『月刊美術』1997年11月号掲載

食文化

籔内佐斗司(彫刻家)

 近ごろは、世をあげて食通時代です。毎日のように美味探訪や料理番組がテレビで放映されています。味覚音痴はひとにあらずというご時勢です。
 私は幸せなことに何を食べても、おいしいと思います。しごとで地方に出かけて、地元のひとに土地の旨いものを食べさせてもらえるのはほんとうに楽しみなことです。食事に招かれて、「あなたのように、何でもかんでもおいしいおいしいといわれると、かえってごちそうのしがいがありませんよ。」と笑われるくらいです。


恵比寿童子

 生まれが大阪ですから、「関東の味付けは合わないでしょう」とよくいわれますが、もう四半世紀以上も東京で暮していますからそんなことはありません。
 東京に出てきたばかりの頃、目白にあった美大受験専門の画塾に通っていました。当時の昼飯は商店街にあった立ち食い蕎麦屋でした。毎日のように、かきあげ天ぷら蕎麦に薬味の白葱を山盛りのせて食べていました。まっくろいだし汁の蕎麦は、大阪では食べたことのない味覚でしたが、栄養不良気味の当時はほんとうにおいしいと思いました。おかげで立ち食い蕎麦は今でも大好物の一つです。
 関西人が納豆を食べないというのは、デマです。少なくとも昭和三十年代、私が育った大阪の南部ではふつうに店頭で売られていましたし、関東ほどではありませんが食卓にのぼっていました。決して納豆を食べるひとを差別したり隔離したりはしませんでした。
 関西料理が薄味だというのも誤解です。たんに醤油の味や香りや色を「だし」に出さないようにしているだけで、そのぶん塩はずいぶん使います。醤油はできるだけ生(き)のままで使うか、素材の生臭みを消すための隠し味と関西人は考えているのです。

 三重県や愛知県では「たまり」という熟成醤油をよく使います。とろりとしてまっくろで甘味があり見た目ほど辛くはありません。古えの「海人(あま)」族の流れを汲む地域ですから、東南アジアの「魚醤」との繋がりがあるのかも知れません。大阪のきちんとしたすし屋では、醤油皿がふたつ出てきます。ひとつはにぎりやのり巻きなどのご飯ものを食べるための塩分がきりりと利いた「醤油」をいれるためで、もうひとつは刺身を食べるための「たまり」に似た「刺身醤油」のためのものです。東京のすし屋で刺身を「ふつうの醤油」で食べるとき、いまでもちょっと物足りなさを感じてしまいます。
 イタリア料理がブームになって久しくなりました。日本人の嗜好にぴったり合ったとみえてすっかり定着し、わが国の料理の幅を大きく広げました。ボリユームは別として、味のレベルは二ユーヨークなどで食べるものに遜色のないものになってきたように思います。
 小学生のころ、兄の友人の家がピザパイ(最初はピザをそう呼んでいたんです)の店をはじめたとかで、兄が開店の日に出かけていって、おみやげに持って帰ってきたことがありました。幼い私は、冷えたピザをひとくち食べたものの、生まれてはじめて経験する味に、うまいまずいの判断ができない奇妙な経験をした記憶がありました。


河太郎


稔りの童子

 東南アジアの料理に添えられる香草を初めて食べたのも小学生のときでした。父に連れられられて行った中華料理店のスープに浮かんでいました。はじめはビニールを食べたのかと思いました。その強烈な香りはどんなに水を飲んでも消えませんでしたし、翌日まで何を食べてもよみがえってきました。二度と口にするまいと思いました。  二十年以上経って、タイ料理屋で香草に再会しました。おそるおそる口にいれるとあの強烈な香りが口いっぱいに広がりましたが、不思議なことに今度はおいしいと思いました。私の味覚が鈍感になったのか、香草が日本人向けに改良されたのかは知りませんが、勝手なものでいまではこれがないとタイ料理を食べた気がしません。
 何年か前、冷害と政府の失策で米が市場からなくなり、アジアから緊急輸入されたことは記憶に新しいことです。このときの長粒米に対する反応は世代によってはっきり分かれたと思います。
 戦前戦後の「外米」を知っている世代は極端な拒否反応を示しました。しかしエスニック料理を自分たちの味覚として受け入れている世代は、カレーやチャーハンなどに調理してそれなりに楽しんだものでした。


 日本人の伝統的な食文化の特徴は新米、新酒、新茶、季節ごとの旬の味などに代表される「新鮮さ」にこだわることに尽きると思います。中国の熟成させた乾物や保存食の多様さとはみごとな対比をみせていますし、生食にたいする衛生観念や倫理観の違いは米国などで文化摩擦さえ起しています。こうしたわが国の食文化は、豊かな山と森林によって浄化された水に負っていたことは論を待ちません。しかし山と森が荒廃し水質が悪化するとともに、日本人の味覚はどんどん無国籍化しているように思います。また今の日本人の半分以上は学校給食という画一化された味を子供時代に刷り込まれています。
 世界中の食材がいつでも簡単に手に入るようになり、飢えを知らず食べ物への感謝を忘れた日本人が、これからどのような食文化を創り出していくのか、楽しみでもあり恐ろしくもあります。


御造酒童子

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