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「一奈良県民さんとの対話」

〜2008.4.27 4:11am〜
【一奈良県民】

拝啓 藪内様

平城遷都1300年祭マスコットキャラクターの件につきまして、協会からの発表時から県民のひとりとして真剣に考え、事態を見守っておりました。
 自身のブログやネット上の会議などでもいろいろと意見を発言しておりますので、大変失礼ながら名前はふせさせていただきますことをお許しください。
 また、誹謗中傷やくだらない意見が飛び交うようなコミュニティには何の興味もなく、参加はもちろん、見ることもしておりません。また、まじめに考えているが故に、そして藪内様にも真意が伝わりますようにと、ネット上での騒動が落ち着くのを待ってメールさせていただいとことを予めお伝えしておきます。

さて、そもそも私がキャラクターの件につきまして真剣に考えるようになったのは、当時、小学校4年になる娘が、このキャラクターを見て言った言葉にショックを受けたからです。

 「この子、頭から角が生えて来てかわいそう。なんでこんなことになったの? なんとかしてあげられないの。」

 私の娘が特に強い感受性を持ち合わせているのかも知れませんが、仏教や宗教的な思想、芸術について何の知識も持ち合わせてもいない純粋な子供の意見に、親として返す言葉が見つかりませんでした。

 これから先、他県に住まれている方は意識的に探さないと見られないでしょうが、県内ではきっと至る所でこのキャラクターが使用され、子供たちも好むと好まざるに関係なく、否応なしに目にすることとなるでしょう。
 その中にはきっと我が娘のように感じる心優しい子供たちがいるものと信じております。
 そして、その年代の子供たちは、まだ世間に意見を発信する術を持ち合わせておりません。

 私は我が娘の悲しそうな、泣きそうな顔をして言った言葉の重みを大切にしたいと思います。
 そして娘の代理としてメッセージを発信するのが親の務めとメールを送らせていただきました。

 もし叶うならば、何卒キャラクターデザインの再考をご検討いただけますよう切にお願いする次第です。
 今が最後のタイミングだと思います。
 キャラクターデザインに対するいろいろな反対意見があるようですが、それらをデザイン再考のチャンスと捕らえていただき何卒ご英断いただけますよう心からお願い申し上げます。

 藪内様のHPにございます「平城遷都1300年祭マスコットキャラクターに関するお問い合わせに対する総括的なご回答」の「2) デザインコンセプト」に使用されております鹿の背に乗る童子の像、とても可愛くて神秘的で素敵で、そしてなにより奈良らしさが感じられ、可能ならば是非手に入れたいと思いました。
 この童子のように・・・。

〜2008.4.27 10:40am〜
【籔内】

一奈良県民さま

 メールを拝見しました。
 お嬢さまの感受性に溢れたおことばに胸が熱くなりました。
 そして、その言葉が出たときに、あなたとお嬢さまのあいだで、日本人のこころの歴史や大乗仏法が説く大日如来や観音さまの「変化(へんげ)思想」について、お話しされる機会になればもっとよかったと感じます。

 私は、平城遷都1300年祭が、わが国の歴史と現在とこどもたちへ渡す未来を考える知的な催しになることを願っています。子ども達に媚びを売るだけの幼稚なおまつりではなく、彼らの知性と感性の成長に寄与するものであって欲しいと思っています。
 せんとくんについて、たくさんの方がそれぞれに意見をおっしゃっていることは、その点で意味のあることだと感じています。
 お嬢さまが「かわいそう」と思われた感性も素晴らしいと思いますが、その感性をどのように受け止め成長させてあげるかは周りの大人の努めです。

 もしあなたが、いわゆる日本の仏法に親しみをお持ちでしたら、次のような観点からせんとくんを見守ってあげるよう、お嬢さまにおっしゃっていただけませんか?

 「かわいそう」とおもう気持ちは大切だけれど、それが「自分たちと同じすがたかたちでない」という理由から「かわいそう」と思うことのないように。
 ひとはそれぞれに違います。背の高いひと低いひと、目の大きなひと小さなひと、手が二本のひともいれば生まれながらに片腕のひともいます。ひとに限らず、同じこの世に生を受けながら、あるものはひとの姿をし、あるものは四つ足になり、六本足になります。角のあるものも、鼻の長いものも、生まれ落ちた場所から動けない植物にも生まれます。
 しかし、そのいずれもが仏法の現れであり、それぞれが精いっぱいいのちを輝かせているのだから、そのすがたを大切に尊重してあげよう・・と。
 仏法の根本姿勢である「慈しみ」と「悲しみ」ということを、ぜひお嬢さまとお話しになるきっかけにしてください。

 以下はお嬢様へ、せんとくんからのメッセージです。

○○さんへ
 ぼくの頭に生えている鹿の角について、あなたが心配してくれたことを知って、とても嬉しく思っています。
 でも安心して下さい。僕の角は、春日大社の神さまのお使いのしるしなのです。
 そして額のこの渦巻きは、ほとけのお使いであることを表しています。
 2010年に平城京に都が定まって1300年になることをお祝いして、ほとけさまや神々から使わされた「童子」なんです。

 今からおよそ1500年まえの日本人は、それぞれのご先祖である氏神さまや、太陽や月や山や川などのそれぞれに土地を守る大自然の力(それを神さまと呼びました)を畏れ敬う気持ちを持っていました。そこへ、2500年前にインドで興り今のアラブ地方を通って中国で大きく広まった仏教が、1400年前の飛鳥時代に朝鮮半島から伝えられました。
 そのときに、今までお祀りしてきた神々を大切にする人たちと、新しい佛教をひろめようとする人たちとが、それぞれに排斥する(相手を認めず否定する)ことなく、それぞれに観る窓が違うだけで、同じようにたいせつにしなければならないものなんだということに気がついて、仲良く共存する道を選びました。これを「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」といって、その後の千数百年間、この国の人たちのこころのよりどころになりました。

 今から1300年まえに、奈良市は平城京というわが国の首都になりました。すなわち天皇さまが住んで、この国の政治と文化の中心地になったわけです。そのとき、大きなお寺が次々に造られました。東大寺や興福寺、元興寺、薬師寺、大安寺などなどです。そのころのお寺は、今でいえば仏法を研究する大学のようなものでした。
 そして、そのお寺にはかならず、その土地とご先祖さまを祀る神社を建てました。お寺とそこで学ぶひとびとをしっかりお守りするためです。
 そのなかの興福寺は、東大寺をお創りになった聖武天皇さまといっしょに平城京を造られた当時の一番有力な一族であった藤原氏のお寺として造営されました。
 その時に、今の茨城県と千葉県の境にあった鹿島神宮(鹿島アントラーズの本拠地がある場所です)の神々が、平城京を守るために鹿に乗ってやって来たという伝説があります。
 ぼくは、そうした奈良を守護する神々と仏法をひとつのものと考えた日本人の「和のこころ(ちがいを争いの理由にするのではなく、おたがいを尊重し理解を深めようとするこころ)」を表したものなのです。

 すこしむつかしいお話しだったかもしれないけれど、ぼくのすがたの意味を理解してもらえたら嬉しいな。そして、これから2010年に向けて、ぼくのたくさんのなかまがいろんな姿になって、このお祭りを応援にやってきます。楽しみにしていてくださいね。
 心配してくれて、本当にありがとう。

せんとより


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