西日本大水害に思うこと1)山の保水力 10年ほど前に、北海道富良野の東京大学農学部演習林を訪ねたことがあります。演習林一帯は原生林の植生が維持されて、広葉樹の里山から続く美しい混淆林の山麓は多様な樹種で溢れていました。しかし、山頂から演習林以外の周囲の山々を見渡したとき、愕然としました。近代ドイツ式林業に影響を受けた明治以来の「単一樹種による皆植林と皆伐採」が繰り返された結果、有用樹である針葉樹だけの人工の山林が延々と続いていたのです。この状況は全国一律で行われ、いまや日本の山林のほとんどは、杉、檜、松の人工林だらけになってしまいました。 2)「此処より下に家を建てるな」 東日本大震災のあと、岩手県の陸前高田や宮城県の石巻などへたびたび出かける機会があります。ご存じの通り、陸前高田の市街地は大津波で全滅しました。そして少し高台へ上がる道の途中には「此処より下に家を建てるな」などと彫られた古い石碑を見かけました。昭和の初めの津波が到達した地点に先人たちが子孫へ遺してくれた警告でした。しかし戦後、その石碑の下の平地につぎつぎと市街地が造成されていったのです。山崩れや洪水は、人が住んでいるところで起こるから災害になるのであって、人がいなければ単なる自然の営みに過ぎません。 3)費用対効果 陸前高田では、津波対策として沿岸一帯を高さ10メートルのスーパー堤防で囲ってしまいました。しかし1000年に一度といわれる大津波のために、100年ほどしかもたない鉄筋コンクリートの巨大な堤防を造る意味があるのでしょうか?それより遙かに少ない予算で、高台移転をした地区への効果的なアクセス、たとえば緊急用のエレベータやエスカレータの設置など、また避難施設を兼ねた多目的ビルをたくさん造り、それを高架橋で繋いで観光用の周遊路を造って電気自動車を走らせるとか、もっと有効な街づくりの方策はなかったのでしょうか?そもそも、6mの嵩上げ工事をしたうえに10mの堤防は必要だったのか?10mの堤防を造ったのなら6mの嵩上げ工事は必要なかったのではないのか?そして永年海の恵みに依拠してきた陸前高田のひとびとから海岸を取り上げて、はたしてこの街の復興といえるのでしょうか? |
籔内佐斗司 |