西日本大水害に思うこと

単一樹種による人工林 東大演習林の森 陸前高田の嵩上げ事業

1)山の保水力

  10年ほど前に、北海道富良野の東京大学農学部演習林を訪ねたことがあります。演習林一帯は原生林の植生が維持されて、広葉樹の里山から続く美しい混淆林の山麓は多様な樹種で溢れていました。しかし、山頂から演習林以外の周囲の山々を見渡したとき、愕然としました。近代ドイツ式林業に影響を受けた明治以来の「単一樹種による皆植林と皆伐採」が繰り返された結果、有用樹である針葉樹だけの人工の山林が延々と続いていたのです。この状況は全国一律で行われ、いまや日本の山林のほとんどは、杉、檜、松の人工林だらけになってしまいました。
 広葉樹の落ち葉は、表層土の上に厚く堆積し発酵しながら、昆虫や菌類やバクテリアを涵養してさまざまな養分を生み出し、それが雨水とともに地下水系や川を通って里山や海に流れ込んで、生きものを育みます。わが国の豊かな沿岸漁業は、広葉樹の山によって育まれていたのであり、気仙沼の牡蛎養殖家・畠山重篤さんの「森は海の恋人」運動は、まさにこのことをいっています。
 広葉樹の厚い落ち葉の層は、雨水や雪解け水をたっぷり吸収し、山の保水力の一翼を担います。その点、針葉樹の落ち葉の層はザルのようで、保水力は期待できません。広葉樹や混淆林の自然林と、針葉樹だけの人工林の保水力の違いは歴然で、集中豪雨になれば、濁流は人工林の山から一気に平地に流れ込みます。それにくわえ、広葉樹は深く根を張って地面をしっかり保持しますが、針葉樹は浅く広く根を張るため、表層土が流れると一気に山崩れを起こしてしまいます。西日本大水害は、地球的規模の気候変動だけが原因ではないことは明白です。

2)「此処より下に家を建てるな」

 東日本大震災のあと、岩手県の陸前高田や宮城県の石巻などへたびたび出かける機会があります。ご存じの通り、陸前高田の市街地は大津波で全滅しました。そして少し高台へ上がる道の途中には「此処より下に家を建てるな」などと彫られた古い石碑を見かけました。昭和の初めの津波が到達した地点に先人たちが子孫へ遺してくれた警告でした。しかし戦後、その石碑の下の平地につぎつぎと市街地が造成されていったのです。山崩れや洪水は、人が住んでいるところで起こるから災害になるのであって、人がいなければ単なる自然の営みに過ぎません。
 津波の後、陸前高田では周辺の山を大規模に削り、その土で被災地全体に6メートルの嵩上げ工事を行いました。そのおかげで、剥き出しになった山肌から土砂が河川に流れ込むようになり、あらたな山津波が懸念される事態になっています。

3)費用対効果

 陸前高田では、津波対策として沿岸一帯を高さ10メートルのスーパー堤防で囲ってしまいました。しかし1000年に一度といわれる大津波のために、100年ほどしかもたない鉄筋コンクリートの巨大な堤防を造る意味があるのでしょうか?それより遙かに少ない予算で、高台移転をした地区への効果的なアクセス、たとえば緊急用のエレベータやエスカレータの設置など、また避難施設を兼ねた多目的ビルをたくさん造り、それを高架橋で繋いで観光用の周遊路を造って電気自動車を走らせるとか、もっと有効な街づくりの方策はなかったのでしょうか?そもそも、6mの嵩上げ工事をしたうえに10mの堤防は必要だったのか?10mの堤防を造ったのなら6mの嵩上げ工事は必要なかったのではないのか?そして永年海の恵みに依拠してきた陸前高田のひとびとから海岸を取り上げて、はたしてこの街の復興といえるのでしょうか?
 震災以後、行政は原子力発電の代替事業として、大慌てで山を削り大量の太陽光発電パネル設置を推進し、また山の頂の木を刈ってほとんど回転することのない風力発電の巨大な風車を続々と建てました。太陽光パネルに耐用年数がきたときの廃棄にかかる莫大な費用は考慮されていたのでしょうか?風力発電の風車の稼働率を、きちんと検証しているのでしょうか?いや、そもそもわが国の美しい風土に、これらの醜い構造物が相応しいのでしょうか?

  津波や水害は自然災害といわれますが、実際は愚かな人間の短慮が自然のバランスを崩し、ひとが住むべきではない場所に街を造ってしまったことによる人災である面が大きいことは明らかです。海や山や川に神を見た先人のこころと治山治水の英明な経験知に、現代人は謙虚に学ぶべきだと思います。
 末筆ながら、今回の水害で犠牲となった方々に哀悼の意を表し、被災されたみなさまにこころよりお見舞いを申し上げます。

籔内佐斗司