しかしこの「ふたり展」は、没後二十年の記念展として企画されたのではなく、私と主催者の「かね吉栄画廊」との話し合いのなかからごく自然に出てきたものでした。
私は、あらためてあなたの作品や生涯を追うことで、戦後美術の転換期に重要な足跡を記しただけでなく、そのみごとな生きっぷりを再認識し、表現者のありようを考えるとてもよい機会になりました。
作家が、お行儀よくこぎれいに生きるのをよしとする昨今の風潮のなかで、一点一画を明確にぐいぐいと書き上げたあなたの書そのままの生涯には、世代を超えて私のこころを突き動かすものがありました。
私が初めてあなたの作品に触れたのは、すでにお亡くなりになって久しい昭和六十三年、銀座のフジヰ画廊モダーンで行われた「中村正義仏画展」においてでした。渋い色調のなかに釈迦と幾人かの亡者たちが描かれている作品を見て、私の脳裏に「ナカムラマサヨシ」という名前が深く刻み込まれてしまいました。
昨年、名古屋のかね吉栄画廊の社長室で「嘘」と力強く書かれたあなたの書にお目にかかりました。ぶっきら棒でどこかユーモラスで、それでいて画面に寸分のすきもなく、まぎれもなくあなたそのものでした。 |