北原さんは檜を扱われて何年位になるのですか。
北原:昭和23年に父親利一が材木店を創業しました。父方が岐阜の出身で僕も疎開中裏木曽で生まれました。父は陸軍士官学校へ行っていたのですが、終戦がきて世の中が変わり、戦後から檜を扱う仕事を始めたのです。
 疎開前にここ東京にお住まいになっていたのですか。
北原:ええ、僕のお爺さんの代からここ東京で生計を立てていたんです。その時は木材業ではなくて、左官業とかそういう類の仕事をしていましたが、田舎の裏木曽が檜の産地なものですから、「では檜をやろう」と父がこの店を興したのです。戦後ですからちょうど建築ブームがありました。そのころ、木材の流通がすごく多かったんです。

北原さんのお父様 利一 ( りいち ) さん(昭和46年)
 現在の木曽に自生する檜について教えていただけますか。

北原:ここに『王滝村の森と自然』という本がありますので是非読んでください。木曽の檜は古く昔から利用されてきていました。大きなものではお城やお屋敷などの建築、小さなものでは漆器などの工芸品など、様々に形をかえて日本の木の文化を支えてきています。

 しかし江戸時代には檜の伐採が禁止されました。安土桃山から江戸時代にかけて築城や武家屋敷建築、造船などのために大量伐採され木曽の山が荒廃したため、尾張藩は林政改革を行ったんですね。残された細い木を保護するために檜だけではなく、檜が誤って伐られないように檜に似たサワラ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコを含めた木曽五木を停止木(ちょうじぼく)として伐採を禁止しました。また、留山(とめやま)・巣山(すやま)・明山(あけやま)・鞘山(さややま)・預山(あずかりやま)(*註釈1)という名を付けて、住民の立ち入りを厳重に禁止するなどして規制を行いました。そして檜一本、首一本という時代が200年位続いたのです。そこで大きくなったのが、現在の木曽檜です。その間の200年がなかったら今の木はないんですよ。大径木になるには、やはり、そういう伐採の禁止を行わないと大きくならないですから。
 そして第二次世界大戦後に再度需要が高まって、一時期乱伐が行われたのですね。
北原:特に昭和34年に伊勢湾台風がありましたよね。あのときに大量に木が倒れたんです。みんな風倒木ですから、放っておけばみんな腐ってしまうわけですから、その前に出してしまえっていうんで市場にワッと出たんです。倒れた木が市場に出回ったときは値段的にも随分安く入手できましたから、名古屋とか東京でも随分檜のおうちを造りましたよ(*註釈2)
 倒れた木だけではなく普通に立っている木までも伐採を進めたのですか。

北原:ええ、もちろんそれも市場に出しました。その台風のあとにその勢いづいた流れが主流になってしまったので、それ出せそれ出せと売ってしまいました。それでまたしばらくすると、今度はどんどん値が上がりましてね。檜の伐採が進んで数が激減したからなんです。

 今は伐採量が抑えられて大体年間で1万4000立米ぐらいの計算です。この数字は、管轄する林野庁が5年単位で提示する木曽檜の伐採量を5で割ったものですが、現在5年間で7万立米ということなので、年間1万4000立米位づつ伐っているということになるんですね。あくまで天然木の話ですが。人工木はもっと多いです。人工木は1年間で5万立米位ひいています。天然木と人工木の伐採量が逆転したんですね。植林した木が成長して、それを今みんな伐っているの。天然木はすごく少ないですよ。来年の2006年にまた何万立方という予算が組まれるのですが...つまり国の方はどの位伐採しようという計画のもとに次の予算をだしてくるのです。
 伐採量の何万立米という単位について詳しく教えて頂けますか。一つの山の指定面積部分から木を伐るということではないのですね。
北原:そうではなくて、木自体の体積です。木1本というと、1メートル×1メートル×1メートルで1立方メートルなのですが、その単位でいって大体年間に1万4000立方メートル位の計算なんですよ。例えば普通、5メートルの長さで、丸太を伐ります。いま径50センチ(0.5メートル)の丸太として計算しますと、1本で5×0.5×0.5=1.25立方メートルですね。それで、それが1万4000立米ってことは、1.25立米で割っていくと、大体1万本ですね。だから長さ5メートルの径50センチ位の丸太で約1万本位の檜が、市場に出回るという計算になります。但し、実際には細い材も市場に出ますし、しかも、径50センチの木は大変少なくて、全体の1割にも満たないです。現在丸太の径を平均すると30センチ前後で、30センチから40センチが主です。一回の入札に50センチ以上の丸太が出るのは2、30本程度です。それも年々減らしていますから、来年も減ると思うのですが。今から15年位前ですかね、丁度その頃は1年間で15万立米位ひいていたんですよ。
そんなに沢山?

北原:ええ、13万とか15万位ひいてました。今が1年間に1万4000として、その頃に比べると現在は約10分の1の伐採量です。国の管轄の山林ですから、国が木を伐って、営林署の丸太を置く土場があるんですが、そこに出された木をみんなが競るわけです。それで、競って一番高い人が買って、製材にかけて市場に出すという仕組なんです。量と値段は関係がありますから、大量に木が市場に出てくると値段が下がるんですよね。逆に、今みたいに量がないとどうしても高くなってしまいます。だから今では高過ぎて一般的な住宅には使えないです。それと昔はけっこう建築関係が檜を使うことがあったんですけど、今では建築様式も変わって、どちらかというとみんなプレハブ型のものが多いでしょ。値段もその方が安いです。ですから檜は高いって事でどうしても敬遠されてしまいましたね。

<註釈1>

留山:森林資源の備蓄を目的に樹種の良いところを選んで寛文5年(1665年)木曽住民の立ち入りを厳重に禁止した山。享保9年(1724年)まで増やし続けた。

巣山:鷹狩りに用いる鷹を、巣の中にいるひな鳥のうちに獲るために定められた山。山林の中で繁殖したところを選んで、入山を禁じた。王滝村に12箇所、上松に10箇所など、木曽全域で59箇所の巣山が設けられた。

明山:留山・巣山以外の土地。明山からは木曽住民が暮らしに必要な木を採取することができた。但し、停止木は絶対に伐ることは許されなかった。

鞘山:享保年間、留山・巣山の数を増やし、更に留山・巣山の周辺地域を区画して伐採を禁じた。その禁止区画を鞘山という。

預山:水害の原因になっている山野や禿げ山に植林をさせ、その保管を村の役人に命じた山。

<註釈2>

伊勢湾台風(昭和34年9月26日)以降、木曽檜の伐採量は増え続け、ピーク時の昭和39年には主伐材収穫量が56万立米を超える。この年の木曽谷木曽檜収穫量は、間伐材を加えると約70万立米を記録している。

 北原:檜の運搬方法も変わりました。檜は、かつて木曽式伐木運材法といって木を筏でもって川から流したんです(*註釈3)。筏による運搬から大正時代になると今度は森林鉄道(以下「林鉄」(*註釈4))が敷設され、その鉄道は30年位前に...もっと前ですかね、終わっています。今度は車、トラックで運び出されるようになりました。現在は主流がヘリコプターです。今はもう車で入れないところが殆どです。道をつくるのはコストが高いですから。
★ 運搬方法が今やヘリコプターなんですね。

 北原:さきに人間が森へ入っていって、木をある程度伐っておきます。今回はこの木とこの木をやろうというふうに木を選んで間引きをします。要するに、太い木の場合は、ポツンポツンとあるわけですが、全部は伐らないんです。一気に伐ってしまえば土砂の問題や水害の問題などがありますので、必ず間をあけて伐っていきます。それも、ヘリコプターで運ぶのは太くて価値のある木だけを選びます。細い木では一般的には柱一本にしか使えないので、そういう木はそこまでして運送しません。結局大きい木の場合はどんどん減って奥に生えていますから、トラックは入れない。トラックが入っていけるところでは、そこの周りである程度伐れるところから伐っていきます。細い木とかそいうものはトラックで搬入・搬出できるわけです。

 こうして伐採した太い木は、1日でワイヤーをかけておきまして、その日にピストン輸送します。土場へ木をつり上げて何回も往復して全部上松や王滝などへ移送してしまう。1日借り切ってしまう方法です。全部の材を一気にヘリコプターで1日フルに使って、しばらく伐らないで休憩します。山の奥に長距離の林道をつくるのはかなりの費用がかかりますから、ヘリコプターによるピストン輸送の方が安いということです。もちろん数があればトラックで入った方が安いんですよ。しかし、今みたいに伐採量が1万立方メートルだとか、1万4000立方メートルに制限されていると、いいものだけは全部ヘリコプターで出してしまう方が遙かに安い。
★ 北原さんは林鉄の頃をおぼえていますか。
 北原:僕の子供の頃は、トロッコみたいなものに乗っかったことがあります。何百メートルもある高さの崖があって、それを見ながらトロッコに乗ってずーっと行くんです。王滝村とかに昔の林鉄が入っていたんですよ。全部線路を造って、そこから荷物をだすというシステムだったんです。だから当時はそれだけ量があったんですよね。本当に幅が小さいんですよ。丸太がポコポコポコって積みあげただけのものに乗っかって跨いでいました。深い渓谷ばかりではらはらするけれども気持ちがいい。今は、赤沢の方へ行きますと観光用に客車ですが、昔の面影を残して走ってますよ。木曽の赤沢美林っていうのがあって、そこの美林だけ見せるために観光でちょっと走って20分位かな。

<註釈3>

木曽式伐木運材法:深い山に囲まれた木曽谷から伐採木を効率よく運び出す為に考案された伐採・運搬方法。森林鉄道が敷かれるまでは、この方法によって伐木が運び出された。

伐倒:根本に三方から樹芯部に向けて斧を入れ、伐倒直前まで幹の外側の三点だけ残すようにすり鉢状に伐る。次に、木が倒れる方向の一点を切り放ち、最後にかけ声とともに左右の二点を断ち切り倒す。三ツ紐伐り(みつひもきり)、三ツ緒伐り(みつおぎり)三弦伐り(みつるぎり)、三ツ伐り、台伐り、三ツ目伐り、三ツ口伐りなどという。

山落し:谷筋から渓流(小谷)まで木材を運搬する作業。材木を組んで棧手(さで)や修羅と呼ばれる滑路や流路をつくり、木材自体の重さを利用して滑走させて小谷まで木材を降ろした。

小谷狩り:小谷沿いの積木場に搬出された木材を本流まで水力で使って運び出す方法。流水量が少ない場合は水を貯めてから堰を壊して水を一気に流して木材を運び、流水量が比較的多い場合は川道をつくり流水の深さを調整して運搬した。

大川狩り:管流し・バラ流しといって一本一本を木曽川の水流にのせて運送する作業。大川狩りを行う冬場には水量が減るため、木材で川瀬をせき止めた上で、これを壊してその流勢で木材を流すので、大変危険が伴う作業だった。

筏流し:木曽川本流を下り、川幅が狭くなった錦織(にしごおり 岐阜県八百津町)で木材を留め、輸送を管理した。ここで筏を組んで木曽材輸送の終点である尾張国白鳥湊(名古屋市熱田区)まで運搬した。筏流しは大正3年(1914年)まで行われていた。

<註釈4>

 木曽谷の森林鉄道が導入されたのは1916年。当初は蒸気機関車が活躍し、以後、次々とレールが敷かれ、1975年王滝線の廃線を最後に全廃となるまで、約60年に亘り鉄道による輸送が行われた。
★ 市場に出回る木曽檜はほとんど国有林からですか。
 北原:そうです。ほとんど国有林ですね。木曽谷森林面積の約6割が国有林で、民有林もあるんですけど、通常市場に出てこないんです。民有林の場合は流通までは単純です。要するに立ち木を伐って自分で製材して市場に出す、そういう商売があるんです。僕の友達は面積を決めて立ち木を自分で伐って、市場に出して売ってました。岐阜の方でしたけどね。民有林の方が頑張ります。けど今は民有林は大変ですね、経費ばかりかかってしまって。昔は、個人がちょっと自分の子供がお嫁にいく時の準備金のために伐って売るとか、そういった類のものもあったのですが、今はもうそこまで大きい木がないですからね。
★ 国有林の流通はどのようになっているのでしょうか。

 北原:まず国有林から木を伐り倒します。土場で丸太が買われて、丸太を買った人がこれを製材機にいれて、製材したものを市場に出します。

 まずは土場ですが、営林署の土場といって、山の中に丸太をおくスペースをつくって、そこに丸太を並べておくわけです。

 赤沢や阿寺渓谷などで伐採した木を町の土場へ出します。王滝村だったら王滝の営林署、上松だったら上松の営林署など、土場は大体駅のそばが多いです。駅のそばに土場があって、そこに丸太を集めてそこで入札するということが多いです。

 大きい木は大抵一本とか二本単位で売ってしまうのですが、細い木の場合はもう何十本とある山で値段を決めていきます。昔は「このテは立米いくらだ」といって立米単価で入札していたのですが、今はそんなことは多分しないです。現在の入札方法は直に全部の金額を入れます。つまり丸太の切り口に全部寸法が書いてありますから、かけ算して体積を測って、「立米数が幾つだから...」と自分で計算して、「1立米あたりいくらぐらいだから、全部でいくらだな」というふうに金額だして全部自分で算出する。
入札のとき「ひと山何百何万」って入れるだけです。そして、一番高い人に入札されるわけです。入札者の指名は二番手まで出ます。一番と二番にあまり差があると面白くないんですよ。例えば、一番手の入札価格が二百万円で、次の人が百万ですと「なんだこんなに」と。それもけっこう難しいですよ。気に入った人はえらく高い値をいうし、知らない人は安いところをいう。
そのへんを落とすというのは結構大変なんです。けれど、どうしてもみんな数少ない木を買いたいから、少しでも値段出して買おうとするのです。それが丸太の値段の高騰につながっています。

★ 木曽のなかでもいくつか土場があるのですか?

 北原:木曽の天然木を扱う土場は、王滝や上松、野尻が主流です。昔から王滝っていうところは良い木だったんですよ。その中でまた今度は赤沢とか黒沢とか色んな場所があるのですが。いま入札で丸太を見るときどこどこの木だからというだけですぐにパッと値段が上がってしまうのです。その上、みんな山の人とのコミュニケーションをとって情報を収集しているので、「どこどこの山は良いよ」など伝える人がいるわけです。専門家だからある程度分かりますから。そこで、そういう情報が入ってしまうとまた今度値段が上がってしまう。それも困ったもので、本当は伏せておいたほうがよいのに、やっぱり良い木が欲しいからそうして山に入っている人間に情報を聞き倒すんです。「どうですかあそこの木は」「あそこの木はいいね」と...。そういう情報網があるんですよね。

★ 確かに業者さんとしてはそういった情報をフルに活用したいですよね。

 北原:ええ、そう、集めたいんですよ。ところが情報が漏れてくると逆に値段を上げてしまうという側面もある。だから難しいんですけどね。本当は黙っていて良かったねという方がよいし、儲かる。ところがみんな木のことを聞きたいばかりに情報が知れ渡ってしまう。逆によくないのですが。

★ 木曽へは競りに年に何度行かれるのですか。

 北原:僕は市へ競りに毎月いっています。前は月に2回あったんです。上松の駅のすぐそばに市場があるんです。ここに市が立って、土場で原木を入札した業者が製材した製品を市に出すので、僕はそこに毎月行くわけです。その他に丸太は丸太で入札は別にあります。丸太が欲しいときは土場の入札の時に行って、製品が欲しいときは別の日に行くわけなんですけど。前は市も朝9時からやっても7時や8時までは競りをずっとやっていたんです。夕方の5時や6時では絶対終わりませんでした。それが今では月に1回になって朝9時に始まって夕方4時には終わってしまうのですからいかに少なくなったことか。メンバーもどんどんいなくなって僕は寂しいですね。昔はもう何百人と来たわけでしょう。東京の人だけでも10人ぐらいは行っていたのですが、今は僕のほかに誰が行くんだろう。本当に向こうで会わないんです。がんばってやっていると思うんですけどもね。ですから僕も毎月いって木を集めるのが大変です。朝から晩まで木から離れられないですから。あるのは全部とってこないと、間に合わないです。

★ 土場で丸太の買い手がつかないということはないのでしょうか。

 北原:もちろんあります。更に問題は、国が元落ち価格っていうのをつけるんですよ。要するに、国の方から「いくら以上でないと売らない」という条件を付けてくるのです。例えば、「この丸太は一本100万円でしか売りません」と、そういう指し値をしてくるのです。それに対して「では、105万だしますとか110万だします」と入札で入れていくのですが、そこで条件値で売れない場合は翌月に一割落とすのです。そうすると100万円のものが次の月には90万円として市場に元落ち価格として出てくるのです。何回か買わなければ、木の値がどんどん下がってきます。

 木の周りの部分にシラタってありますでしょう、あそこの周りの部分には水を吸い上げる部分がありますね。あれを含みきっていないと、木としての価値がなくなってしまうのです。ところが2ヶ月も3ヶ月も放っておくと、その白い部分がみんな腐ってしまう。そうすると価値がなくなってしまうんです。

 つまりはこういうことです。100万円のものが指し値で売れなかったとします。翌月また元落ち価格の90万円で売りますよね。ところが、90万円で売るときにはすでにそのシラタの部分が使えなくなっているわけですから、100万円をきる価値になっているのです。
★ 仏像を作るときシラタを避けてつくりますが、シラタの部分は別の使い道があるのでしょうか。
 北原:ええ、あれはまた別ですね。白い方を使う業者もあります。例えば、漆を扱ったりするときです。障子の細い部分ですと、よくシラタでとるんですよ。あれに漆をかけたりする場合は特にシラタの部分の方が良いという場合もあります。けれど逆にそれだけ頂戴といわれても困るんです。障子の框(枠のこと)って大体九分とか厚さが決まっていて限られた寸法なわけです。それに対して漆かけるからシラタだけくださいといわれると、いやあ、なかなか採れないです。シラタの木を下さいっていわれると、本当にいかにも「使えない部分が売れてああ嬉しいな」という仕事だと思うかもしれませんが、意外と逆なんですよ。大損したことがあります。「ハイ、いいですよ」なんて快諾したら、採れない採れない、ひいてもひいても採れない。そういうこともありました。
★ それではシラタが腐ってしまうというのは大きな問題なんですね。
 北原:ええ大きな問題です。シラタも全部含めて使えるわけですから。例えばカウンターにしても、シラタが腐っちゃったらその周辺部が使えなくなってしまう。やはりそういうロスが出てくるんです。元落ちでもって売れないが為に値段は下がるのですが、丸太の質も下がるということだから、あまり本質的に値段が下がったことにならないんです。やっぱり本当に生きている状態で売れれば一番いいんでしょうね。
★ 製材してしまえば、シラタの部分は腐らないんですね。
 北原:ええ、生きた状態でひいて雨にあてなければ、水分を乾かしておけば大丈夫。一番恐いのは、丸太の段階で雨ざらしにしておくことです。冬は良いです。冬場の場合、普段でも夜は零下5℃から10℃位ですから、凍ってしまってカチンカチンになっていますので、シラタは腐らないんですよ。ところが4月、5月を過ぎてくるとそれが溶けてきて、その部分が今度は腐ってくるんです。また、5月6月になると檜の虫が入るんです。あれが入るとみんな喰われてしまう。梅雨があって、虫があって、夏は雨が降ってとか、腐りやす条件がいっぱいあるんですよね。今は一年中木を伐って売っていますが、木の価値そのものを活かそうとすれば、木は冬に伐るのが一番良いのです。国はそういうことを考えていないんですよ。国の方のシステムでは木の全てを活かしたまま売って価値を高めようということをしていないです。条件の値段にならないから売らないということをすれば、当然、木は悪くなるわけで、つまり木をねかしておくから価値が落ちるというわけだから、その辺を考えていないんですよね。みんな言うんですけどね、「売らなければ木がダメになっちゃうじゃない。5月なんかどうしようもないよ」って。向こうはお役人だから「そうはいっても値段が出ないんだからしようがないよ」って。

★ もう少し木に対して広く知っていただきたいですね。

 北原:そうですね、理解のある人がいればいいんですけど。

★ 北原さんが流通の中で参加されるのはどのあたりからですか。

 北原:僕は土場にも一応顔を出して丸太の相場をしらべます。しかし注文で頼まれたときだけ丸太の状態で買うときもありますが、土場で買っても今は殆ど商売として面白くないので、資材生産業者から製材したもののなかで良いものだけをピックアップして先に買ってしまいます。その後にまた業者が市場へ出してきますから、その中で良いものをまた買います。けれど、それだけでは賄いきれないので、製材工場へ行ってウチにはどういうものが要るのか言っておいてそういう木をおさえてもらって、後日送ってもらうこともします。何しろ少ないですよ、本当に信じられないくらい。昔とはイメージが全然違います。時代の流れですから、しかたないですね。

 昔は丸太を買った方が良かったのですが、丸太が高騰してしまっていますから採算ベースにのってないんです。何故かというと、少ない丸太に対して業者が食いつきますから、業者自身が品物の食い合いになるんですね。そうすると丸太の値段があがる。そして結局、採算割れを起こします。だから今は損する可能性が強いです。全部売りきってはじめていくらかの儲けが出ますよね。しかし、丸太を本当の端材まで売り切るのは難しいんです。そうするとやはり市場があるところで買い付ける方がやりやすい。業者が買って、全部売り切っていくら儲かるか計算してみると、今は殆ど赤字です。年間の決算をみるとひどいものです。

★  木曽の方で製材工場が今何軒あるのでしょうか。

 北原:大きい30センチ以上ある丸太を買う製材業者は6社程度かな。昔は30社ほどあったのかな、それがバタバタ倒れて、昔の数分の1です。僕も本当に寂しいですけど、昨日までつき合っていたのが商売やめてしまったとか倒産してしまったとか、そういう話が一時期すごく多かったです。

 業者の数だけではなくて会社の構成員数も昔60人位いた会社が今は残っているところでも5,6人とか、そういう会社ばかりです。自然淘汰みたいなかたちで減っています。量が少ないものですから、その薄利の中でしか商売として成立しないんですよね。ですから木曽の若い人は名古屋や東京へ仕事に出てしまいますよね。木曽に仕事場がないってことです。木曽自体に産業がないのですから。畑があるわけでもないし。木曽路というのは幅が狭くて本当に山と山との間をはしっていますから人間が殆どいません。産業がないだけに木材がダメになれば、ほかへ行って他の仕事を探すことになります。体力勝負で、何軒残るかっていうことになってしまっています。何十億も借りているところが結構ありますし、そういう話を聞くと耳が痛いですね。担保がある訳ではないから、結局業績だけでもって、お金は銀行が出すわけですから、銀行がパァンと差し押さえるときは大変ですよね。ただし田舎だから銀行の判断はまだ甘いですが。木曽の方は倒産していても、町で気楽に「おう」、「やあ」なんて言っている人もいますもの。

★ 減少のピークはいつごろだったのですか。

 北原:5年位前までですね。ここへきてやっとおさまってきました。でも今残っている業者の人達の話をいろいろ聞くと、それでもやっぱり一寸みんな危ないというような話がまだ耳に入ってきます。開店していなければいけないですから、お金を払うために手形を発行していたりする。そうすると、無理矢理ちょっとでも丸太を買って現金にしなければいけないとか、そういう心情になってます。どうしても買わざるを得ないとか、仕事をしなければお金が払えないとか、そういう悪循環を繰り返しているんです。かわいそうですね。本当に見ていて悲惨ですよ。まあ、木曽に限らず木材業界全体がみんなそうだと思うのですが。

★ 厳しいですね。

北原:厳しいですよ。僕らみたいに切り替えて丸太をちょっとやめて、製材業界にいってみたり、市場へ行って買ってみたりすれば、予め自分がお客さんに売る売値が決まっているわけですから、予定の範囲でぎりぎりでもいいから買っていけばなんとかなります。はじめから赤字覚悟でやっていくやりかたとはちょっと違いますよね。しかし、丸太の場合、ひいてみてパッと割ったら中がひどかったとか、そういうとこがあります。

★ 博打のようですね

北原:そういうとこはあります。昔は、逆にそれがみんな面白かったんです。儲かったんですね、品物が安いし、そして良い木がいっぱいありましたし。今は品物が減ってきて、品質が悪くなってきているわけです。それもまた製材業者を苦しめる一つの理由です。

★ 市場へ毎回来られる方というのは顔見知りですか。

北原:来る方の殆どが何十年もの間の顔見知りです。二、三十年はみんな知っていますから、上の人はもう70歳も80歳もいっていますけど来ている人もいます。先程は木曽の土場に来る方々のお話をしましたが、仕入れに市場へ来る人も若い人が減っています。僕が27、8歳の時は仕入れへ行く者の中で僕が一番若かったんです。そのあとに仕入れに行く若い人がでてこないですよ。

市場で(左から2人目が北原さん)
★ では今でも若手でいらっしゃる。
北原:ええ、もう還暦なんですけど現在も周りの殆どが年上です。

★ 北原さんのところでは檜だけを扱っていらっしゃるのですか。

 北原:ええ、檜が専門ということで始まったんですけどね。いまは多少ちがった木も扱っていますが、それは檜の予算のない場合に外材(外国産材木)の米ヒバとか安いものを代替品として使うといった感じです。時代が変わってきていますので、そういったものを扱わないと駄目なものですから。外材も以前は丸太を買ってきて製材にかけて製品にして売るという仕組みでしたが、今は現地で製材にかけたものを日本に輸入してきています。

★ それはなぜでしょうか。日本にも製材工場はありますよね。

 北原:東京にはもう殆ど製材工場がありません。4軒か5軒ほどです。いまから5年位前までは20軒か30軒程度あったんですよ。それが、急にね。カナダとかアメリカのアラスカとか製材賃が安いんですよね。台湾ですとか韓国とか中国などでも木をひいています。現地でやれば人件費が安いものですから、製材賃を安く抑えて、木の値段も安くできるということですよね。日本に持ってきてひくと一日丸太をひくだけで30万円位とられてしまいます。それが外国では、木の種類によって製材の金額は異なるのですが、大体一日数万円位でもひけるというシステムになっています。ですから、結局現地でひいて、それを船に積んできてそのまま売ってしまいます。

★ 輸送費を考えても、外材を利用した方が安いのですか。

 北原:安いです。船の場合は運賃はそう高くないですからね。だから今は日本人もけっこう現地へ行って、木を日本向けにひき、いいところを日本に送り、日本では使えないものを他へまわすとか、そういうことをやっています。ですから流通自体が昔と変わりました。
★ 先程おっしゃっていた、檜の質が悪くなってきているというのは、どのような原因が考えられるのですか
 北原:やはり伐採地がどんどん山の高度の高いところへ移行しているということでしょうね。低くて平らなところですくすく育った木の方が、もともと木としては素性がいいんですよ。風雨にさらされて厳しい条件で立っている木はそれだけ欠点があります。だから山があったら、傾斜地に入っていくと悪くて、また平らなところに入っていきますと良くて、また今度傾斜に入っていくとまた悪いとか、そいういう波があるんです。傾斜があるところはどうしても倒れまいとしますから、曲がるんです。そううするとそれだけアテとか悪い部分がでてきます。その他にも、木の良い悪いを決める原因としては向きがあります。北側と南向きと山だから両方ありますからね、木は育った場所の方角によっても性質が違ってくるんです。だから非常に難しいです。あとは土壌の質、例えば水の充分豊富なところに生えているところの木だと水分が充分採れて脂気のない良い木がとれるとか、色々な条件があります。だから一概にどこが良いとか悪いとか言えないのですが、なにしろ自然で水が豊富で平らなところにすくすく育った木はやっぱりまっすぐ生えてきますからね。いま環境は悪いですよ。伐採が進んで王滝村やら知っているところを今みると大木が生えている場所はもう高度1200メートル位のところまできてます。檜は、大体1700〜1800メートル過ぎると生えていないんです。昔はちょっと立ち入れば立派なのがいっぱいありましたが、現在はどんどん山奥へ入っていくんです。

★ では、今はちょっと山に入ったところは殆ど人工の植林ですね。

北原:ええ、国道なんかを走っていて、パッと見ると綺麗に並んでいるのがありますが、あれはみんなもう人工林です。植林した木です。

★ まだ若くて伐れないような木ばかりなのでしょうか。

北原:人工林の場合は、育ちが早いんです。肥料をあげてどんどん大きくしますから。天然木は、条件的にはそのような栄養とかをあげるわけにはいかないですから、自然に育つのを待つわけです。冬場はマイナス10℃以下になるなど厳しい条件下で育っていますから、結局年輪がつんでいて密度が良い木ができるわけです。彫刻などに使われる天然木の木目は本当に綺麗でしょう。あれが人工林の木でつくると、これ檜?って感じるくらい目が粗いですよ。どうしても育ちの早い木というのは、年輪が粗く木目が目立ちますから、彫刻などには不向きです。建築のようなものに使われることになります。明治頃に植林した人工林の木は、今、どんどん伐ってます。100年位すれば殆ど伐れますから。その替わり、そういうのは柾目にはひかないんです。目が粗いから板目にひきます。そうすると目が粗くてもあまり影響ないですからね。柾目というのは目の幅が幾つか重視して見ていきますから、どうしても人工木の方が劣ってしまうんです。細かい目がつんでいるのと、粗い目でできているのとでは、当然強度も違うでしょうね。

★ その他に、材の悪化の原因と思われるようなことはありますか。

北原:営林署のやっていらっしゃる手入れのやり方をみると、労働時間なんか違いますよね。民間の自分でやっている人のところでは、一生懸命夕方まで働いてますけど、営林署で働いている人というのは朝9時に出勤して山に入って5時には帰れるようにちゃんと山を出てきますもの。あの辺の視点が違うんですよ。自分の物なら絶対山に入ったら最後まで働いていますよ。ところが営林署は国の仕事だから役人さんと同じで、「じゃ5時で」って帰ってしまうのです。そこが昔とは違います。昔の人というのは弁当持って奥へと入っていって、枝打ちして遅くまで働いて帰ってきたんですけどね。そうするとどんどん要らない枝を落としていくから節もなくなり、栄養分がまわって結局は良い木になります。でも今はもう殆どみんな国のものだからサラリーマンと同じ意識なんですよ。自分のものだったら一生懸命頑張ります。そういうところがちがうのでしょうね。勤務時間内に仕事を行うという役人さんのシステムですからしようがないですね。

★ 国有林を民営化させる話はないのですか。

北原:そうすれば機能するかもね。要するに国のものだから意外と扱いも事務的なんだよね。だから、結局日本全国見ると国のやっていることは経費が赤字ですものね。

★ 北原さんの会社の方は木材を常備しておくのですか。

北原:初めからこういうものが欲しいといわれて買ってくるものと買い置いておくものとあります。例えば、寿司屋のカウンターとか、ああいうものはすぐは売れないんですよ。製材しても結局、2年か3年寝かせて、ある程度乾かさないと伸縮がありますから狂っちゃうんですよね。カウンターがひねったり、長さが縮んだりします。だからそういうものだけは置いておいて寝かしておきます。古いものから順に売って回転させていきます。特殊な注文の場合は、注文を待ちます。彫刻なんかでも本当はある程度乾燥させてからでないといけないと思うのですが、僕らの方はそういった余裕がないんですね。

今は入っても在庫が残らないんです。昔はそんなことなかったのですが、今は頼まれていることが多くて、木曽から買ってきて振り分けて全部売りきってしまうまで十日もないです。色々な注文があってそれを全部前どりしなくてはいけなくて、結構大変です。ユーザーさんの方でも材の乾燥に気をつかって、購入してからもある程度乾かしておいて使ってくれているとは思うのですが。

 だから一番の悩みは乾燥です。いま人工乾燥というのもあるのですが、そこに入れてしまうと「木の繊維が死んでしまう」っていうんですかね、カサカサなんですよ。刃がスルッといかないんです。バリバリって言う感じです。あれだけ高熱でもって一気に乾かすということは木に対しては良くないですよ。だから一番いいのは寝かせて数年置いておいて、そして、乾いてから使っていくというやり方なんでしょうけど。ただ、それだけの余裕がね...。置いておくというのは場所も要りますから。僕らもなるべく全部置いておいて乾かすのですが、大体半年ほどすると必ず売りに出さなければならない。ただ、ひいてすぐよりはずっといいですけどね。削る前に割れてはまずいですから。切り口から乾燥してどうしても割れるんですよね。本当の乾燥した木というのは仕上げても何しても割れないです。ただし、いまどこでも冷暖房使うでしょう、だからよく割れてしまうんですよね。それでも檜は狂いの少ない木ですよね。おそらく木の中でも性能的にはナンバーワンでしょうね。他の木では、粘り気とか狂いとかでてきます。そういうことに関しては檜は最高のものだと思いますよ。みんな他のものにかえてみては、やはり檜に戻ってきますよ。檜を使って、他の木をやったけれどダメだったって。外材などは、本当にもう何センチも長さが縮みますもの。ところがあまり檜の場合は縮まないですよね。建築でも何でも傷まないの。まあ、それだけ年輪がつんでいてこういう良い品種は他にないでしょうね。他の外材なんてタテに縮みますから。
★ そんなに木材はタテにも縮むものですか?
北原:縮みます。いま米ヒバという木もそこにありますが、この木をおいておくとグンと縮みますね。ハッキリわかります。ですから造りたてのときは良いのですが、しばらくしてくるとぐーっと木があいてくる。しかし檜は日本の風土に適しているというのかどうかわからないんですけど、丈が詰まらない。他の木でやると、ガタガタになってしまうんです。僕の家も今のマンションをつくる前はそういう家だったんですよ、檜とか使って。本当に何年経ってもその雰囲気は変わらなかったです。もともとあれは70年もしたらよくなるんですよね。木自体の性能が、丸太を伐ってから70〜80年位してからの方が強度が増してきていいっていいますよね。千年の檜は千年もつって昔の大工さんが言ってましたものね。だからやっぱりそれだけ古い木はそれだけの寿命があるということでしょう。

★ 北原さんのところでは、檜は人工林は扱わず、天然木だけを扱っていらっしゃるとうかがいましたが。
北原:ええ、うちは天然木だけです。人工林のものは扱わないです。人工林の場合は柱一本だけで終わってしまいますからね。人工林の木は建築主流ですね。木曽檜を扱ううちの場合、予算的に建築主流自体が無理だと思っています。ただ、人工林が悪いとは思っていないんですけどね。うちでの用途がないんですよ。建築の場合、金額と使い道を考えると、他の木で間に合ってしまうんですよ。何も木曽でなくても吉野檜とかでもいいわけですから。一般の大手の建築会社の檜というと、木曽檜ではないことが多いですね。尾鷲(三重)とか吉野(奈良)とか色々な類の檜を使っています。安いんですから、あっちの方は。

★ 全然価格が違うのですか。

北原:ええ、違います。だから檜というだけでは一概にひとくくりにはできないんです。木曽檜の価値というのは大きいから価値があるのであって、細いものだったら日本中どこにでもあるんですよ。だから業者がうまくやっているのは、檜っていって宣伝していますけど木曽檜ではない場合が多いですよ。殆ど吉野とかあっちですよ。あとは地のものとか。そうすると値段はグンと落ちますからね。

木材に貼られている表示ラベル

★ 大きさはどれ位ですか。

北原:大体人工林で24センチから30センチ位までいけば大きい方ですよね。
★ 天然の木曽檜は大きいものに価値があるとのことですが、吉野の方でも放っておけば大きくなるというものでもないのでしょうか。
北原:ええ、結局大きくなりますが、あまり大きくしても意味がないんですよ。もともとが柱をとるっていう目的が主流ですから。4寸角ってありますよね、太くて4寸で細ければ3寸5分ですよね。ということはそれほど大きくない太さの丸太であれば大体採れちゃいますから。大きくしないです。4,50年サイクルでどんどん伐っていきます。そういう風にあちらの方は決めているんでしょうね。大きくして40センチや50センチになるまで待てないってことでしょう。300年待てないでしょうね、きっと。木の弱点は、年数が200年も300年もたたないと大きい木ができないっていうことですよね。それが一番の僕らの問題ですよ。みんな細い木を使ってくれるだけの商売だったら僕らはなにも悩まないんですけど。ここまでの大きさにするために200年待っていたら、こっちの方が先に死んでしまいますからね。
★ 檜の質としては木曽以外のところでも、天然木であれば大きさはともかくとして、目のつまり方というのはどちらも同じですか。
北原:いや、もう全然違う。年輪がもう違います。結局木曽はそれだけ成長が遅いんですね。寒さと土の質ですか。育ちが悪いということです。その代わりそういうところで育った木はそれだけ品物が良いということになるんでしょうね。暖かいところでぬくぬく育った木はどんどん大きくなりますが、そういう木は僕らから見ると質がちょっと良くないなど、そういう欠点がやはりあります。
★ では寒さを考えれば、木曽に限定しなくても東北の方とか北海道の方はどうでしょう。
北原:あっちは檜はないですものね。大体青森の方とかはヒバ、秋田県へいくとスギだとか木の種類が決まっています。檜は大体関東から西の方ですよね。だから檜というと九州にもあるし四国にもあるし、結構あちこちにあるんです。その中で木曽は、たまたま300年間位かかって大きくなった木があるものですから貴重がられているんでしょうね。でもどこでもあるんですものね考えてみたらね。秩父の方へ行ったって、青梅の方へ行ったって檜っていえばあるんですよね。ただ、どこが違うのかっていうと全然違うんですよね、やっぱり。
★ 木曽が一番良い条件が揃っているのですね。

 北原:ええ、その代わり山も深いですけれどね。

★ さて、現在でも檜といえば、檜舞台や総檜の家など、建築物をイメージする方が多いと思います。北原さんの扱われる木曽檜は何に利用されるのでしょうか。

北原:昔は建築物だったのですが、いまは特殊用途にかわってきました。仏像彫刻や卓球のラケット、仏壇の飾り物ですとか、そういった特殊なものにかわりました。値段があがりすぎて、一般建築には一寸使えなくなったんです。

★ 用途によって木の使われる部位はちがってきますか。

北原:ええ、全部用途が分かれています。卓球のラケットは薄いので、目が直角でなくては木が反ってしまうんです。ですから、極端にいうと、丁度木の真ん中の部分しか使えないんです。

★ 非常に限定された部分ですね。

北原:彫刻の場合ですと、木の柔らかい一番良いところでなくては、脂がふいたり、色々な事態が生じてきます。節のある部分は、カウンターなどに使います。木は太陽に向かって生えていきますから、大体日の当たる日面(ひおもて)には節があるんですよ。だから、北面の日裏(ひうら)はあまり節はありませんね。節のない特別よい方を彫刻などに持っていって、枝の出ていく方の部位は節だらけのカウンターとか、そういったものに主に使います。

★ 無駄なく使われているのですね。

北原:今はもう貴重品ですから、殆ど捨てるところはないです。あとは、製材機でよくひくと出てくる木の屑のおがくずは、ティーバッグみたいにしてお風呂に入れる入浴剤のようにして最後には全部使ってしまうのです。檜を扱っていてその長所というとやはり、捨てるゴミが出ないというところですね。最後の最後まで使い切ってしまうゴミの出ない優れた木です。

★ 神社仏閣が建てられるときは、檜が今でも使われているのではないのですか

北原:いま神社仏閣の建築は、芯持ちを使う以外では、檜を使うところは殆どないんじゃないかな...ということは大きな丸太のものは要らないってことです。そういう大きな丸太の需要があればこちらに注文もくるんでしょうけど。本当に高いものの注文はきますけど、それはもう日本全国で滅多にないです。天然の良いものを見積もっていきますと、見積もりの段階でもうびっくりしてしまいます。一本で100万円だとか200万円とかいってしまったらとてもじゃないけれど決まらないですよね。今は本当に高級品で神社を造ろうという人はあまりいないです。お寺さんも今は景気が悪いせいか檀家さんが集まらない、予算が集まらないっていうふうに言ってましたね。だから結局大きくて良いものを使えないから、昔みたいに芯をずらして半分の節のないところで使うというようなことはしません。芯去りのもので採っていくとなるとちょっと不可能ですよね。今生えている木は30センチ40センチが中心ですから、そうすると半分に割ったら、大したものがとれないですよね。ですから、そういうものは諦めて芯をいれたまま使っていくというやり方に変わっています。背割りを入れれば割れもこないですしね。どうしても檜を使いたいっていう人だけは、芯持ちのものを使って神社仏閣を造ることになります。しかも今は節を入れて使うようになっていますし、芯持ちを使えば比較的安いです。柱でも大体5寸から6寸位ですから直径の小さい丸太が多いです。そうすると人工林が主流になります。僕は人工木は扱っていないですから、そういうものは産地へ行って芯持ちで造って下さいということになります。今はお寺さんも鉄筋が多いですから、まともに木を使っているところは少ないです。あと、「はりもの」をつかっているんじゃないでしょうか。要するに柱なんかつくっておいて木で包んでしまうというやり方ね。大きな木でもたくさんあれば神社などの建築物もどんどん作るのでしょうけれども、どっちにしても絶対数が足りないからそこまではもうできませんよね。伊勢神宮で目一杯なのではないでしょうか。特殊な例ですが、伊勢神宮は、はじめから遷宮を予定して、木を選んで伊勢神宮用として注連縄して保存しておきます。そうして20年に1回の伐採のためにとっておきますね。もともとあれは国の方の木をまとめて持って行ってしまうわけですが、これからは民間を探さないともう間に合わないです。僕らのところにも話がくるんですよね。伊勢神宮自体が全部を檜で賄うことがちょっと不可能に近いものになってきていますから、あと20年位したら伊勢神宮を檜で造るっていうのも危ないんじゃないですか。材がなくなってしまうんじゃないですかね。(*註釈5)
★ 材がなくては遷宮できなくなってしまいますね。
北原:大きいものは、例えば、「はる」とかそういうふうにしなくてはできないのではないでしょうか。今でも伊勢神宮の木を集めるのは、もう必死ですものね。結構大きいものを使いますから。60センチ70センチ位の木なんて、いま行くと殆ど無いです。一つのところへ見にいったら全体の中で一本とか二本。昔は何百本とあったのに。いま山で伐採できるところが上へあがってきているからどんどん木も小さくなりました。

★ 天然のものがなくなるのも近いような感じですね。

北原:いや、それを保たせるために伐採量をおとしているんですよ。今と比べてそれほどには数は落ちこまないと思いますけどね。これ以上おとしたら業者の商売が成り立たなくなって更に減少してしまいますから、そんなことをしたらまずいわけで、売る先がなくなったら国も困ってしまいますし、そういう点ではそこまではしないでしょう。あとは製材業者が生き残るのに採算ベースに合うかどうかという問題が残されています。今の檜の業界で丸太をあれほど高く買って損して売っているようではそっちの方が心配です。業者の方がやっていけなくなってしまう可能性がありますから。ゼロになる心配はないですが、どこまで現状維持で頑張れるかという感覚で見ています。もう1年すれば、国からまた5カ年計画の伐採量が決まります。来年の3月頃には大体わかっていますよ。

★ 希少価値の檜をはりものにして利用するのも時代の流れですね。

北原:ええ、お寿司屋さんのカウンター板も、昔は大きな一枚板でしたが、今では「はりもの」の方法をとっています。先程言っていた神社の柱と同じです。無垢だと何百万もかかるわけですから、それを安くしようと思えばそういう紙切れみたいにして張っていかないと、安くならない。それだけの加工技術もあるんですよね。割合くっつけてもなかなか狂わなくなり、糊もよくなっています。どうしても薄板を張ったものではイヤだという方もいらっしゃいますから、そういう本物を使いたいという寿司屋はやはり無垢を使います。しかし、いまある程度値段を安く食べさせるには、一個の単価を落としていますでしょう。そういうところは、薄いはりものでやっていますよ。また、いつも新しいままの感じをだしたいので、安いもので作っておいて、5年したらまた作っていくということをやっています。サイクルを短くして単価を下げるというふうに変わってきました。これも時代の流れですね。しかし、その薄いというのが結構難しいのです。薄くする木というのは裏にも節があったら拙いからなかなか数がないんです。そんなものめったになくて、何百本に1本位しか裏にも節が無いものなんてないですから、それを探すのが大変です。天然木というものは結局雪の重みでもって枝がポンと落ちて、それで節がおっこちた程度のことで、枝打ちしている訳ではないからね。それに、木の場合は中が見えないから、ひいたときに節が出るか出ないかなんてことはわからないわけですよ。年輪でもって外側の枝が落ちれば、そこで節がとまります。ところが、どこの箇所までその枝節が入っているかわからないから、製材したときにポコッと出てきてしまうことがあるんですよ。結構そこを読むのが難しい。僕たちは目で見て「出そうだな」とか大体わかるんです。節の位置とかあってね、こういう節はでかいとか。途中で節のなくなる死に節は浅いとか。だから外観で判断するのですが、あとはもう中をみてみなければわからない。節がよめれば上手く使えますよね。けれど、たまに死に節でも中までしっかり入っているのがあるんですよ。これは大丈夫だろうと思って買ったら深かったり深いだろうと思ったのが意外と浅かったりしてけっこう難しいです。買うときでも5メートルくらいの木を4面とも回して、その数秒のうちにこの木はどうか判断しなければいけない。何十万何百万するものを一瞬のうちに「買ってやってくれない?」とか言われて買うわけですからこれはちょっと恐いところありますよね。初めの頃はイヤでしたけれど、そのうち慣れてしまうとなんともなくなっちゃうんですけれどね。

★ 早くにお父様を亡くされて、若いうちから御一人で見て判断されてきたのでしょうか。
北原:ええ、仕入れは全部一人で。もちろん社員の協力もありましたから、それで何も分からずに始めたんですけど、やはり研究はしましたよ。わからないところは素直に言った方がいいから、どんどん聞いてね。26,7では青二才だからみんな教えてくれましたので、助かりました。やる気があれば割合覚えるのも早いです。けれど、やはり嫌なことありますよ。失敗したこともありましたけど、次失敗しなければいいんだから、ってそう思いながらやっていけば割合面白いです。失敗を恐れたら出来ない商売ですから、多少の失敗は仕様がないです。だから僕は檜の仕入れって面白いと思います。

<註釈5>

 伊勢神宮の遷宮:20年神殿が造り替えられる神事。木曽檜が用いられるようになったのは14世紀半ばからといわれている。内宮、外宮をはじめ、その他14の別宮の造営に要する檜材は原木で3万6000石(1万立米)、本数で1万3000本。いずれも大径木を用いる。例えば昭和40年の選木の際は、以下のような条件があった。

1.御神木は南面に生育し、近辺に清水があること

2.樹幹は真っ直ぐで四方無節の一等材とし、厳しい寸法条件を付している。

3.内宮と外宮は一定の距離を保ち、伐採の際は、内宮材と外宮材が交差して倒されることになること


20年に1度遷宮の年に木曽で催される伊勢祭の風景

★ いまの木材業界全般の現状についてはどのように御覧になっていますか。
北原:いや、木材業界は今もう最悪の業界ではないでしょうか。木の比率自体が、日本の建築の一割ないんじゃないでしょうか。つまり、木材代金としての比率っていうのが、例えば予算1000万円の建築物であれば木の使う分は100万円ないんじゃないかな。見えない部分のところに使うくらいで、木を用いる部分が殆どないと思います。みんなもうプラスチックみたいなものを枠材とかに張ってしまうからね。今は糊でビニール系のものを張り付けてしまいますから、古くなったらはがしてまた見かけよく糊でパッと張ればいいでしょ。新品になっちゃう。木だと外してまたつけるのが大変でしょう。そうするとマンションなどは、ああいうクロス張りで十分なものですから最近はみんなそういうふうになっちゃった。フローリングなんかもベニヤ板みたいなものをただ集めるだけですからね。...ということは木の比率は凄く低いということです。

★木の価格が高いということではなく、効率が悪いということですか。

北原:結局代替えするときには木だと楽ではないのです。かっちり嵌めてしまっていますから。これを取り壊して作り替えるというのは大変なことです。が、今の枠材などは周りをびゅーっとまくだけでできてしまう。壁ならクロス張にしてしまえばいい。それで、あとははがしてまた張ればいいというやり方です。ところが、木の場合、一つはがすとなれば全部はがさなければ駄目ですから、そうするとまた今度新しくつくり直さなければいけない。あのクロス系の張りものは安いものです。本当に見せてもらってびっくりするくらい。部屋を見た感じでは新品の家ですよね。けれど中の方は「ああいう風になっているのかな」と想像してしまいます。ただ、次に入る人のことを考えるとその方が良いといわれてしまう。結局いまは、無理して木のものを造って何年ももたすのではなくて、綺麗に見せるものを張ってどんどん変えていくという風な流れになっています。ですから、木材の出番も減って、木材の家をつくる建築企業が減るのではないでしょうか。

だから今の日本の建築などを見ていても、どちらかというと木の文化とは逆の方に向かって行っているような気がしますよね。本躰にしてもなるべく木を使わず、枠を鉄骨で組んじゃってそのままブロックでパパツと造ってしまうところがいっぱいあるわけですから。今は、ああいうのが主流になってきてしまってます。

★  本当は、木は体にもいいんですよね。

北原: 木は水分を吸ったり吐いたりして、ある程度湿度を保ったりして調整してくれるわけですから。ところが今のプレハブ型住宅ですと、暖房をガンガンつけてしまったら空気が乾燥してしまう。檜を使いこなせないというのは、つまり今はみんなそういった木の良い点を知らないんです。だから見かけをよくするのにクロスみたいなものを張って、これが良いという人が増えてしまっています。それから、昔のようにあぐらかいて生活する人があまりいないですよね。みんなどちらかというと椅子の生活だから、和室の障子戸のついた畳の家というのは、いま少ないと思うのですが。東京は特にね。それに、どうしてもそのプレハブの宣伝の影響もあります。大手がやってくるとそういった宣伝力などにやはり勝てないものがあります。

 建築の枠組に木材を使用するにしても、今はプレカットといって産地でもって丸太をポンとひいて削って全部もはいった柱をつくったらそのまま現地へ持っていって組み立てるという組立工法です。あれは本当に早いですよ。この場合も一応人工乾燥に入れていますからそんなにも狂わないと思いますし。だから昔の大工さんがいなくなってしまいました。削る人なんていらないですもの。いまは大工さんでも鋸を持っている人があまりいないです。ですから将来的にはそういう腕のある人は減っていきますね。
★ このインタビューを企画している「木の文化と造形フォーラム」はそれをなんとかしようという趣旨もあるのですが。職人が少なくなってきたというのは深刻ですね。
北原:職人を育てないと駄目なんです。最近では、建築屋さんが「削ってくれ」って言ってくることがあって、僕らはびっくりしますもの。何しろ僕らは材木屋さんだから建築する人に削ってくれと言われて困ってしまいます。お客さんが「神棚の板を削ってください」って言ったら、自分で削れないからどこか削れるところ知りませんかということになってしまうのですから。専門分野の人が自分でできないというのは困りますよ。周りにも職人さんはいるんだろうと思うんだけれど。これからの日本文化を考えたらああいう人たちが必要だと思うんですけれどね。機械が発達し過ぎてしまいました。人間のやるところをなるべく減らして機械で大量生産し、値段を下げようという考えでやっているんでしょうけれど、逆にその代わり人間がつくるような繊細なところができない。面白味がないばかりでみんな同じようなものになってしまいました。腕のある人達はみんな辞めてしまいましたよね。以前と比べたら「あそこの職人さんはどうしたの」っていったら「もう年金暮らしになっちゃった」とか「もう辞めちゃった」とかそんな話ばかりです。外国はどうなんでしょうかね。外国では建築関係者はどうやってやっているかと思うのだけれど、まあ、向こうはペンキを塗ってしまうから木に対してそんなに日本人ほど愛着は無いかも知れないね。

木曽の中でも半分裸に近い山などありますか。それともやはりどんどん植林しているのですか。
北原:ええ、植林はしています。伐りっぱなしということはないです。ただし今は、新しい苗を植えてもカモシカが食べてしまうんですよ。ニホンカモシカがいるじゃないですか。いま日本の国の天然記念物として動物保護などで知られていますね。あれが増えてしまって木の芽なんかみんな食べてしまうのです。ですから矛盾しているでしょう。方や動物殺すなっていっていながら、方や木を植えろといっている。それでいて、木の苗食べられてしまう。こういうところが本当にまとまっていないというか...今だいぶもめているみたいですけれどね。苗を食べてしまうのをやはり何とかしなければ駄目だということで、増えたものはしようがないということで頭数制限をするのではないでしょうか。

★木材業界の中でも檜、とりわけ木曽檜はやはり特殊な扱いですか。

北原:大径木で質が高く絶対量が少ないから。伐採を計画的にやっていれば、そういうことにはならなかったのかもしれないけれど。伊勢湾台風のあとの乱伐がありましたからね。伐れば儲かるということで国の方もぼんぼん売れるから、次々売っていきました。国の方にはお金がかなり入ったのではないでしょうか。木曽は昔から黒字ですからね。黒字の営林署はそれほど多くありません。日本中で他の産地などは、赤字だらけです。儲かっているところなんて余り無いと思いますよ。木曽では高い物を売っているから黒字なんです。まあ高く売るのは、ここで元を取ってしまわないと、他の営林署での赤字を埋められないという理由もあると思うのですが。木曽は、日本全国のなかでここがもう唯一の収入源。昔はここの黒字分は凄かったのではないでしょうか。木曽のこういう木が黒字で他の県が赤字としますね。それで相殺してしまうと、日本全国の木材の赤字度はたいしてなくなる計算になります。これはつまり、木曽のようなところでもって儲かっている分で赤字を補填しているだけのことで、もしもこういうところが駄目になってしまった時はみんな一緒に駄目になってしまいます。あれだけの職人を使って、黒字で出すのはなかなか大変なことです。昔の秋田みたいなものかもね。秋田杉は一時期凄かったけど今は殆どないですからね。二の舞にならなければいいけど。
★ 檜産業の今後の展望についてはどのようにお考えでしょうか。

北原:檜は、一般建築の需要が減っているという現状があります。ゼロではないですけれど、やっぱりその市場はどんどん離れていっているというは明らかですよね。この原因は値段的なものです。安くなければ今の市場では認められないということです。他のもので間に合わせられるような、割に合わない高いものは市場から追放されていきます。ですから、檜の場合、檜でなければいけないというものだけが市場に残るわけです。つまり、檜が、その特質を活かした用途に使用されるためには、大きい材でなければ価値がないということを意味します。檜の細い丸太は他の安い材にとってかえられてしまう。ということは、いまの檜は建築には向かないということになります。昔はよかったんですよ。いまは鴨居一本四万円ですよ。四寸の鴨居が4万円といったら高すぎて使えないんじゃないでしょうか。「柱一本十万円です」といったら今の日本の建築には金額的に使いこなせないですものね。細い丸太で節を使ってくれれば、それが一本5千円とか1万円になってしまうのですが、節のない良いものを建築材として買うと、大体10万円とか20万円とかになってしまいます。お金持ちもいますが、そのお金持ちが檜を使うかというと、今の若い人って割合そんなに木にこだわってないですからね、檜だとか杉だとの違いも全然知らないと思いますよ。ということは将来このままいけば、木に対する知識はおそらくそんなにもってないから、意外と一般のもので間に合ってしまうのではないでしょうかと思うのですが。ですから下がベニヤでクロス張りで充分なのかなとも思います。昔だったら家をつくるまでに1年はかかりましたが、今は2、3ヶ月あればみんなできてしまいます。それもベニヤを一気に打ち付け、その上にクロスを一気に張り付けたら終わりですから。驚きますよね、あの速さには。だからあまり永く使うつもりはないのでしょうね。もう10年20年使ったら、また新しく造ればいいやという感じで造っているとしか思えないです。

 そういうわけで檜は少ないですからそんなに普及するというわけにはいかないから、いかに大事に使っていくかという方向にむかっていかなけなければ駄目ですよね。どんどん木が出てくれば良いのですが今の状態では期待できないので、いかに付加価値をつけて良い木を大事に使っていくかということが大切になっていくことでしょうね。

★ そのためには職人さんたちのいい腕が必要ですね。

北原:そう、木が活きますからね。全然違いますものね。上手い人の削ってる木は仕上がったときの感じが全然違います。

★ なかなか難しい現状が立ちはだかっていますね。

北原:そうですね。そうだと思います。ですから日本の方針でも変えなければ、木材自体が将来的に面白いとか伸びていくとかそういう要素はあまりないかもしれないですね。木造建築でも推進しないとだめかもね。

北原材木店内の様子
 このたび北原さんよりお話をうかがい、木材産業の様々な現状がみえてきました。木材全般に於いては、外材の進出、木造建築の減少、職人の不足、そして木曽に於いては、木の品質の低下、国有林の手入れの甘さ、入札価格の際限ない高騰と業者の苦しい現状、植林と獣害の矛盾など、問題は数多く挙げられます。日本の木の文化を支えてきた流通そのものに危機感をおぼえずにはいられません。木材全般の建築利用の見直しや木曽檜の管理のありかたなどを解決するためには、国がより真剣にこれらの問題に取り組む必要があることを強く感じました。
聞き手:渡辺友紀子(2005年春取材)

参考文献:

『王滝村の森と自然』(王滝村)
『山と木と日本人』市川健夫(日本放送出版協会)
『木曽の森林鉄道』(銀河書房)
『木曽の市売』(木曽官材売協同組合)
その他、林野庁中部森林管理局東濃森林管理署HP


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