『月刊美術』1999年8月号掲載

エトワール便り・その三

籔内佐斗司(彫刻家)

 今月号がみなさまのお手許に届くころには、パリ・三越エトワールで7月10日まで開催されていた「籔内佐斗司の世界・色心不二」展は無事終了していることでしょう。

 私はこの展覧会を通じて、率直で好意に満ちたたくさんの出会いを経験しました。今回はその一部をお話をさせていただきます。

 ハルトムート・ローターモンド先生は、パリ国立高等研究院(いわゆるソルボンヌ)宗教学部教授として日本の民間信仰や修験道について研究する日本学の泰斗ですが、名刺に「露田主人(ローターモンド)」と印刷するちゃめっ気たっぷりの人でした。先生は、展覧会図録に私の作品世界の解説を書いて下さいました。図版を見ながらという無理な注文にも関わらず、出来上がった作品論は日本文化に対する深い造詣と愛情の感じられる見事な文章でした。  五月の初旬、私はパリの日本料理店で先生にお目にかかりました。作品の感想から始まって、日本人の神概念について、日本語について、神話や修験道、妖怪など、ふつうの日本人ではとても会話にならないようなテーマについて、たっぷり二時間飽きることなく話し合うことができました。それはとても示唆に富む刺激的なひとときでした。またレセプション会場では、作品に出会えた喜びを飾ることなく語っていただきました。
 同じ頃、三越エトワールで広報を担当するノロワ女史が、自宅で私を囲むホームパーティーを企画してくださいました。そこには国立ギメ美術館のジャリージュ館長夫妻がお出でになり、十人ばかりの参加者とともにとてもなごやかなひとときを過ごすことができました。パリの粋で暖かいもてなし方を教えていただいた夜でした。またご夫妻は、レセプションにもお越し頂き、混雑する会場をなんども昇り降りされて、展示を心から楽しんでいらっしゃいました。私がギメ美術館の別館を訪問した際、ジャリージュ氏自らが館内をくまなく案内し、修復中の鎌倉時代の毘沙門天まで見せて下さいました。
 マダムブールデルは、彫刻家・ブールデルの娘で彼の美術館の館長をしておられます。すでに90歳近いご高齢で耳も遠くめったに面会を受け付けないとのことでしたが、事前に送られていた私の作品図録をご覧になってめずらしく面会が許されました。事務室の質素な椅子に腰掛けられた小柄な館長は、パリの下町にいそうなおばあさんといったかわいい方でした。私が彼女に日本語で話しかけると、「声がちいさくてよくわからない」としゃがれた声でおっしゃいました。秘書の方が「すぐに通訳してくれるから心配しないで。」というと大きくうなずかれました。しかし、父ブールデルや彼を取り巻いたひとびとの思い出をかくしゃくとして話され、書物のなかでしか知り得ない人物たちのことをリアルに語られる姿は、歴史の生き証人そのものでした。私の作品図録をゆっくり眺め、にこにこしながら私の顔と何度も見比べられ、別れ際に差し出した私の手をやさしく握っていてくださいました。いつまでもお元気でと祈らずにはいられない気持ちでした。
 フランスは論理の国です。感性を重視する芸術といえど、作品を語ることは、作家の大切なしごとです。フランス語がまったくわからない私ですが、さまざまな方たちに助けられて講演会や列品解説に成果をあげることができました。在仏日本大使館文化広報センターで行われた記念講演会では、カトリーヌ・カドウさんが通訳をして下さいました。彼女は日本映画のフランス語字幕の製作と、学会や政府の公式行事でも活躍する通訳の実力者です。講演会を傍聴したパリ大学の日本人留学生によると、「語られた日本語をそのまま自然なフランス語に置き換えていて、とても分かりやすかった」と達人のワザに驚いていました。
 また図録と展示作品の解説文の翻訳作業を、パリ側は三越エトワールのスタッフでもあり、ボルドー大学助教授で日本文化と美術史を教えるアン・ゴッソさんが、日本側は早稲田大学で「日本人が作った漢詩」を研究されているマリーパブレスコさんほかに行っていただきました。彼女らの翻訳が、展示作品の理解にいかに貢献したかは、アンケート用紙に記入された解説文への称賛の声からも窺えます。また会期中に七回も列品解説会を行いました。通訳をして下さったゴッソさんの頭の中に作品の背景が充分入っていますから、私が話したことの二倍くらいの内容をフランス語で説明してくださったので大助かりでした。パリを離れる前日、28日の夜には、彼女が住むモンマルトルでお別れパーティーをしてもらい、エコールドパリの画家たちが過ごした街を隅々まで案内して下さいました。

 そのほかにも、独り占めするには申し訳ないたくさんの素晴らしい出会いがありましたが、また別の機会にご紹介させていただきたいと思います。

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