『月刊美術』2000年月9号掲載

お絵描き

籔内佐斗司(彫刻家)

 私は、物心つくころから絵を描くのが好きでした。4〜5歳のころには、片面だけ印刷してある新聞のチラシをみつけると、いつもなにかしら絵を描いていました。
 ある日、茶の間の食卓に兄の宿題の原稿用紙が置かれていたので、その裏にクレヨンで絵を描いてしまいました。もう夜中のことですから新しい原稿用紙を買いに行くこともできません。涙ぐむ兄の横で、母が半紙に万年筆で線を引き、手製の原稿用紙を作って急場をしのぎましたが、母は私を強く叱りませんでした。はたして、賢母であったのかどうかはわかりませんが、その時のことを思い出すたび、いまでも兄には、申し訳ないことをしたと思います。
 十歳ころには、真剣に漫画家になろうと思っていました。通信教育で漫画学校を受講したり、漫画雑誌の投稿の常連でした。


韋駄天童子(イラスト)


雷坊(イラスト)

 高校生になってからは、他の科目の成績に鑑みて、絵描きさんにでもなるほかないというのが、本人と担任の一致した意見でした。高校二年生になると大阪のとある美術研究所に通い始めましたが、そこの一級先輩に版画家の山本容子さんがいらっしゃったのを知ったのは最近のことです。
 私が美術大学を受験した頃は、芸大の油画科の競争倍率が五十数倍という時代で、一年浪人した後、私はあっさり絵画から彫刻に宗旨替えをしました。単に受験倍率が油画科の三分の一だったという理由だけですから、いたって志の低いことでしたが、まったく人生何が幸いするかわかりません。
 世間では、彫刻家は日夜デッサンに明け暮れているような印象があるようです。「彫刻家のデッサンは魅力的ですよね」とは、しばしば言われることですが、私は穴があったら入りたくなってしまいます。
 たしかにミケランジェロまで遡らなくとも、ロダン、ブルデル、ムーアなどあちらの巨匠連はもちろん、日本の諸先輩のデッサンもほれぼれするほど魅力的です。
しかし、私はながらく絵を描くという作業から遠ざかっていました。私の彫刻技法が、仏像の作り方を基本にしていますので、彫刻の前段階としてのデッサンを必要としないからです。四角い木に正面図と側面図を描き、鋸で切れこみを入れてノミで粗く彫って行きます。立体的に見当をつけて、材木に直接彫り込んでいくからです。それが禍して、いままでひとさまにお見せできるようなデッサンをほとんど描いてきませんでした。

 もちろん、絵を描くことの楽しさを忘れていたわけではありません。それどころか、いつかは絵を描きたいと考えていました。



布袋・大国主・サンタ・大黒(イラスト)
五月童子(版画)  ずいぶん前に、「オール関西」というローカル雑誌に、神坂次郎さん書き下ろしの「草書本・猿飛佐助」に挿絵を描いていたことがありました。残念ながら前編が終了したところで休載となりましたので、楽しかった挿絵屋のアルバイトも半年でなくなってしまいました。
 この「月刊やぶにらみ」も連載を始めたばかりのころは、冒頭に小さなイラストを描いていましたので、ご記憶の方もおられるかも知れません。しかし、イラストのために締め切りを遅らせるわけにもいきませんので、いつのまにか描かなくなってしまいましたが、悲しいかな誰からもそれを惜しむ声を聞くことはありませんでした。

 ここだけの話ですが、最近絵を描いています。版画の原画です。  アーティスティックな版画ではなく、ことば遊びをふんだんに盛り込んだ現代の浮世絵のようなものを目指しています。ひとのこころを和ませ、また忘れていた「いにしえびとの智慧」を思い出させるようなものです。そして家庭だけでなく、病院や学校などのひとが生活するすべての場になじむ絵柄をと考えています。そういう点では、私の彫刻作品とコンセプトは同じであり、ART FOR THE PUBLICの延長線上のしごとといえます。
 今年の秋ころには、ぜひ具体化したいと考えています。請う、ご期待!
 

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