『月刊美術』1998年9月号掲載

文化財

籔内佐斗司(彫刻家)

 私は二十代の後半に、仏像の修復事業に参加していたことがあります。大小取り混ぜて約40体の仏像の修理に関係しました。このときの経験のおかげで今の私があります。現在進行形で生み出される同時代の美術のほかに、時代の選別と厳しい淘汰を受けた歴史的遺産である「文化財」に、若いときに間近に触れ得たことは素晴らしい経験でした。そこで今回は文化財について考えます。

天地睨みの狛犬(ブロンズ)
/川崎・稲荷神社
 まずは言葉の整理におつき合いください。
 生産手段や流通機構などの技術的・物質的所産のことを文明・civilizationといいます。そして宗教・道徳・学芸などの知的・精神的所産を文化・cultureといいます。その文化によって生み出された物品を文化財・cultural assetsまたはcultural propertyといい、美術品や工芸品がこれに含まれます。
 わが国に「文化財」という概念がはいってきたのはもちろん明治以降のことです。それまで皇族や貴族、大名などが所有した大切な書画骨董や茶器の類を「御物(ごもつ)」「名物」などと呼んでいましたが、今の「文化財」とは少し異なります。文化財の概念には、特権を持った個人の財宝ではなく、国家や国民の共有財産としての性格があるからです。
 美術品などの「有形文化財」のなかから、国や自治体が保護監督すべきであるとしたものを「指定重要文化財」といいます。わが国では「古社寺保存法」(1897年)とそれを補強した戦前の「国宝保存法」「重要美術品等の保存に関する法律」(1929年)などが、戦後に文化財保護法(1950年)に発展して現在に至っています。古美術店で、「重要美術品」あるいは「重美」などと赤いスタンプが値札に捺してある刀剣を見かけますが、1950年に廃止された法律の名残りです。「重要文化財」は指定する行政段階に応じて「町指定」「市指定」「県指定」「国指定」の序列があります。「国指定重要文化財」のなかからとくに貴重であると認められたものが「国宝」に指定されます。
戦前に「国宝保存法」によって「国宝」に指定されていたものが、「文化財保護法」によってすべて重要文化財に指定され、そのなかから特に重要なものを「新」国宝として再指定しました。ずい分前の話ですが、旧国宝から重要文化財に認定された仏像を持つ古いお寺のご住職から「ほんまやったらウチのホトケさんも国宝やねんけどなぁ。」と話されるのを聞いたことがあります。ちょっと前にはやったCMのセリフには、こういう背景があったのです。

不動明王童子

五劫思惟坊

 国指定重要文化財の修復は、京都国立博物館のなかにある国宝修理所に運ばれて、文化庁文化財保護部の監督のもとに特定の専門業者にしか作業をすることが許されていません。ちなみに彫刻と大型の工芸品は「財団法人美術院」が一手に行っています。この団体は岡倉天心が創立した美術団体「美術院」の系譜を引き、院展を主宰する「財団法人日本美術院」とは兄弟関係になります。「古社寺保存法」の制定に関わり、東京美術学校の創設者でもあった天心の偉大さをあらためて感じます。
 歴史上、文化財を破壊してきた最大の原因は、地震や火災などの天災ではなく、人災であることはよくいわれることです。文明間で起こる戦争では、文化財はひとたまりもなく破壊されてきました。また宗教や思想・道徳の名のもとに徹底的に破壊された文化財もありました。
 中世のイタリアでは、打ち捨てられたローマ時代の遺跡の大理石を教会や家屋の建材として再生していました。当時のひとびとにとって、キリスト教以外の神殿や彫像をリサイクルして使用することに何ら罪悪感はありませんでした。

 歴史上、文化財を破壊してきた最大の原因は、地震や火災などの天災ではなく、人災であることはよくいわれることです。文明間で起こる戦争では、文化財はひとたまりもなく破壊されてきました。また宗教や思想・道徳の名のもとに徹底的に破壊された文化財もありました。
 中世のイタリアでは、打ち捨てられたローマ時代の遺跡の大理石を教会や家屋の建材として再生していました。当時のひとびとにとって、キリスト教以外の神殿や彫像をリサイクルして使用することに何ら罪悪感はありませんでした。
 十八世紀のイタリアの版画家ジョバンニ・バッティスタ・ピラネージは、古代ローマ遺跡の石材ブローカーのようなことをしながら、古代の建築技術や装飾の研究をして、遺跡の景観図や詳細な見取り図を銅版画に残しました。はじめは大理石の固まりにしか見えなかったものに、美的価値とそれに附随する交換価値を発見し、その価値を高めるための修理や復元の研究をしたのです。ニューヨークの古書籍店で彼の全作品が製本されたのを見せてもらいましたが、その量はひとの背丈を憂に超えるものでした。これらは、現在も建築史を研究するひとたちの貴重な資料となっています。


正蔵院胎蔵界大日如来
 ある集団の文化程度とは、その集団に属する一団が創造した知的作業や所産に対して、時代の価値観を与える能力の程度と言い換えることができないでしょうか。近年生み出された膨大な美術品についても、作家や愛好家だけでなく真摯な研究者や美術ジャーナリスト、美術商など美術を愛する全てのひとたちが、次代に伝えるべき価値付けを行なえるかどうかが、問われていると思います。

護国寺 羯磨会


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