<第一回>
 今回から「小原二郎〜木の文化の語り部〜」という題で、半世紀以上にわたって、日本における木の文化を様々な視点から研究されてきた、小原二郎先生のお話を紹介します。  先生は第二次大戦で兵隊を終えて帰った後、学生となり、その後家具の設計、木材の老化、仏像彫刻用材の研究、そして人間工学、住宅産業、インテリア、リフォームと多岐にわたる分野で先駆的な業績を残し、さらに現在は日本人と木との深いつながりの解き明かしに興味を持ち研究を続けていらっしゃいます。第1回目は日本の文化を支える木の秘密についてお話を伺いました。
小原:
「きみね、木は生きてるからおもしろいんだよ。」
小原先生のお話はここから始まりました。

小原:
「木はひとつひとつが生き物。つまり生物なんですよ。育った環境や条件によってそれぞれにクセがあるしね。人は氏より育ちというでしょう、木もそうですよ。歪んだり反ったり、縮んだり伸びたり。みんな違う、だからおもしろいんだよ。」

堂本:
 私は木を彫り始めて10年になるのですが、予想外のところに割れが入ったり動いたりして、なかなか思うように使えていない、そんなことをうち明けると先生はうなずきながら笑顔で次のように話して下さいました。

小原:
「木というのは実に人間くさい材料なの。人に人柄があるように木にも木柄がある、例えばヒノキは貴族的で、スギは庶民的といったような事もそうだけれど、木が他の材料と大きく違うのは、何百年経っても呼吸し続けているということ。1300年経った法隆寺のヒノキの柱は、新しいヒノキの柱よりもなお1割程も強いことは、私が以前に調べて分かったことです。木は切られてから2〜300年の間は、強さや剛性がじわじわと増して2〜3割も上昇する。その時期を過ぎるとゆるやかに下降するが、その下りカーブの所に法隆寺の柱が位置しているので新材よりも強いんです。これは人の骨が若い時には弱いが、次第に強くなり、やがて脆くなっていくのと似ているんですね。おもしろいでしょう。」

堂本:
「本当ですね。生物だからクセがあるだけでなく、成長の仕方や経年変化の仕組みも人間と似ているのですね。」

小原:
「そう、このように材質が変化するから、バイオリンは古くなると音色が冴えてくるんですよ。用材の剛性が増すとともに音色が良くなるからね。だから音色が良くなるのはある時期までで、その後は次第に元に戻っていくだろう事も、想像に難くありません。」

堂本:
「それはとても興味深いお話です。先生が老化させたヒノキで名人がバイオリンをつくったというお話も、あとでぜひお聞かせください。」

小原:
「それから造形的な面でも木は大きな特徴を持っています。金属製品の輪郭は、機械製図の線のように硬くて潤いを感じにくいけれど、木をヤリガンナで削った柱の輪郭は、絵絹に描いた筆あとのような柔らかさがあるでしょう。さらに日本人は新しい木肌を好むだけはでなくて、時を経てくすんできた木肌をも、今度は"さび"という独特の美の対象にして愛でる。加えて木肌を生かすわざとセンス、道具の冴えによって美意識は一層高められていくんですね。つまり、日本人は木は単なる工業材料ではなくて、工芸材料であり、時として芸術材料として考える。それが人の心に深い関わりを持つ理由なんですよ。木のDNAが血の中にあるからですね。」

堂本:
「確かに木は、鑑賞する側からも、手を加える側からも、他の色々な材料と比べてそれぞれに固有のクセがあるぶん、より繊細な感覚を要求する素材なんですね。」

小原:
「伝統の木工技術は、そのクセを読み取って狂わない建物や工芸品をつくりました。生き物である樹木の自然の構造を殺さないで、あるがままの木筋に沿って割り、それから材を木取って細工しました。この割木工は、室町中期に大鋸(おが)が輸入されてから衰え始めます。やがて江戸時代に縦挽き鋸が普及すると、木のクセを読む技術はめっきり弱くなってしまいました。木工の技術のコツというのは、木の生い立ちを生かした忠実な使い方の意味でもあるんですよ。
 ご存知のように、樹木は気の遠くなるほどの長い歳月を経て、自然の環境に適合するように少しずつ変化して今日の形になりました。だから木を構成する細胞のひとつひとつは寒い所では寒さに耐えるように、雨の多い所では湿気に強いように、微妙な仕組みにつくられているんです。だから針葉樹から広葉樹へと進化してきた。人間の知恵のはるかに及ばない神秘性が木の中には潜んでいるのです。調べてみると、昔の人の文章の中には鋭い五感によるとらえ方が記録されていますね。源氏物語には匂い立つ美しさという表現があるけれど、それは視覚を嗅覚で補足したものでしょう。そういえば観音菩薩は音声を視覚でとらえる菩薩という意味だそうですね。現代に生きる私たちは、激しい文明生活の波に押し流されて失った、昔の五感の鋭さを取り戻す必要があります。それも今後の重要な課題になるでしょうね。」
堂本:
「その木のクセを読み取ったり、生い立ちに従った使い方をする、五感を働かせるというのは、具体的にはどういうことなのでしょうか。」

小原:
「木の声を聞くこと、つまり木と語り合うことでしょう。これは木彫の大家の方々の言われている言葉です。戦後間もなく佐藤玄々先生が東京三越本店の[天女の像]を制作する時のことですが、用材の選び方や星取り機械の作成のことなどで、少しばかりお手伝いしていたことがあります。その時、佐藤先生は"木は私たちに絶えず語りかけている。私は木の訴えを聞こうと生涯をかけて努力してきたが、まだ何分の一しか分からない"とおっしゃっていました。それが、今も私の耳の中に残っています。」

堂本:
「小原先生はこれまで長く木の文化や彫刻用材の研究をされてきましたが、その中で、木が語りかけてきた声を聞いたことがありますか?」

小原:
「お恥ずかしいがまだありません。それは実際に自分で彫ってみないと聞こえないでしょうね、私は単なる通訳でしかないから。むしろそれは木を彫っているあなたの方が聞いているんじゃないのかな?」

・・・このお言葉を聞いて、私は只々自分の未熟さを痛感するばかり。
しばらくの間、このテーマをとおして小原先生から木の語る言葉と先人の知恵を通訳していただき、やがて少しでも自分の耳で木の語る声を聞き、応えられるようになりたいものです。

 次回からは、いよいよ先生の辿って来られた研究をひも解いていきます。
老化させたヒノキでつくったバイオリンの話、広隆寺の弥勒菩薩がアカマツであることを発見した時のこと、西岡常一棟梁との交友から学んだ教訓、さらに人と物とをつなぐ人間工学からインテリア、リフォームといった幅広い研究と体験の中から、木の文化のルーツや、木を生かす知恵などを伺いたいと思います。どうぞ次回更新をお楽しみに。。

語り手:小原二郎(こはらじろう)/千葉工業大学理事
    小原二郎先生の寄稿へはこちらから

1916年、長野県に生まれる
京都大学卒業、農学博士
千葉大学工学部建築学科教授、工学部長を経て名誉教授、千葉工業大学理事
人間工学、住宅産業、木材工学専攻
日本建築学会賞、藍綬褒章、勲二等瑞宝章
日本インテリア学会名誉会長ほか
著書「法隆寺を支えた木」(共著、NHKブックス)、「日本人と木の文化」(朝日新聞社)
  
「木の文化をさぐる」(NHKブックス)ほか

聞き手:堂本寛恵(どうもと ひろえ)
1973年千葉県生まれ。東京芸術大学 大学院 文化財保存学 彫刻修了。
現在、仏像制作を中心に古典彫刻の研究活動を行う。
平等院雲中供養菩薩像模刻プロジェクトアシスタント。
主な収蔵作品:京都 六波羅蜜寺 空也上人模刻像/千葉 玉王山寶珠院 日光・月光菩薩像ほか

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