置物の復権
籔内佐斗司
本誌特集にあたり、「置物の復権」について書けという。前々から、「彫刻は置物だ」説を唱えていた手前、発言の責任を取らなければならない羽目になった。すでに彫刻作品を生活の場で楽しんでおられる賢明な方々には、いまさらの感を書き連ねるため、この項はどうかすっ飛ばして頂きたい。
信仰の上で、奈良の大仏と小さな念持仏のどちらに値打ちがあるかという比較は成り立つだろうか。大仏さまはたくさんの人々の願いや苦しみを聞いて下さる大きな船であり、念持仏はたったひとりの苦しみや悲しみを癒して下さる一人乗りの小さな船である。存在の目的が違う以上、どちらが大切とか偉いとかの論議は無意味である。
ところが美術界では戦後、大作至上主義がまかり通ってきた。とくに彫刻の世界は「都美館サイズ」といわれる大作主義への盲信は重症だった。関東地区では美術大学の卒業制作展のほとんどが東京都立美術館で行われる。そのため世に問うべき作品は都立美術館に並べて恥ずかしくない大きさでなければならないと学生たちは刷り込まれてきた。また各美大の彫刻実習室は、「団体展」や「コンクール」の出品作を作るための広さと設備を競って充実させた。天井からは電動式のクレーンがぶら下がり、チェーンソーや削岩機やフォークリフトが大活躍している。学生たちが卒業後にそんな環境を維持できるはずもないのに、である。彫刻界が慢性的に人材不足であり、画商界で彫刻のマーケットが形成されなかったのは至極当然のことだったと思う。
「美術手帳」誌・一九八八年二月号の【作家訪問】の取材で、私は次のように答えている。
問. 昨年(註;八七年)のふたつの個展では、桃太郎や平安時代風の人物の顔が
ありましたが・・・。
答. ええ、新しいシリーズです。(中略)桃太郎と鬼なんていうお伽話は肩の力
を抜いてつくれる。誰でも知っている、安心して見られる。楽しいですよ。
大衆性に迎合した安直な卑俗性。いかなるご批判も甘受いたします。
問. 大作が中心の展示から比較的小品が中心になったのは、八五年の「ふえい
す・ぱふおまんす」あたりからですね。
答.そうです。私にとって、大仕掛けなものと小品は極力並行してつくっていく
のが理想です。大作と小品は、それぞれ刺激し、補完しあうものだと思うか
らです。それと私は、当初から彫刻で食べていけるようになりたかった。そ
のためには、自分がなにか物を買う場合を想定して、家にもって帰って飾れ
る物の条件をいろいろ考えたわけです。大きさや耐久性、安全性、飽きたら
箱に入れてしまっておけるとか、よごれたら掃除できるとか、生活空間での
「物」として在るべき姿をね。
(中略)
問. つねに、作品を享受する側も射程にいれようというわけですね。
答. はい。私は私以外の人の生活のなかに溶け込める「物」をつくっていこうと
思っています。とくに小品では、そういうふうに徹底したい。・・・
ここで私が答えていることは、十年たったいまも作家の姿勢として全く変わっていない。そしてこの年の十二月に私ははじめてのブロンズ作品「無邪鬼」二態(非売品)を制作した。その後ブロンズ作品はすでに七十アイテムを超える。ブロンズの小品を作り始めたころ、一部の美術商から「日本にはブロンズのマーケットは絶対にできませんよ。」等の忠告をもらった。それはもっともな経験則であったが、私は青銅という素材と複数性の面白さに強く惹かれていた。そしてブロンズ彫刻のマーケットがないのであれば、「作ればいいじゃないの」と持ち前の無鉄砲さと楽観主義が首をもたげたのだった。
いまたくさんのひとたちの理解とご支援のおかげで「籔内佐斗司の小品ブロンズ」は確かな愛好者層を獲得しつつある。今後たくさんの作家が輩出し、上質な小品彫刻が美術界で市民権を獲得する日の来ることを願っている。
日本の美術品の価値基準はよくもわるくも茶道具の形式を踏襲している。箱書きや「初(うぶ)」ものを尊んだり、希少性にとことんこだわる。したがって、市井の個人が生活の場で楽しむものは、芸術性も低く評価され勝ちであった。もちろん「希少性」や「権威」に価値を求める心理は自然であり、私はそれを否定しようとするものではない。しかしそれとは違う価値基準、すなわち「自分がよいと確信したものもよい物だ」という自信を持つべきなのだ。
「芸術は爆発だ」と叫んだのは岡本太郎先生であるが、私は常々「芸術は場だ」とささやいてきた。物(絵画や彫刻など)や刺激(音楽や映像など)と出会った受け手のこころのなかに巻き起こる心理状態こそが「芸術」の場を生み出すのだと。だから自分が「いいな」と思うことがなによりも大切なのだ。そのきっかけが家庭に持って帰ることのできる大きさと重さであり、家庭不和をひき起こす価格でないならこんなに素晴らしいことはない。また、そうしたものの選択肢がたくさんあればあるほど文化的に高度な社会といえるだろう。
近年、生活をエンジョイするための仕掛けとして美術を活用する若い世代が増えてきたことは本当に嬉しい。作家が最初から大家として完成されているのではないように、コレクターも最初から逸品のみをターゲットにできるわけはない。私は表現者の責務として、美術を生活に取り込もうとするひとたちにさまざまな楽しみ方を提案していきたいと思っている。
図版クレジット;
最新作「金運将来 おきばり童子」高さ15Bh、限定個数/50個