|
30cm角の材木は、それより一回りも二回りも太い木からしかとれない。明治以後日本の各地に植林された成長の早いカラマツでも、直径50cm、高さ15mほどになるのに40年くらいかかる。高さ約8mの東大寺仁王像に使われたヒノキの角材は一辺が60cm、年輪は300年分以上もある。そうとうな大木である。
そういう大木を探すことも大変だったが、伐採も大仕事だった。今ではクレーンやチェーンソーで、大きな木も意外に短時間で切り倒せるが、昔は事情がちがう。斧をふるい、ノコギリをひき、あたり一面に木の香りがただよう山中に、地響きをあげて巨木が倒れる。その梢(こずえ)を切り、枝をはらって、丸太にして山から運び出すことはさらに困難な作業だった。
鎌倉時代に東大寺の再建に使われた柱は、山口県の山奥で切られ、山を埋め谷をけずり、水路を整備して川を下らせ、瀬戸内海をイカダに組んで運ばれた。奈良北郊の木津からの陸路を、直径160cm、長さ25mの丸太は車に積まれ、牛120頭に曳かれてようやく東大寺に着いた。各地の寺院に残されている仏像も、その材木の準備には、今からは想像できないような苦労があったのだろう。
明治時代の木彫家高村光雲は、有名な老猿という木彫像を作るとき、北関東まで出向いてトチノキを探し、それを切らせて東京に運んだ。その重くて太い材木を鉄道の駅まで運んだときの苦労話は彼の回顧談に語られている。
このようにして運ばれた材木は、クサビや矢とよぶ道具を打ち込まれて縦に二つ、あるいは四つに割られ、平らにけずられて、ようやく仏像をつくるための角材になる。定朝や運慶、快慶といった平安鎌倉時代の名仏師たちが仏像を彫りはじめる前に、こういう人手のかかる作業があって、山の木は仏像に姿を変えることができたのである。
木彫像を拝しているとさまざまなことが頭に浮かぶ。木が仏像になるまでの話はそのひとつである。山の木が倒されて丸太になり、丸太が割られて材木になる。材木は彫られて仏像になる。そういうことが気になるのは、木が、現代人のまわりから日ましに失われていく自然を代表する存在だからだろう。春に伐採したカラマツやアカマツの樹皮を一気にはがすと、勢いよく樹液が飛びちる。木のみずみずしさと生命力を実感する瞬間である。自然素材を重視した住宅建築や、ガーデニング、アウトドアライフなど、21世紀の人々の自然志向は、木への強い関心に結びついている。
仏像は信仰の対象だが、近代になると、ほかの宗教美術や寺院建築などと同じように、文化財としても高い価値があることが知られてきた。今日、美や理想を求めて仏像を鑑賞する人や、仏像をとおして歴史にふれようとする人がたくさんいる。それだけでなく、ここにとりあげたような人間と自然との関係についても、仏像は多くのことを気づかせてくれる。現代人にとっての仏像の価値は、これからもいよいよ増していくにちがいない。
|