『月刊美術』1998年10月号掲載
籔内佐斗司(彫刻家)
床の間は、家に聖域を設けるという素晴らしい効用があります。そこは常に清浄に保ち、季節や行事に因んだ軸ものを掛け替え、草花を活けるための失ってはならない住まいのへそです。怠惰に流れやすいわれら凡夫にとって、暮らしにめりはりをつける床の間の重要性は絶大です。安直な温泉宿のようにテレビや人形ケースやたぬきの剥製を置いてはいけないのです。床の間はその成立の過程からみても、書画を掛ける場所なのですから。 茶席では、入室するとまず床の間の掛け軸を拝見します。私のような不粋者でも、何が書いてあるのかを考えることは茶席の楽しみです。茶掛けといわれる掛け軸は、仏典から取られた短い禅語や喝、漢詩、消息などが禅宗のお坊さまの剛毅な筆で書かれています。季節の草花を愛でるとともに、亭主が一期一会の客をもてなすための趣向を探る高雅な遊び心に溢れています。また床の間の掛け軸は鏡のようなもので、覗き込んだひとのこころをそのままに映し出します。
「吾、唯足るを知る」のことばは、龍安寺の「蹲(つくばい)」で有名です。同じ図柄はあちこちにあって、仄聞にしてその成立や由緒は知りませんが「知足」がもとになっていることはわかります。銭のまんなかの四角い穴を「口」の字に見立て五、隹、疋、矢を配して、「吾唯知足」と読ませた愉快な智慧者に敬服します。 私は、最近「開運守銭童子」というちいさなブロンズ作品を作りました。生きるということは、生かされていることだと気付かせてくれる「こぼすなさま」とともに、飽くなき欲を求める現代人に「知足」のこころを語りかける「禅機の童子」です。