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芸術新潮1987年9月号 連載20/音のある仕事場

職人横町の仕事唄

 私の仕事場は、東京の下町、台東区東上野にあります。浅草通りと清洲橋通りが交わる稲荷町交差点からちょっと入った横町のなかほどで、浅草の観音様も歩いて十五分ほどです。
 この辺りは、城北鎮護のお社・下谷神社のご加護か東京大空襲にも焼け残り、古色蒼然たる棟割り長屋や、欅造りに銅板葺きの商家がそここに残っている、それはそれは下町情緒満点の地区です。今も、浅草通りは仏壇屋が軒を並べていますが、もともとこの街は浅草寺の寺町として発展したところで、その下職として仏師・塗師・錺職などが多く住んでいたようですし、名にし負う吉原に近いことからも三味線を始めとする和楽器や割烹道具の需要を満たしていたこともあったでしょう。徳川以来の士農工商の工の部分の“居職(いじょく)”(もはや死語となりましたが、私の好きな言葉です。)の職人達の末裔が、まるで時間が止まったように今もなお、淡々と仕事に励んでいます。琴師・三絃師・錺職・江戸凧・提灯屋・蒔絵師・包丁研ぎ・桐箪笥製造・弓矢師・和竿造り・手作り箒職などが歩いて数分のところに全部揃っています。そして私の工房のある五十メートルほどの横町だけでも、頑固に植字印刷しかしない印刷屋さんとか、一日何十個もツキ板の木箱を作ってしまう人や、神・仏具の指物師、紙器の抜き型製作業、箔押し屋さんなどなど。仏具の彩色をしているNさんは、さる女優さんのお母さんとか。それを教えてくれたのは、漆塗りに使う地の粉(じのこ)を買いにいった古い造りの塗料屋のおかみさんでした。
 すぐ裏の野沢さんは、ステテコにクレープシャツ姿で重文級の能面を入れる桐箱を作ります。先日は、鎧櫃を入れるとかで、ひとかかえもある桐箱を作っていました。そして我が工房の二階に住んでおられる家主(いえぬし)さんの「でん」おばあちゃんは、おん年八十五歳、かつてこの地で洋服の仕立て屋をしていたという職人OBいやOG。今もかくしゃくとしたもので、毎日昼過ぎに洗濯の残り水で工房の前にも打ち水をして下さいます。
 窓を開けていると、こうした大先輩の師匠連の仕事の音が心地よく響いてきます。指物のほぞ穴を穿つ軽快なのみの音や鉋の刃を調節する金槌のリズミカルな音のあとに、桐の板を確実に削っていく小気味のよい音が聞こえます。ちょっと離れたところでは、一日中、昇降盤が働いています。時折、鉋盤がかん高い音をたてています。
 そんな人たちには、お面のような、生首のような妙な物ばかり作る新参者の木彫りの若造はどんな風に映っているのやら。以前はよく「何に使うの、それ?」と聞かれて返事に窮したものです。
 こんな風情にかこまれたわが仕事場に似つかわしい“音”とは何でしょうね。
耳あたりのいいバロックや、はやりの環境音楽はここでは何やら白々しい。ロマン派や近代のシンフォニーは、職人のBGMとしては最悪です。ロックはもともと好きじゃない。演歌や歌謡曲はカラオケで唄う方がいい。おおむねジャズは具合がよろしいが、一番お気に入りのロン・カーターのベースが、わが工房のラジカセではコンコン・ボコボコいうだけで、ロン・カーター先生に申し訳ない。変わったところで天台宗の声明(しょうみょう)なんかをかけてみたけれど、気が滅入るばかり。
 そこで今、ラジオにも飽きて耳寂しい時鳴らすのが「相撲甚句」と「木遣り」。
 「相撲甚句」は本来トピカルなアドリブの妙を楽しむもので、録音されたものは標本的な感じがしますが、何度も聞いているうちに言葉の意味も消え失せて、NHKの騒々しい中継なんかなかったころの、青空と地道と道ばたの雑草に囲まれた、のどかな相撲見物を彷佛とさせていいもんです。
 江戸の鳶職の仕事唄である「木遣り」は、木を動かすという意味と気合いを入れるとの両方の意味が込められていて、やわな木彫り屋が仕事に疲れた時、聞くにはもってこい。掛け声ばかりで言葉がないのが(あるいはそういう風にしか聞こえない)すこぶる耳に心地いい。
 一日の仕事を了えて、缶ビールなんぞ飲みながら聞く「木遣り」は、職種は違うけれど同じように木を愛してきた古えの人の心意気にふれるようで何とも心なごみます。
 昨今の地価暴騰でこの界隈も地上げ屋さんの格好の標的となったようで、私の知る限りでもこの三ヶ月に五ケ所ほど、古い古い長屋があっというまに取り壊され、鉄筋コンクリートのテナントビルに建て替えられています。
大空襲にも生き延びたこの下町の雰囲気も、職人たちとともにすさまじい勢いで確実に消えているのです。
魚屋の店先で、前掛けをしたおばあちゃんが工事現場を見上げながら「こんなにみんな壊しちゃって、いったいどうなっちゃうんだろうねエ」とつぶやいていたのが耳に残ります。

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