興福寺秋の特別公開記念講演会 「せんとくんが教えてくれたこと」

(2008年11月17日) 2Page

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白毫について)

 私は彫刻家であるとともに、仏像の修復をする立場から、ほとけの三十二相の発生に大変興味を持ってきました。

このほとけの特徴を示す三十二相の成立がいつなのか、いまだ定説はなさそうですが、2〜3世紀のころに大乗経典を集大成した龍樹菩薩あたりではないかと思われます。4世紀ころの鳩摩羅什が中国へ大乗仏教を大系的に伝えるために仏教の百科事典のような「大智度論」を漢訳しました。その第四巻に、ほとけとはこのようなすがたをしておられると三十二の特徴を列挙しています。おそらく、ほかの宗教の像と区別する必要から、また仏像や仏画を制作する上での典拠として、こまかなスペックをまとめたのではないかと考えられます。しかし羅什訳と対応するすべてのサンスクリッド原典が見つかっておらず、漢訳「大智度論」については、サンスクリッド語の完全な原典があったのか、龍樹が書いたかのようにして創作されたものが紛れているかの明確にはなっていないようです。いずれにしてもこの時点で、お釈迦さまがお亡くなりになって800年以上経っているわけですから、在世中の特徴を正確に伝えていると考えるのには無理があると思います。

三十二相のなかには、超現実的な特徴が多く列挙されています。白毫と同じくらい有名な「手足指曼網相(しゅそくしまんもうそう)」について、「ブッダの手や足の指の間には水かきのようなものがある。これは衆生をもれなく救済するためのものだ」などと説明されてきました。しかし、もともとは、石で手のひらを彫刻する際に、誤って指を折ってしまわないように、指の間を彫り残して彫刻していたことに由来しているのは明らかです。これが造形的に美しく彫り残された石像を見て、仏の特徴と勘違いし、意味も後付けされたものと思います。

 「正立手摩膝相(しょうりつしゅましつそう・直立したときに、膝を撫でられるくらい腕が長い)」というのも、いささか不思議な特徴です。「大智度論」よりはるか昔に作られたガンダーラ仏やマトゥラー仏には人体の比例を無視するような特徴は見られません。

頭頂も「肉が盛りあがっている」とされますが、仏像彫刻が作られ始めたころのガンダーラ仏やマトゥラー仏には、髪を束ねたものは多くありますが、肉髻といわれるこぶ状に盛りあがった頭頂はまれです。

 お茶の新芽は、銀色の産毛に覆われていて、これを「白毫」といいます。紅茶のオレンジペコの「ペコ」の語源です。もちろん中国人がほとけの眉間の白毫に例えたのだと思います。
 何年も前のことですが、スリランカから日本に来ていたビジネスマンと白亳をはじめとする三十二相についてお話したことがあります。彼は、イギリスの大学院を出たインテリであり、また敬虔な仏教徒でした。彼がサンスクリッド語で唱えた経典の一節は、耳にたいへん心地よく、仏教経典はこの美しい言葉で語り継がれたものだということがとてもよく実感できました。
 そして、たくさんの話題のなかでつよく印象に残った話は、仏像に対する彼の考えでした。
 彼は、「私は、ブッダの教えに従って生きているのであって、仏像という偶像を信仰しているわけではない。また、仏の三十二相の多くは、ブッダにかぎらず、超人的なひとを表すのにしばしば用いられたたとえであって、現実の釈迦の姿を反映しているわけではないので、自分にとっては大した意味はない。そして、いろんな国に行けば、自分の思うブッダの像ではないものを多く見かけるけれど、それを大切に思い拝んでいる人がいれば、尊重するし礼拝もする。しかし仏教は、偶像崇拝の宗教ではない」と実に明快に語ってくれました。


チャクラ)

 ヒンドゥー教でさかんに説かれるヨーガ理論のチャクラについて、少しお話をさせていただきます。
 チャクラは、生きていればだれにでも備わっていて、背骨に添って存在する体内のエネルギーが集り放出される七つの場所として、ヨーガでは重要なポイントです。初期のインド密教に近いとされるチベット密教では、生命エネルギーを「風(ルン)」と表現します。漢方でいう「気」に対応するものでしょうし、そうなると、生命の活力の象徴である私の「童子たち」と同じ意味になります。余談ついでに申しますと、チベット密教は、ヨーガ理論を中心に構成されます。中心軸のチャクラを五つと解釈して、それが金剛界五大如来すなわち大日如来を中心とする五智如来や、地水火風空に相応させてさまざまな理論を展開します。
 外面的には、ある種の能力を有したひとが観察すれば、下のチャクラから順に赤から白までの光のスペクトルの色をした渦巻き状、あるいは蓮華や輪が旋回しているように見えるそうですが、もちろん、私などには見えません。
七つのチャクラのうち、眉間のチャクラは、下から六番目、上から二番目に位置し、顔面に集中している眼・耳・鼻・舌などの感覚器官、認識機能と直結しています。チャクラの理論は、古代インドで広く普及していたもので、ヒンズー教の神々には眉間に心眼を持っている像がたくさんありますし、チベット仏教系の明王像にも多く見うけられます。また今も多くのヒンドゥー教徒は、眉間にビンディーという点を眉間につけていることはよく知られたことですね。

ほとけの眉間に白亳がいつ発生したかについては、まだ定説がないようです。ガンダーラやマトゥラーの仏像には、眉間のほくろ状のものや渦巻きが立体的に彫刻されているものもありますが、彫刻の表面には表わされていない像もたくさんあります。白亳が、原始仏教のころから巻き毛なのか、それともチャクラを暗示するものなのかは、たいへん解釈がむつかしいようです。原始仏教経典をよく伝えているといわれる「発句経」には、白亳をはじめ三十二相について言及した部分は見あたりません。
 観無量寿経で、お釈迦さまが眉間から映写機のように光を発してさまざまな浄土を出現させる場面があり、白毫がただの巻き毛ではないことを伺わせます。

法華経にも、「その時ほとけは、眉間の白亳相から光りを放って、東の方一万八千世界を照らし、その光の及ばざる処はなかった」と述べられている箇所があります。

 あまり知られていませんが、眉間以外のチャクラが暗示されている仏像もたくさんあります。胸に卍紋を描いた如来は多いですね。お不動さまの頭頂には最上位のチャクラである白蓮が咲いています。伝香寺の裸地蔵さまの股間には、下から二番目のチャクラとして円相が描かれていますし、三十年ほど前に私が修理させていただいた新薬師寺の裸地蔵さまの股間にはまだ開いていない蓮華が彫刻されていました。

 ヨーガ理論は、仏教でも瞑想法や深層心理の探求に取り入れられ、チベット密教においてたいへん複雑な理論体系と修行階梯に発展します。興福寺さまの法相学とも深い関係があると聞いていますが、詳しいことは貫首さまにお伺いください。奈良ホテルの近くに瑜伽(ゆが)神社がありますが、もともとは瑜伽すなわちヨーガとなんらかの関係があったのかもしれません。東名高速の東京の側の起点は用賀インターですが、ここの地名も瑜伽と関係があったと聞いたことがあります。アクロバティックな体操だけをヨーガというのではなく、古代インドのたいへん深遠な生命観や精神医学、生理学、そして密教の奥義と密接に結びついたものであることをご記憶に留めておいてください。

 このように、仏像の造形は、古代インドの文化圏のなかで長い時間をかけて成立し、それぞれの時代の思想や造形に大変影響をうけてきました。

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