そうしたイメージが記憶のひだに刷り込まれて日本の鬼の形象が生まれていったのでしょう。
牛頭の大親分としては「牛頭天王」がおられます。もとは古代エジプトやインドなどで崇めれていた豊穰神としての牛が、仏教に習合され祇園精舎の守護神となり、中国で道教の神としての性格を与えられました。日本では素戔鳴尊として垂迹したと考えられています。京都祇園の八坂神社ではご祭神として多くのひとびとの信仰を集め、また東京では品川の天王洲の地名も牛頭天王に由来します。
鬼の形象のもうひとつの素形は、お不動さまや愛染さまなどの明王系の図像でしょう。
明王の姿は憤怒形といい、ふだんは穏やかに慈悲を説く如来が、衆生を救済するために渾身の力をふりしぼっている姿の象徴です。明王筆頭格の不動明王の場合、肌の色によって青不動、赤不動、黄不動などに表現されます。
鎌倉時代の「古今著聞集」のなかに、伊豆の奥の島に漂着した船に「鬼」が乗っていたという記録があります。「そのかたち八・九尺ばかりにて髪は夜叉の如し、身のいろ赤黒く眼まろくして猿の如し。みなはだかなり」と書かれており、あきらかに南方からの漂着者の記録ですが、当時の日本人が抱いていた鬼のイメージにぴったりだったために、彼等を鬼と決めつけています。 |