『月刊美術』2000年12号掲載

街の再生

籔内佐斗司(彫刻家)

 街の再生について考えました。
 第二次世界大戦時、ドイツの大都市の多くは、壊滅的な打撃を受けました。歴史の都ニュールンベルグの90%は瓦礫の山と化したといいます。しかし戦後、行政と市民の地道な努力によって中世から続く街並みの復元が行われ、小さな横丁まで再現されました。いま彼の地を訪れる観光客は、街並みが戦後に造られたものであることを知らずに中世ドイツの雰囲気を満喫しながら散策しています。
 日本でも、近世までの街並みを残していた城下町の大半が、第二次世界大戦の空襲によって消滅してしまいました。戦前の街並みを知る人は、「空襲の前までは、大阪かて名古屋かて、みんな京都みたいな街やった。」と残念そうに話します。しかし戦後の無秩序な復興は、江戸時代の整然とした城下町の雰囲気と風格を完全に失ってしまいました。

売花郎

常泉寺
 日本を千年を超える歴史の国というイメージを持って海外から多くの観光客が日本にやってきます。しかし実際に日本を訪れた客人たちは、無国籍の近代的ビル群の官庁街と、看板と電線だらけの繁華街、そして息が詰まりそうに密集した住宅街に失望を隠しません。
 かつてドイツ国籍の友人に、日本の街並みに歴史観がまったく欠如していることを指摘されたことがあります。私が空襲の話をしたところ「破壊したのは、アメリカ軍かも知れないけれど、今の街を造ったのは日本人だろう?」「ドイツの街並みは、ヨーロッパの一地域の歴史的景観として大切に保存しなければならない。これはドイツ人の責任なんだから。」といわれ、ぐうの音も出ませんでした。

 十月に四年ぶりにニューヨークに行きました。
 私は十二年前に、SOHOのギャラリーで個展をしたことがあります。その時、百年前の古びたレンガの街がギャラリー街に再生したことに驚きましたが、今回この街が、とても清潔で活気のあるファッション街としてみごとに脱皮をしていることに感動しました。そして今度は川沿いの寂れたチェルシー街があらたなギャラリー街として再生しつつあるのを見て、アメリカの懐の深さや柔軟性を見せられた思いです。
 それにひきかえ、バブルの頃に東京の倉庫街にSOHOをまねた現代美術のギャラリーがいくつも出来ましたが、根付くことなく撤退し、以前にもまして寂れてしまいました。
 彼我の街の変遷を見る時、土地の売買と建物の売買のどちらが前提になるかによって結果が大きく変わってくるのだと実感しています。もちろん日本の場合、土地取り引きが中心ですから、新たな土地の取得者は、古い建物を壊し、より収益性の高い建物を安価に建て直そうとします。その点ニューヨ−ク市内は、建物の売買と賃貸が主体ですから、今ある建物や町並みをとても大切にする習慣ができます。これは京都の町屋などでも同じことがいえます。

 街並みの保存と再生は、決して行政による一過性の公共事業として済まされることではありません。ある地域で繰り広げられた先人の営みを、今のひとびとがどのように評価し継承するかということで、時代の文化程度がそのまま現れます。
 現在の木材資源の枯渇のなかでは、旧来の建築工法で都市を再生させることは不可能です。と同時に、中途半端な擬古趣味の意匠はもちろん、地域の歴史性を無視した建築物や新素材の見本市のような街並みを私は憂います。木材が不足しているなら構造材を鉄骨やRCで造り、木材の消費比率をぐんと落としてでも、色彩や意匠の保存を優先すべきです。
 地域の記憶としての街並みの保存と再生が、地域の特性と新しい価値を生み出すことに気付くべきでしょう。
やもりん・やもらん(ブロンズ)
/常泉寺

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