興福寺秋の特別公開記念講演会 「せんとくんが教えてくれたこと」

(2008年11月17日) 3Page

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日本の仏教について)

 私がせんとくんのデザインにこめたのは「日本の仏教」です。それは、2500年まえにお釈迦さまがお説きになった教えを出発点にしてはいるけれど、釈迦の死後1000年以上経ってわが国に伝わったのは「釈迦の教え」そのままではありませんでした。西アジアやチベットを経て、中国に広がり、朝鮮半島からわが国に伝わったという永い歴史のなかで、それぞれの地域や民族の信仰や文化と融通無碍に混ざり合いながら形成され、そしてわが国で八百万の神々と出会って習合し、わが国特有の発展を遂げていった大乗仏教のひとつの帰結した姿であろうと思います。
ある宗教学者は、「仏教の歴史は、釈迦の教えから変貌していく歴史である」ともいっていますが、これは大乗仏教の本質を突いた名言といえましょう。

仏教には、上座部仏教系と大衆部仏教系の二系統があります。小乗仏教と大乗仏教の方が通りはいいかもしれませんが、小乗仏教というのは大乗の立場からいささか軽蔑の意味を込めた呼称として、現在では使わない方向にあります。ふたつの立場の最大の違いは、「利他行(出家者以外の救済を行う)」を修業の中に含むかいなかです。利他行を、菩薩行と言い換えてもいいでしょう。
もともと原始仏教教団では、出家者の役割を、ただひたすら自身の修業にいそしむこととして、経済活動や社会活動に関わってはならないという立場でした。彼らが対社会的に行うことは、乞食行だけです。出家者は、世俗から完全に離れ、ただひたすらに修業に励むがゆえに尊敬され、在家者は彼らにただひたすら施しをします。これが原始仏教教団と支持者の関係でした。日本では、鎌倉時代に釈迦が説いた民衆の仏教に帰ろうとする動きが顕著になりますが、その頃の一遍教団のありようなどが、原始仏教教団にちかいと思います。
釈迦の死後、戒律に対して保守的な上座部系と革新的な大衆部系との確執が続き、アショカ王の時代に教団がふたつに割れるという根本分裂がおきて、現在にいたっています。
海外の宗教学者には、大乗仏教を仏教ではないと考える人が結構います。わが国でも江戸時代の学者・富永仲基がすでに「大乗非仏説論」を唱えています。
なぜなら、大乗仏教の教団では、衆生救済のために、また巨大化した組織を維持するために、原始仏教教団が禁じたさまざまな戒律を破り、生産活動や経済活動に携わるからです。

 わが国の僧侶のありかたについては、国際的な宗教者会議などで、スリランカやタイなどの上座部系仏教者からはしばしば指弾されるそうです。すなわち、出家者が妻帯していること、こどもをもうけていること、飲酒・肉食が常態化していること、寺を世襲すること、葬送儀礼や墓地管理、さまざまな経済活動をおこなっていること、政治的な活動をすることなどです。拝観料の定額徴収や戒名料については、海外のひとならずとも、多くの日本人が疑問に思い始めています。

 しかしわが国の仏教者は、1500年の歴史の帰結として現代のありようを肯定し、その歴史を踏まえたうえで「日本の仏教」を柔軟に理論化し主張すべきであると思います。これは、歴代の祖師がたが、経典から学び啓示を受けた思想をそれぞれに体系化し、宗派を形成したわが国の仏教の特徴といえるからです。そして今私たちは、これからの日本人のありかたやこころのよりどころを、平城遷都1300年の歴史を踏まえた上で、日本の仏法を軸として創り出して行かなければならないと思います。

上座部系仏教の経典に厳密に照らせば、ビルシャナ仏も大日如来も阿弥陀如来も、観音さまもお不動さまも、日本人になじみ深い仏像の多くは矛盾しますし、空海や最澄をはじめとする我が国の各ご宗派の祖師がたは、仏教を歪めた異端者としなければならなくなるでしょう。
卑近な例で恐縮ですが、インドのカレーが、わが国でカレーライスやカレーうどん、カレーパンに変貌して、国民食として愛されていますが、もしもカレー原理主義者が、「これはインドのカレーとは別物であるからカレーと呼ぶべきではない」といったとしたら、日本人がカレーを愛し育んできた歴史を否定することになります。本場のカレーを知り尊重することは、自分たちのカレーを客観的に見るために大切なことですが、日本人が日本のお米や食材に合うように作り替えた日本のカレー、あるいはお母さんのカレーライスに私たちが愛着を感じるのは自然なことであり、私たちの文化として誇りをもつべきです。
仏教においては、受け取るひとのこころが清らかでありさえすればという前提のもとに、ひとりひとりがお釈迦さまのことばをそれぞれに解釈することを認めているのがお釈迦さまのおしえであり、原理主義的解釈に拘泥することを戒めておられると私は理解しています。華厳経に出てくる「心外無別法(こころのほかにべつなる真理はない)」や七仏通戒偈の「自浄其意(みずからそのこころをきよらかにしなさい)」やお釈迦さまの遺言といわれる遺教経の「自灯明、法灯明(みずからをよりどころとし、きよらかなこころをあかりとして歩みなさい)」などのことばはそのことを指すのではないかと思います。

わが国の仏教は、アショカ王や中国の唐のように国家を治める仏教から出発しています。その後、釈迦の教えに帰ろうとした鎌倉時代には、道元や栄西たちが仏教における神秘主義を否定する禅宗をひろめました。また自身を末法に現れる上行菩薩になぞらえた日蓮のようなひともでます。釈迦如来ではなく、ただひたすらに阿弥陀如来に身を委ねることを願う法然や親鸞の仏教もあります。
語弊をおそれずにいえば、日本の仏教の源流を遡っていくと、お釈迦さまに行き当たる流れとともに、メソポタミア地域の光明神・アフラマツダーの信仰を確立したゾロアスターに繋がる大きな流れがあることに気がつきます。
ある知り合いのお坊さまが、おもしろいお話を聞かせてくれました。インドの上位のカースト社会に属するひと、むかしでいえばバラモン階層のひとですが、彼から「日本の僧侶は、妻帯をし子供をもうけている。肉も食べるし酒も飲む。税制面で特権を保障され、またその特権と寺院を世襲している。乞食や布施で命を維持するわけでもなく、仏教徒の戒律は有名無実となっている。しかも葬送儀礼や信仰の場で司祭の役目を担っている。まちなかの一等地に住み、儀式には豪華な装束を纏い、日常も優雅にくらしている僧侶も多い。こうしたことを考えると、あなたたちは、かぎりなくバラモン階級に近いのではないのか?」と非常にシニカルに問いかけられたということです。


鹿の角について)

 せんとくんに鹿の角が生えていることについては、私なりに仏法を真摯に解釈して確信を持って創り出したデザインです。
地獄絵図などには、牛の角を生やした牛頭や、馬の頭をした馬頭、それに鹿の角を生やした獄卒が、亡者を追いかけまわす恐ろしい鶏などとともに描かれています。そうした獄卒を連想された方がいらっしゃったのかもしれません。
しかし彼らの姿は、この世でそうした動物を虐待し殺生をすることを戒めるための教育効果を狙ったものであって、決してそれぞれの動物にそのような性格があるという意味ではありません。もともと地獄極楽は、チベット密教をベースとして、中国で儒教思想の影響を受けた浄土教から広く流布されるようになりました。ですから地獄絵図に現れる地獄のお役人は、みんな中国の官僚の服装をしていますし、獄卒が持っている道具類も中国風です。
 したがって大乗仏教における地獄に関わる思想は、現世において悪行を成さぬよう衆生を導くための仮想世界であって、教育的指導をおこなう虚構の世界です。ですから閻魔さまとて地蔵菩薩の化身であって、おっかない地獄の支配者を演じているわけです。
そこに顕れる閻魔さまや獄卒たちは、すべてほとけの意思によって演じているにすぎないと考えるべきでしょう。そして、最後は仏法によって悉皆成仏することを約束されているのが、大乗仏教であるわけです。

 また仏法と鹿とは大変深い関係があります。お釈迦さまは、この世にお生まれになるまでに500にもおよぶ動物や人に輪廻転生されて、それぞれの生涯で善行を積んだ結果として、仏陀となるべくこの世にお生まれになったと「ジャータカ(本生譚)」は説いています。そのなかには、牛や水牛、象や熊、獅子、猿、蛇などにお生まれになっています。とりわけ鹿の王様としての物語は大変感動的です。ご存じでない方は、ぜひジャータカの鹿王の話を読んでみてください。
 このように、お釈迦さまは鹿の生まれ変わりでもあるわけですから、はじめてご自身の悟りの境地を説かれた「初転法輪」の地は、「サールナート(鹿野苑)」と呼ばれるたくさんの鹿が見守る苑であったのです。そして「ほとけの三十二相」には、いままで転生してきた動物たちの特徴が顕れていますが、そのなかには「お釈迦さまの脛は鹿のように細くしなやかである」とされています。
 くりかえして申しますと、この三十二相とて、お釈迦さまの実際のお姿ではなく、のちの世の仏教教団がお釈迦さまの超人性を誇張するために作りだした方便にすぎません
しかし、信仰心はたいへん微妙なことであり、感性はまったく個人的なことなので、私はそうお感じになる気持ちを否定するつもりはありません。ただ、そうお感じにならないひとがいらっしゃることも認めて下さることを願っています。
先ごろも、皇后陛下が正倉院展をご覧になった際、銅鏡に描かれた角のある水鳥をごらんになって「せんとくんのようですね」と微笑まれたそうですね。すくなくとも皇后陛下は、せんとくんの姿をおぞましいとはお感じになられなかったようです。
また最近中国を訪問された荒井知事は、現地のひとから、せんとくんの絵の入った名刺をさかんにねだられたそうですね。

 さきほども少し触れましたが、華厳経や正法眼蔵に「三界唯一心 心外無別法(さんがいゆいいつしん しんげむべっぽう)」という言葉がでてきます。その意味は、「この世を創り出すのはこころだけ。こころのそとにべつなる法はない」すなわち、「この世のすべての事象や現象を生み出し意味を与えるのは、それぞれのひとのこころだけである」ということです。仏教では、「自分という者でさえ、自分の心が生み出したもの」で、これすら一時的な顕れにすぎず、したがって「無我」であるわけです。
 だからこそ、仏法の「七仏通戒偈」では「自浄其意(じじょうごい。おのずからそのこころをきよらかにせよ)」と説いています。清らかなこころが生起したこの世の事象現象は、すべて美しく清らかになるし、曇ったこころが創り出したこの世は、醜く暗い。
 また、善きにつけ、悪しきにつけ、そのこころが生み出したものに常在不変なるものなどないのだから、執着するのはやめなさい・・と。

 そもそも仏教は、「如是我聞(私はお釈迦さまの言葉をこのように聞き理解しました)」で始まる仏典によって広まってきました。すなわち、聞く人の数だけ仏法の解釈があることを認めているのです。それが、対立ではなく融和を大切にする日本人の和のこころの源泉にもなったのだと思います。この点で、一言一句が神のことばであるとする聖書やコーランと違うところです。原理主義的宗教と仏法は(特に大乗仏教は)対極にあるといえるでしょう。
 日本の仏法の歴史において、幾度も劇的な変革期があり、その時代に応じた仏法のあり方や独創的な仏像造形が生み出されてきたことは、奈良や京都の仏像を見ればよくわかります。私自身も及ばずながら、現代に生きる仏法の像を造りたいと思っており、せんとくんはそのひとつに過ぎません。

 せんとくん騒ぎは、ある一面において、急激に普及したネット社会とマスコミの病弊が端的に表れた現象だったと思います。また虚構と現実の境目をかんたんに見失ってしまう現代社会のヒステリックな体質も露呈したと思います。
 しかし、今や遷都祭は全国的な知名度を獲得しました。おかげで私までも、名前を名乗るより、せんとくんのデザイナーですと自己紹介した方が、はるかに効果的です。
 大阪府立大の先生によると、新聞やテレビで扱われた報道量を広告宣伝費に換算すると、愛称決定前で15億、決定後で40〜50億という数字を試算されていました。着ぐるみができてからの大活躍を宣伝効果に算定したらどれほどの金額になるか想像もつきません。
 そして、この現象を考現学的に調べてみようという社会学者も出ています。
 私は、これからも、せんとくんのデザインが、わが国の仏法のありようを置き忘れてしまった現代人に、いささかでもそのことを考える機会となってくれることを願っています。
 奈良のある知人が「せんとくんは、こうした現代の病いを私たちに教えるために顕れたんだと思う」とおっしゃって下さったことばが印象に残っています。
ブルータスという雑誌において、ゆるキャラという言葉を作ったみうらじゅんさんが、最近のゆるキャラ事情を考察していました。そして、せんとくんが「ぼくってやっぱり気持ちわるいですか?」という問いに、みうらさんは、「いいんだよ、それでウケてるんだから」と答えていました。キャラクターを知り尽くしたみうらさんならではの含蓄のある絶妙な答えだと思いました。

 さて私の講演は、この辺でおわりにさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。


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