また十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)のうちひとつおきに「子・寅・辰・午・申・戌」は「陽」に、「丑・卯・巳・未・酉・亥」は「陰」に分類し、「十干」と組み合わせることによって十と十二の最小公倍数である六十通りの「干支」ができあがります。そして「木(き」」を「陽(兄)」と「陰(弟)」に分けると「木の兄(きのえ)=申」「木の弟(きのと)=乙」となります。こうすると「甲子」を「きのえ・ね」などという不思議な読み方も理解できます。ちなみに、本年は「丁丑(ひのと・うし)」で「火の弟・丑」すなわち「陰性の火の丑」になります。
十二という数字は、十進法が中心の暮らしからはもうひとつぴんとこない数字ですが、むかしから世界中で用いられてきました。そのもとになっているのは、月の運行を基準とする「太陰暦」でしょう。「太陽暦」で暮らしていると、1月、2月の「月」が無意味になりますが、太陰暦では月の満ち欠けを12回繰り返すと季節がほぼ一巡しますから、「十二」という数はとても重要であったのです。
1年を365日に統一した暦がなかった頃は、月の満ち欠けを数えることと、太陽の中点の高さを知ることで、1年のなかでの「今日」を特定していたのでした。
明治になるまで用いられた「旧暦」は、月の運行と太陽の恒転周期とのずれを「閨月」を設けることで調整していたようです。一見複雑に思えるこの暦も、月と季節の整合性の面で東アジアの農事暦として用いるには、西洋起源の太陽暦より適していたと聞きます。 |