『月刊美術』2000年7月号掲載

日光東照宮

籔内佐斗司(彫刻家)

 作家にとって、自分の創作意欲をかき立ててくれるひとやもの、あるいは場所を持っていることはとても大切なことです。私にとってそういう場所の筆頭は、奈良の東大寺、伊勢神宮、そして日光東照宮です。いずれもひと昔前の修学旅行の定番御三家です。そして、これらの宗教施設に共通することは、上代、天平、江戸初頭のそれぞれの時代を代表する建造物、あるいは造形物であるとともに、つねに新陳代謝を行って現代に生き長らえているということです。

家康
 伊勢神宮はご存じの通り、20年ごとの式年遷宮で繰り返しリセットされる再生のプログラムができています。東大寺は、平重衡、松永久秀の兵火によって二度にわたって灰燼に期したわけですが、そのたびに僧侶や信者の篤い信仰に支えられ、それぞれの時代の最高の技術と叡智を駆使し壮大な伽藍が再建されました。
 日光東照宮は、伊勢神宮のような造替事業こそありませんが、順次計画的に建築彩色の塗り替えが行われ、深山の苛酷な気候のなかで、その美しさをみごとに維持しています。「侘び、寂び」や「崩れ行く美を愛でる」だけが日本の美学でないことをこれらはみごとに主張しています。
 5月のある日、テレビ番組の収録で久しぶりに日光東照宮へ出かけてきました。 田植えが終わったばかりの水田地帯とまだ眩い新緑の栃木路はまことにすがすがしい小旅行でした。杉の花粉症に悩む私ですが、幸いその時期も終わり、こころしずかに杉並み木を歩くこともできました。昨年、カンボジアのクメール遺跡を訪れたときに奇妙な既視感を持ちましたが、あらためて東照宮の陽明門や唐門、回廊を前にすると、造形的に共通するものが多いことに気づきました。
 東照宮の極彩色の装飾彫刻について、モダニズムの識者たちからステレオタイプの批判が繰り返し為されてきましたが、はたしてほんとうにそうでしょうか?
 私は一般の拝観者が訪れる前の早朝に陽明門のまえに佇みました。杉木立に包まれた陽明門の朝日に照りかえる金色の金具と、ゆるやかなカーブを持った銅屋根の美しさ、そしてその下のおびただしい彫刻群のかたまりが生み出す微妙な色彩の変化を見落としてしまうとしたら、それは感受性の怠慢としか私には思えません。
 屋内の撮影では、拝殿や石の間に撮影用の照明が入ると、緑青を基調とした淡く落ち着いた彩色が浮かび上がりました。その美しく上品な色彩空間は、後期印象派、特にモネの絵画に共通するようにも感じました。
 東照宮は日光だけでなく静岡の久能山、江戸城、上野の東照宮など徳川家ゆかりの各地にも造営され、それらを地図上で追ってみるときわめて整然たるコスモロジーを作り上げていることがわかります。また「東照大権現」が「天照皇大神」を意識したものであること、陽明門から本殿までの南北を貫く軸線の先に不動の北極星を仰ぎ見ること、そして日光本来の神である「二荒山(ふたらさん)神社」の呼称が、観音信仰と密着した「補陀落山、普陀落山(ふだらくさん)」に由来するという説や、「二荒」が「日光(にっこう)」の語源となったことなど興味の尽きない謎解きに溢れています。
武蔵野稲荷神社

四神

 また、たくさんの中国生まれの架空の動物彫刻ひとつひとつには、本場中国でもすっかり忘れられてしまった意味や性格を読み解くことができます。これらのことについては、同宮禰宜・高藤春俊氏の労作「東照宮再発見」(東照宮発行)や「図説・社寺建築の彫刻」(東京美術発行)を参照されることをぜひお薦めします。
 いずれにしても今回の東照宮参拝は、私の創作意欲をさかんに刺激してくれました。 まるで「ほらほら、早く仕事場に帰って、おれたちを今の世に解き放ってくれよ」と霊獣たちからけしかけられたようでした。

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