<第四回(最終回)>
堂本: 「これまでに日本人と木との深いつながりについてお話を伺ってきましたが、先生はその後『人間工学』や『住宅産業』『インテリア』『リフォーム』といった分野で活躍されました。それらの研究をとおして、もう一度“木”を振り返った時に感じることをお話しいただけませんか。」

小原:
「日本人は長い間、木に囲まれて暮らしてきましたが、明治以降、鉄やガラスや各種の化学製品が安価で手軽に使えるようになって、木は第2、第3の地位に追いやられてしまいました。それは木は性質がばらばらで、工芸材料としてはおもしろいが、大量の需要に応ずる均質の工業材料としては不適格だと考えられたためです。もうひとつの理由として材料の試験方法があります。私たちは材料の良し悪しを測るのに、強度や摩耗、耐久性のような物理的な方法で試験して、その成績の良いものほど優秀だと考えるようになりました。こういうテストをすると木はどの項目でも中位の成績で、特に目立った性質がありません。これは木綿や絹についても同様で、生物材料のもつ宿命なんです。
だが見方を変えて、どの性質も偏りなくバランスの取れているものほど良いという評価方法を採ると、木や木綿ような生物材料の良さが浮かび上がってきます。2〜3つのタテ割り評価でなく、視点をヨコ割り移してみれば、ものの評価は変わってくるということです。」

堂本: 「評価の軸を変えて、人間の肌とのなじみやすさで考えると、確かに生物材料は評価が高くなると思います。」

小原: 「そうです。生物はきわめて複雑な構造をもっているから、限られた2〜3の成績で優劣を判断するのは無理なのです。今、人間工学的な立場に立って、使うのは人間だから人間の肌になじむものほど良い材料だという評価法を採って順番に並べてみると、人間に一番近いところに来るのは自然材料の木と木綿があげられるでしょう。人間はもともと生き物だからそうした生き物の材料がいちばん肌に合うし、心も安まるはずです。そして次に来るのが自然材料の中でも小動物や微生物の棲んでいる土です。土もまた生きています。土が死ぬと砂漠になりますが、火という生き物の手をくぐると生命を帯びた焼物になって、もう一度私たちに近づいてきます。石もまた不思議な魅力を持った材料ですが、考えてみると石は地球という大きな窯でつくられた焼物です。それなら石の向こうにあるのは何でしょうか。それは鉄とガラスとコンクリートです。これらはもともと地球上に存在した材料で、生物とは長いお付き合いがありました。ところでその次に来るものは何でしょうか。私はかなりの距離をおいてプラスチックがあると思います。それはもはや生物的嗅覚という大きな谷間の向こう側にある材料だからです。天然の材料はやがて朽ちて自然に帰りますが、プラスチックは作った時と同じだけのエネルギーをかけない限り、あの生々しい色を永久に晒します。それがはかない生命を持つ私たちに、何となく抵抗を感じさせるのでしょう。以上は材料を人間工学の立場から評価して遠心的に並べたものですが、実際の生活空間を調べてみると、私たちは無意識のうちにそうした材料の選択をしながら、住まいの環境づくりをしていることに気がつきます。自動車や電車は交通機関ですから、内装は金属でも差支えありませんが、船舶の内装には木が使われています。船は生活の場だから、木でないと我慢できないからです。」

堂本: 「なるほど、材料を人間工学的に評価するというのは興味深いですね。人間の評価法にも通じる部分があると思います。近年は入学試験などで、いくつかの試験科目の成績だけで優劣を決めずに小論文や面接が加えられていますが、それも同じ考え方ですね。ところで人間工学というとずいぶん難しそうに思えますが、先生は新幹線の座席の設計や学校用家具、事務用家具のJISの作成に当たられていたそうですね。この人間工学について少し説明をしていただけますか。」

小原: 「人間工学は、もともと第二次大戦中にアメリカで軍事分野に関係して研究されました。複雑なメカニズムを持つ兵器や超高速の飛行機と、それを操る人間とを、どううまく結びつけるかをテーマにして開発された学問です。それまでは機械は機械だけで進歩して来たが、これを使う人間の能力をよく知ったうえで設計しないと危険で使えない。つまり、人間と機械の橋渡しをする工学と考えたら良いでしょう。戦後になってその適用範囲は広くなって、自動車産業や交通機関にまで応用されました。さらに最近では身近な暮らしの中でも使われています。人間と機械を結ぶ考え方が、人間と物、人間と空間を結ぶ、という軸に置き換えられて、生活環境をより使いやすく能率的にするところにまで発展してきたのです。私のやってきた人間工学は、従来は曖昧だった暮らしの中の心地よさや便利さといったのようなものを、数量的にとらえて暮らしを便利にしたもので、生物学的な人間工学です。だが便利さがすべて良い訳ではありません。ずいぶん前のことですが、岡本太郎さんとテレビで対談したことがありした。私が新幹線のシートに座り心地のよい椅子をつくる研究をやっていると言ったら、岡本さんは“そんなものは役に立たん。俺の椅子の研究はこれだ。”と言って、陶器製で座面にごつごつした彫刻のある椅子を持って来られました。それが有名な「座ることを拒否する椅子」でした。“芸術は爆発だ”と言われていた意味がなんとなく分かるような気がしました。要するに岡本さんは、脳に刺激を与えないような癒しの椅子は駄目だということを言いたかったんでしょうね。」

堂本: 「小原先生はいつも“保護すれば弱くなる、というのは生物学の大原則だから、万事便利で負担のかからないものほど良いというのは間違いだ”とおっしゃっていますが、それと共通する考え方ですね。」

小原: 「そういうことです。このように、人間と木との関係に人間工学の考え方を応用して、視点を物の側から人間の側に移して対象を見直すと、従来とは違った新しい価値を発見できることがあります。先程の人間の肌との親しみやすさから材料を配列した評価法は、物理的な評価だけでなく、風合いや肌触り、審美性も含めた評価なのです。木や木綿といった生物材料が化学繊維や化粧板など新素材が開発されたにもかかわらず、多くの人々に親しまれているのは、誰もが経験を通してその良さを知っているからです。」

堂本: 「木や木綿をはじめとして生物材料は、コンクリートや金属と違ってあたたかさや安心感のようなものがありますし、それを使い込むことで風合いが出てくることにも特徴がありますね。またそれが何時しか愛着に変るというのも、独特の魅力だと思います。ところで最近、木材資源の枯渇ということが叫ばれるようになりました。それについてお話をいただけますでしょうか。」

小原: 「かつては森林国と言われ、山紫水明の『うまし国』であったわが国も、現在は使用している木材の8割以上を海外からの輸入に頼っています。従来は針葉樹はアメリカ、カナダ、ロシアに頼り、広葉樹は東南アジアに頼っていました。しかしここ15年ほどの間に事情は大きく変わりました。アメリカはかつては豊富な森林を持っていましたが、すでにそれを伐り尽くして2次林、3次林の造林に力を入れています。それでも足りなくてカナダから日本よりも大量の木を輸入をしています。カナダも原生林が減って2次林の養成に大きな力を入れるようになりました。日本に現在輸入されている針葉樹の大半は北欧およびヨーロッパ、オーストラリアなどからです。さらにエンジニアウッドと称する加工木材はアメリカ、ドイツ、フランスのほか、中国からも輸入されているようです。私たちは熱帯雨林というとジャングルを連想し、いくら木を伐ってもすぐに生えて密林になると誤解していた面があります。熱帯では木が伐られて裸地になると、太陽が地面をあぶり、土にの中にいる生物は死んで有機物は分解してしまう。そこに豪雨がやって来て表土を洗い流すから、後は不毛の砂漠だけが残る。森林の消失が文明の崩壊を招くことは歴史の教えるところです。」

堂本: 「木材の生産量が減るということは、良い木も少なくなるということになりますか。」

小原:
「そうです。木は幼樹の間は生長が早いですが、老齢になると生長が遅くなりますから年輪が細かくなる。時とともに材積生長から品質生長に移る訳ですが、今はどこも木材不足ですから、材積生長が終わるのを待たないで伐採してしまう。つまり良材である品質生長の部分を持つ良い木は少なくなるということです。木を使って美術品をつくるには老齢の部分が必要ですが、そういう木は2次林、3次林からは出ませんから、自然林に求めなくてはなりません。それがどんどん減っているのです。彫刻に使う木曽のヒノキも蓄積が少なくなりましたね。」

堂本: 「先生は木曽のお生まれで、ご実家は材木業を営んでおられたそうですが、木曽ヒノキはどのような現状なのでしょうか。」

小原: 「木曽ヒノキが世に知られるようになったのは、伊勢神宮の遷宮用材の産地に選ばれた14世紀の中頃からと言われています。江戸時代の初めには大規模な伐り出しがはじまりました。それは江戸の町を造るためで、それによって木曽山は荒廃されたのです。そこで「留山」という良材の伐採を禁ずる制度が設けられ、さらに「禁伐制度」ができて木曽五木(ヒノキ、サワラ、アスヒ、コウヤマキ、ネズコ)は停止木になりました。この禁制はその禁を犯せば木1本に首1つという厳しいもので、住民の抵抗が百姓一揆につながるほどだったようです。“木曽路はすべて山の中である”ではじまる島崎藤村の『夜明け前』はこの制度の緩和を求めて明治政府に働きかけた青山半蔵が主人公の物語です。このような厳しい禁伐制度で護られ、きめ細かい手入れを受けたので、明治以降、木曽ヒノキは市場で「尾州ヒノキ」として別格扱いを受け、伊勢神宮の用材を育てる備林まで設けられたのです。しかし第二次大戦中の乱伐と、戦後の管理不備のために、この美林も荒廃してしまいました。やむを得ず台湾ヒノキを輸入して代用してきましたが、それも今では望めません。アメリカにもヒノキ属の木はありますが、日本のヒノキに比べると材質が劣っています。木曽ヒノキのみならず、木材の調達は今まさに難問にぶち当たっていると言えるのです。」

堂本: 「良い木が少なくなっては木の文化も育たないことになりますから、これは深刻な問題ですね。」

小原:
「木の文化を創って来た日本人は、木に対応した時の発想がヨーロッパ人とは違います。彼らは工業材料として考えますが、私たちは工芸材料として受け取る。つまり木を手にした時にいちばん気になるのは美しいかどうかということなのです。それともう1つ大きな違いがあります。ヨーロッパの寺院は生物系の素材とは無縁の存在です。ところが日本では伊勢神宮にしても東照宮にしても、神の宮居は樹木に囲まれていてこそ神域なのです。先頃、オリンピックが開催されたギリシャのパルテノン神殿は、大理石と幾何学の結晶と言えますが、木はほとんど生えていません。一方日本の神社は、緑の参道を通って神様に近づくように設計されています。参道の両側には数百年を超える大木が天を覆って立ち並び、昼なお暗く、梢の間からわずかに陽光が漏れてくる。参道を通る間に身も心も清められて神々しい気持ちになります。
私はこの参道を歩くたびに、ヨーロッパのゴシック大寺院の中を思い出します。そこには両側に太い石の柱が立ち並んでいて、高い天井はアーチ形に凹んでほの暗く、壁にとりつけられたステンドグラスを通して薄い光が漏れてくる。柱の間を進みながら、何ともいえない厳粛な気持ちになりますが、それは大木の続く長い参道とそっくりです。発想は同じでも、一方は植物の間を通り、一方は石の間を通って神に近づく。」

堂本: 「おもしろい話ですね。そういえば日本とヨーロッパの木と石の文化については、川添登さんの著書に次のようなことが書かれていました。“石は地球の造山作用の圧力によってつくられた最も優れた自然の圧縮材であるのに対して、太陽を求めて空へ伸びる生命力を繊維として内包している木材は、自然が生んだ最も優れた引張材である。だから石で文明を築いたヨーロッパが、圧縮の文明であったのに対して、木、しかも軟木を用いてきた日本文明は引張力の文明である。”」

小原: 「それは木という素材がわれわれの国民性にどのような影響を及ぼしたかを知るうえで、深い示唆に富む言葉ですね。もうひとつ、日本の住まいとヨーロッパの住宅とを比べてみて感じることをお話ししましょう。そのいちばんの大きな違いは、インテリアとエクステリアのつながり方にあります。ヨーロッパでは住まいの内と外との間にどっしりとした壁があって、厚くて重いドアで空気までも遮断され、画然と区別されています。ところが日本の場合は家の内から外へと何時とはなしに移っていく。日本は気候が温暖で四季の移り変わりがはっきりしていて、その折々が美しく豊かな自然に恵まれていますから、先人達はそれを住まいに取り入れようと考えました。軒先、縁側といった場所がそういった自然との交渉の空間です。軒先や縁側というのはどっちつかずの空間であって、インテリアとエクステリアの区別がはっきりしない。住空間のまわりのがぼけているのです。ひとつおもしろい話があります。私が以前、中国へ人間工学の講義に行った時、看板に“人体工学”と書いてありました。私が人間工学に直してくれと言ったら、人間という言葉は中国では社会に近い概念だから、人体の方が正しいと言うんです。私たちの使う人間という言葉は人の周りの空気層までを含んだ概念であって、ぼかしがある。いかにも日本的な言葉だと思うのです。これは明治のはじめにつくられた言葉だそうですが、日本人は“間”を感じて、その柔らかさを表現する、それには木という素材がもっとも適していたのでしょう。そしてもうひとつ、木が好まれた理由として、私は仏教の無常観があったと思うのです。私達の祖先は自然も社会も常に移り変わっていくものと悟っていました。その法則に逆らわないで暮らしていくのが、日本人の生き方でしたから、木のように朽ちて自然に還っていく素材に強く心をひかれたのでしょう。」

堂本: 「間と無常観。理屈で考えたら、間と言っても無駄なスペース、無常観だなんて悲観的な、と一蹴されてしまいそうですね。しかし最近では、若い人達の間でも和のブームがおこってきて、デザインや素材に和風の物をよく見かけるようになりました。これが木目のプリントでなくて本物の木の魅力にまで広がっていけば良いなと思います。」

小原: 「戦後、私達の生活は急速に洋風化して、機能的で便利になりました。しかし、これからは和風の良さを楽しめる和洋融合の美しさの空間が生まれてくることを望みたいですね。人間は無意識のうちに木や木綿のような自然素材の肌触りを求めています。私はこの曖昧な感性を、生物学的人間工学の見地から分析して、暮らしの中に還元していきたいと思ってます。もうひとつ、私は今後、時間の余裕ができたら木彫をやりたいのです。これまで木の文化についていろいろ述べて来ましたが、それは知識として得たもので、肌を通して知ったものではありません。新幹線の顔ともいうべき先頭車両は微妙なカーブを持っていますが、その微妙な面の仕上げには昔ながらの木槌でなくては駄目だそうです。楽器についても同様で、木でなくては出せない微妙な響きがあります。その秘密を刃物を通し、肉体を通して知ることができたら嬉しいというのが現在の心境です。」

小原先生の木の文化の研究はこれからも続きます。顕微鏡をとおして木の文化のルーツを探り、人間工学の理論を生物学と合体させて木を検証する。半世紀におよぶ研究から得たものは、やはり「木は生き物」という言葉に尽きるように思いました。

4回にわたる小原二郎先生の木の文化の講義はこれで終わります。

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語り手:小原二郎(こはらじろう)/千葉工業大学理事
    小原二郎先生の寄稿へはこちらから

1916年、長野県に生まれる
京都大学卒業、農学博士
千葉大学工学部建築学科教授、工学部長を経て名誉教授、千葉工業大学理事
人間工学、住宅産業、木材工学専攻
日本建築学会賞、藍綬褒章、勲二等瑞宝章
日本インテリア学会名誉会長ほか
著書「法隆寺を支えた木」(共著、NHKブックス)、「日本人と木の文化」(朝日新聞社)
  
「木の文化をさぐる」(NHKブックス)ほか

聞き手:堂本寛恵(どうもと ひろえ)
1973年千葉県生まれ。東京芸術大学 大学院 文化財保存学 彫刻修了。
現在、仏像制作を中心に古典彫刻の研究活動を行う。
平等院雲中供養菩薩像模刻プロジェクトアシスタント。
主な収蔵作品:京都 六波羅蜜寺 空也上人模刻像/千葉 玉王山寶珠院 日光・月光菩薩像ほか

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