かつて日本の山々は檜の原生林に覆われていたといわれます。日本人はこの木を近代の「鉄」のように、建築の構造材や造形素材としてふんだんに使用してきたのです。古代には天皇が代わるたびに新しく都を造営しました。平城京や平安京のような規模ではありませんでしたが、飛鳥京、信楽京、長岡京などを築くことは、当時たいへんな事業であったろうと思いますが、それを可能にしたのは潤沢な木材資源が近畿地方にあったからです。しかし、たびかさなる都の造営や大寺院の建立、そして源平の戦さや応仁の乱などの戦災で焼失した大寺院の再建事業は、檜の原生林を中世までにほとんど使い果たしてしまいました。鎌倉時代の東大寺の再建にあたって、勧進僧・重源上人らは、資金集めに全国を行脚したといいますが、実際には檜の巨木を探し求めた旅であったともいえます。
青松寺 四天王制作風景
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先年全面解体修理が行われた南大門の仁王さまの用材は、遠く周防の国(山口県東部)から切り出された檜であることが分かっています。また現在の南大門を、同じ構造で再建することは日本中の檜を掻き集めても、不可能だといわれています。江戸時代初期に再々建された大仏殿は、天平時代の創建当初よりひとまわり小さくなっていますし、堂内に林立する柱は一本の通し柱ではなく何本もの檜を束ねて鉄の輪で補強して作られています。そしていまや檜造りの木造住宅に住むことは、たいへんな贅沢になってしまいました。 |
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