争が終わって南方で捕虜収容所生活を余儀なくされ、やや遅れて復員した父は、戻ってみれば花形であった元の職場の飛行機会社は解散。そこで義兄の座卓卸の仕事を手伝うようになり、その義兄が早逝したあとを引き受けたというのが、およその経緯である。

 景気がいくらか良かった時期もあるようだが、東京オリンピックの頃にはもうはっきり下降線で、私が中学生になってまもなく、一九七〇年代を迎えることなく廃業の憂き目となった。この急激な下降線は皮肉なことに、いわゆる「高度成長」と反比例しており、簡単にいえば生活が「向上」して畳の生活がどんどんなくなって、その上に置くテーブルすなわち座卓は無用となったのである。別にうらみはないが、「高度成長」とは、多くの個人商店にとって廃業の歴史であった例はきわめて多い。

 さて、父が扱っていた座卓の中心は、漆(うるし)塗りの座卓であり、生産元は四国の高松であった。つまり、讃岐伝統の漆工芸製品で、目に鮮やかな朱が印象的な後藤塗りと、一部には象嵌(ぞうがん)の蒟醤(きんま)塗りや象谷(ぞうこく)塗りもあったように思う。文化史を専門にする立場としては、こういうことをもっと聞いておけばよかったと思うのだが、父が亡くなってはや十年が過ぎる。ともあれ、こうした漆の木製座卓を、横浜、横須賀、東京などの小売り家具屋へと卸していたのである。


 加えて、帰国するアメリカ軍人に向けて、一種の「日本趣味」ねらいで、小さ目の漆テーブルを売ることもやっていて、地元の本牧(ほんもく)や横須賀のベースに、父のトラックに乗り一緒についていったことが何度かある。この手の商品の中には、螺鈿(らでん)風の派手な貝装飾のテーブルがあり、それは日本風とも中国風とも韓国風とも、何ともいえない不思議なオリエンタルな品であった。はたして、あれも高松で生産していたのだろうか。

 漆は英語で japan (ジャパン)というが、身近に接した漆の光沢には、わが親しきモダン・ジャパンの歴史が映しだされており、そこから学んだことは多い。

 商売をやめたあとに、見本品、傷物、半端物などがいくらか残り、それらの座卓は、元は倉庫であった場所と、私を含む兄弟三人の家で少しずつ使われている。


川添裕(かわぞえゆう)
日本文化史家、皇學館大學教授

1956年 横浜市に生まれる
1978年 東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業
平凡社に20年余勤務ののち、独立して見世物文化研究所代表。また、2002年より伊勢の皇學館大学に着任。専門は日本文化史、東アジア文化史、およびメディア論、表現論。
著書;
著書:『江戸の見世物』(岩波新書)、『見世物探偵が行く』(晶文社)、『落語の世界』全3冊(編著、岩波書店)、『電子図書館はどうなる』(共著、勉誠出版)、『出版界はどうなるのか』(共著、日本エディタースクール)ほか。
http://rakugo.com/

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