<第二回>
堂本: 「それでは今回は老化させたヒノキでバイオリンをつくったお話から聞かせていただきたいのですが、これは先生の『木材の老化』という研究テーマの中でのことでしたでしょうか。」

小原: 「そうです。まずこの『木材の老化』の研究を始めた当時は、敗戦間もなくの頃でね、私は兵隊から帰ったばかりで、あまり勉強もしていないで30代を迎える時だったのですが、たまたま教職に就くことになりました。それで何か研究を始めなくちゃならないというので、いろいろ模索したうえに『木材の老化』研究をやることにしたんです。当時は実験を始めようにも機器はないし研究費もない、ないないづくし。ちょうど木材はお寺などの修理が始まった時でしたから、そこをまわって古材をもらってきたんです。10年ほどかけて飛鳥から徳川時代までの間の建築古材を、約100個ほど集めてきて、木材の材質は長い時間でどのように変わっていくかを調べているうちに、いろいろなことがわかってきました。」

堂本:
「木は伐り倒されてから2〜300年までの間は、曲げ強さや硬度が上昇して強くなるということは、法隆寺のヒノキについて調べた結果でしたね。」


ヒノキの強さの経年変化

小原: 「そうです、ちょうど学校に強度試験機が設置された時でしたから、強さの変化から調べたんです。ヒノキについていうと300年くらいまでの間は硬く強くなるが、それと平行して衝撃吸収力は低下するため徐々に脆く、割れやすくもなっていくということです。しかし法隆寺の建築材の強さは、全体としては創建当時とほとんど変わっていないと考えてよいということになります。」

堂本: 「その強度が一度増すという現象は、ヒノキなどの針葉樹以外の広葉樹についても同じように言えることなのでしょうか。建物にはケヤキを使っている所もありますね。

小原:
「広葉樹の代表としてケヤキを例にとると、新材の時にはいずれの強さもヒノキの2倍あります。しかしこちらは始めから右肩下がりに強度が減少していくのです。全体的に劣化の速度が早いので、数百年を経ないでヒノキよりも弱くなってしまう。これは木材の強度を支配する組成分であるセルロースを保護するリグニンの層が薄いので、崩壊に対する抵抗力がヒノキよりも弱いのです。その崩壊速度は5倍程も違います。言い換えると、ヒノキの500年間の老化はケヤキの100年間の老化に相当するということになります。」


ヒノキとケヤキの強度の経年変化の比較

堂本: 「同じ木でも針葉樹と広葉樹とでは進化の過程が違うということを前回教えていただきましたが、老化の仕方にも違いがあるのですね。ところで、そのような実験結果からバイオリンづくりに至るにはどういういきさつがあったのですか。」

小原: 「これまでにお話ししたように、木材の老化とはどんなものかというおよその見当はついたんですれども、その考え方の正しいことを証明するには人工的に古材をつくる実験をする必要があります。老化とは簡単にいえば常温という極めて緩慢な熱処理による酸化と考えてよい訳ですから、木材を低い温度で長い時間をかけて熱処理すると、古材と非常に良く似た性質になることがわかって来たんです。そんなことから、京都の峯沢峯三さんというバイオリンづくりの名人との出会いがあったのです。」

堂本: 「峯沢峯三さんといえば、有名なバイオリニストの辻久子さんのバイオリンをつくられた方ですよね。」

小原:
「そうです。これは昭和30年ころの話ですが、峯沢さんはヒノキは世界に誇る良材だからこれで名器をつくろうとしたが音が柔らかいのでその対策に苦心されていた。そこに私がちょうど京都で木材の老化の研究をやっていることを聞いて協力を求めて来られたんです。

木口断面の顕微鏡写真

私もバイオリンは古くなるほど音が冴えるというが、それが証明されればと興味があったのでお手伝いを引き受けました。まず木曽の製材工場からヒノキの丸太を取り寄せ、柾目板を4枚木取った後、1枚を残してあとの3枚を50年、100年.200年を目標に人工老化させました。この時は低い温度の乾処理でしたから随分と時間がかかりました。ごく大まかに言うと、常温で1000年かかる老化を再現するには、70度なら500日、100度なら10日ほどで人工古材になるはずです。しかし高温でやると想定外の弊害が伴う恐れがあるので、音を良くするにはなるべく低い温度で長い時間をかけた方が効果的です。そんなふうにして出来た人工古材板を使って峯沢さんはバイオリンをつくったのです。」

堂本: 「どんな音色だったのでしょうか。」

小原: 「私は音楽のことはわかりませんから峯沢さんから聞いた演奏試験の結果の話をしますと、長時間処理のものほど音色が良かったそうです。つまり200年処理のもが1番良い音が出たということですね。」

堂本: 「その音色を聞いてみたいものですが、今そのバイオリンはどなたかがお持ちなのですか。」

小原: 「200年処理の人工古材バイオリンはアメリカの演奏家が買って行かれたそうですよ。それから峯沢さんの話の中で一番おもしろいと思ったのは、ヒノキでつくったバイオリンは和風の響きがするということでした。もともとバイオリンはヨーロッパ産のトウヒ(唐桧)を腹板として使い、カエデを背板に使用している。その樹種も形も16世紀後半に決まって、それ以降は近代化学の改良案も寄せ付けないほどに完成した手工芸の結晶です。だから他の樹種におき換えてつくることが難しいのはよくわかります。それにしても日本のヒノキでつくったら和風の響きがするという話を聞くと木はやはり生き物だとしみじみ思いますね。」

堂本: 「本当ですね。木も生まれ育った風土で使われたとき、その土地に馴染んだ音色を響かせるのでしょうか。別の話ですけど、スペインに留学した知人が日本にいる家族から大好きな和菓子を送ってもらったそうですが、その大好きなはずの和菓子が、スペインの乾いた空気の中ではちっとも美味しくなかったと言うのです。反対に日本で食べたらむっとくるようなラードで固めたスペインの粉菓子がとても美味しかったと。バイオリンの音色の話もそれに似ているような気がしました。」

小原: 「そうだよね、僕もようかんはスギの箱に入っていた方が美味しそうに感じるし、すしはヒノキの一枚板の上で食うとより美味しいと思う。」

堂本: 「やっぱり回っているのとは高級感も違ってきますしね。」

小原: 「寿司屋のおやじさんは、あの白い木肌を美しく保つために毎日苦労をしているけれど、あれも木肌の持つ神秘性に魅力を感じているからでしょうね。それともうひとつ、建物をつくる時も鉄やコンクリートで建てた時でも、出来上がると正面の入り口には、ヒノキの一枚板を削って墨太に「○○省」なんて書いた看板をかける。雨ですぐに汚れることはわかっているが、それでないと完成した安心感が得られないんです。」

堂本: 「あ、本当ですね。先日、相撲部屋に新しくかけられた看板もケヤキの白木の板に「○○部屋」って墨書きされていましたね。しかも白木の質感を保つためにガラスケースに収まっていました。」

小原: 「ビフテキの肉はステンレスの上で切るが、刺身はヒノキのまな板の上でなくては駄目だよね。ビフテキの味と刺身の味の距離は、金属と木材、西洋と日本の違いと言っていいんじゃないかな。もうひとつ言い変えれば、広葉樹文化と針葉樹文化の違いでもある。針葉樹と広葉樹は進化の過程も老化の仕方も違うという話を先程したけれど、それは東西の文化の違いにおき換えることができると思いますね。」

堂本: 「それはどういうことですか。」

小原: 「具体的に例をあげると、私たちが洋風の建物の内装仕上げや家具をつくる時に使う木材は広葉樹ですが、和風の伝統的な建物をつくる時は針葉樹でなくては駄目です。このように針葉樹と広葉樹とがその使われ方に違いがあるのは、2つの木材の細胞の構成が違うからです。」

堂本: 「つまり木の細胞の構成の違いが、東西の文化の違いに影響を与えているということですか。」

小原: 「そうです。針葉樹は仮道管という細胞が90%以上を占めているため木肌が精細できめが細かい。また柔らかな絹糸光沢を持っていて、白木のままで美しく絵絹のようなうるおいがある。一方、広葉樹の方は針葉樹よりも植物的に進化して、組織が複雑になったから木目は変化に富み、材質は堅硬で材面のは粗いものが多い。だから削ったままの肌では美しくないが、いったん塗装するとがぜん奇麗になる。つまり木肌で比べると針葉樹は絵絹であるのに対して、広葉樹は洋画のカンバスのような味わいの違いがあります。こうやって考えてくると、広葉樹材が西洋の金属や石材に囲まれたインテリアの中で主役をつとめ、針葉樹材が木と紙とタタミの日本の住まいの中で主役をつとめるようになったというのは、ごく自然の成り行きであったことがわかるでしょう。」

堂本: 「確かに日本の伝統的な家具というと目の通った木を薄づくりにして、白木を生かしたのものが思いうかびますし、一方、西洋の家具というと塗装が厚く、形も重量感があるものが思いうかびます。それは針葉樹と広葉樹の材質と木肌の違いから生まれたということなのですね。」

小原: 「この違いはまた魚肉と獣肉との違いに例えることもできるでしょう。針葉樹は魚肉にあたり、広葉樹は獣肉に相当するという意味です。獣肉の料理がわが国に紹介されたのは明治の初めでした。広葉樹の洋家具がわれわれの生活の中に入って来たのもこの文明開化の時代です。牛肉の脂っこさとニスの分厚く塗られたナラの木肌とは共通したものがあります。針葉樹の白木の肌を基調にすれば、タタミ、障子といった植物材料がそれを取り囲むことになるし、石と煉瓦の家のブロンズで飾られた部屋には、動物質のじゅうたんを敷きニスの分厚く塗られた広葉樹の家具をおかないと釣り合いが取れませんよね。よく西洋と日本の文化の違いを、金属に対する木の違いと対比較されますが、私はそれを木材という狭い範囲に限るなら、広葉樹文化と針葉樹文化という言葉におき換えることができると思うのです。」

堂本: 「なるほど。ですが日本には広葉樹も豊富にあったはずのに、なぜ針葉樹文化だけが発達したのでしょうか。」

小原: 「針葉樹を好み、その白木の肌を愛する嗜好は、わが国の木の文化の基調になるものですから、それに関連した2、3の事項をお話ししましょう。平安時代に和風文化が興って和歌や国文学が盛んになりました。この時代に日本民族はヒノキの木肌の美しさを見出し、それが心の琴線に触れたのだと私は考えています。国語学者の大野晋先生は美をあらわす日本語について、その著書『日本語の年輪』(昭41)の中で次のように述べています。"平安朝の『源氏』の時代になって、ようやく確実に日本語は美一般を表す言葉を持つようになった、といってよいように思う""美を表す言葉は(奈良時代から今日までの間に)クワシ(細)キヨラ(清)ウツクシ(細小)キレイ(清潔)と入れ代わってきたことになる。日本人の美の意識は、善なるもの、豊かなるものに対してよりも、清なるもの、潔なるもの、細かなものと同調する傾向が強いらしい"また当時の美しさとは金銀で飾る極彩色を表現してはいなかったと書いておられます。そのことに関連して京大教授であった美術史家の源豊宗先生は"貞観時代は美を意味する言葉として『けうら』という言葉を使っていた。けうらとは清らかであり、清潔なるものを美の理想としたこの時代人たちの、美意識を反映した語である"と述べている(源豊宗「竜谷大学仏教史学叢)昭41)。日本語の「美」が繊細、清潔を意味すること、および言葉自体が平安朝にほぼ固まったことなどを考えると、私はヒノキの木肌がそのまま日本語の「美」にあてはまったのだろうと思います。時を同じくしてヒノキの白木の彫刻が非常に多く彫られてきました。そのことなども考慮に入れると、針葉樹の白木が日本文化の中に占めてきた地位がいかに大きく根深いかということもよく理解できるように思うのです。」

堂本: 「その仏像に使われた用材このとについては、また後程お聞かせいただく予定ですが、日本人が数ある木材の中から針葉樹の特にヒノキを重用したことは今のお話をお聞きして納得できました。そのヒノキを初めとした様々な木材でたくさんの建物や仏像、工芸品が生まれて、それが今日まで伝わってきている訳ですから、先生の研究された木材の老化の成果は、文化財を守っていく上でとても意義深い大事なことだと思います。ところでこの研究はその後どうなったのでしょうか」

小原:
「研究を発表したのは今から50年近く前のことでした。法隆寺の柱は新材より強いと学会で発表したけれど、当時は予想もしなかったことですから、それは実験が間違ってるだろうとか、データが信用できないとか批判されました。それで結局ばかばかしくなって中断してしまいました。
でもね、考えてみると木材の老化の原理は、地球上に存在するすべての有機物や生物に多かれ少なかれ適用できると思います。例えば地球上で赤道に近い生体の反応は、環境の熱的条件によってその速度が左右されていると考えてよいから、南方に住む人達が早熟で、北方の寒い地帯に住む人達の方が生長が遅いことなどもそれと関係がありそうだし、熱帯から寒帯に向かって人間の身長が大きくなる傾向のあることなども、それとは無関係ではなさそうに思われるんですよ。」

堂本: 「木も生物だから生物の全体の傾向をあらわしているということですね。奥が深い話です。」

小原: 「それと私はこの研究をとおして、宮大工の故西岡常一棟梁が"木は2度生きる""樹齢2千年の木は、同じ年月かそれ以上に建物を支えて生き続ける力を持っている"といっておられましたが、西岡棟梁の言う木の第2の生とはどんなものかということが、おぼろげながらわかって来たように思います。」

堂本: 「"木は2度生きる"というのは、西岡棟梁が伽藍を解体修理した経験に基づいて持たれた信念だったと思いますが、それを先生が実験で裏付けたことになるのですね。棟梁との共著『法隆寺を支えた木』を読ませていただきましたが、木の持つ底力が技術者と科学者のお二人を通して伝わってきて感動しました。ですが先生、せっかく10年続けられた『木材の老化』の研究を中断されたのは残念でしたね。」

小原: 「そう、それで次に『仏像に使われた用材』の研究を始めたんです。」

堂本: 「これは私にとって一番興味深いところです。広隆寺の弥勒菩薩がアカマツで彫られていたことや、その他にもそれまでクスやヒノキであると言われていた仏像の樹種を次々に調べられたそうですね。それについては次回にお話いただけますでしょうか。」

小原: 「古い仏像に使われていた用材の移り変わりを調べていくと、日本人と木とのつながりがわかってきます。われわれの祖先は有史以前から木についてはかなりの深い知識を持っていて、適材を適所に使い分ける能力を持っていたこともわかってきましたからね。」

堂本: 「とても楽しみです。またよろしくお願いします。」


語り手:小原二郎(こはらじろう)/千葉工業大学理事
    小原二郎先生の寄稿へはこちらから

1916年、長野県に生まれる
京都大学卒業、農学博士
千葉大学工学部建築学科教授、工学部長を経て名誉教授、千葉工業大学理事
人間工学、住宅産業、木材工学専攻
日本建築学会賞、藍綬褒章、勲二等瑞宝章
日本インテリア学会名誉会長ほか
著書「法隆寺を支えた木」(共著、NHKブックス)、「日本人と木の文化」(朝日新聞社)
  
「木の文化をさぐる」(NHKブックス)ほか

聞き手:堂本寛恵(どうもと ひろえ)
1973年千葉県生まれ。東京芸術大学 大学院 文化財保存学 彫刻修了。
現在、仏像制作を中心に古典彫刻の研究活動を行う。
平等院雲中供養菩薩像模刻プロジェクトアシスタント。
主な収蔵作品:京都 六波羅蜜寺 空也上人模刻像/千葉 玉王山寶珠院 日光・月光菩薩像ほか

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