数千年の交流の歴史を持つ両国でもこのありさまです。国際理解のむつかしさを実感した次第です。
日本料理が出たついでに、知日家の英国の友人に教わったはなしをひとつ。
日本料理では料理ごとに食器の材質やかたちや模様、焼き方や産地までわざと変えて料理ごとの相性を楽しみます。これは「数寄」として日本の美学のもっとも重要なところです。しかし英国の家庭では、客をもてなす正餐に使う食器はオードブルの皿からコーヒーカップまで同じデザインで統一されたものを使うのがマナーだそうです。
ですから日本料理の食器のとりあわせは、日本の文化を知らない一般の英国人には統一感に欠け、ありあわせの貧しげな食卓に映ってしまう場合もあるそうです。
私が以前英会話を習っていた女性は父親がアメリカ人、母親はフランス人で、母方の祖母は旧フランス領の北アフリカの出身でとてもエキゾチックな顔立ちをしていました。あるとき、私が日本の固有の文化について話をしていたとき、いつもは穏やかで優しい彼女が、そのときに限って私の考えをとても狭く閉ざされた考えであると厳しく批判してきました。私たち日本人は漠然と日本文化の独自性や日本民族の純粋性を自分たちの特徴と考え勝ちです。しかしナチズムと戦った欧米のひとたちにとって、それは偏狭で危険な国家主義を連想します。また彼女にとってひとりの人間のなかに複数の民族の歴史と文化が共存するのはあたりまえのことであったのです。
|