1924年 |
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5月13日愛知県豊橋市に生まれる。 |
1941年 |
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病弱なため豊橋市立商業学校を4年で中退。 |
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病気療養のかたわら日本画を学ぶ。 |
1946年 |
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中村岳陵に師事。日展に初入選。以後入選を重ねる。 |
1950年 |
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第6回日展に「谿泉」を出品。特選となる。 |
1952年 |
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第8回日展に「女人」を出品。特選となり、白寿賞、朝倉賞を受賞、 |
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政府買い上げとなる。肺結核のため入院・療養。制作活動を中断。 |
1957年 |
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第13回日展に「女」を出品。(出品委託)いっきに制作活動を再開。 |
1960年 |
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第3回新日展の審査員となり、「太郎と花子」を出品。 |
1961年 |
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1月 川崎市細山(現、中村正義の美術館の所在地)に転居。 |
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5月 蒼野社(中村岳陵画塾)をやめ日展を脱退する |
1963年 |
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個展 「男女」(上野松坂屋・名古屋丸栄)従来の画風を脱した野心 |
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作30点を発表する。ロンドンキャセイギャラリーで個展。 |
1964年 |
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石原慎太郎作「一の谷物語」(日生劇場)の美術担当。 |
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映画 「怪談」(小林正樹監督)のため「源平合戦絵巻」5部作を制作。 |
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この頃より写楽の研究を始める。 |
1967年 |
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盲腸癌の手術を受ける。 |
1968年 |
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映画「日本の華」(小川益生監督)の美術担当 |
1969年 |
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個展「太陽と月のシリーズ」(銀座三越)開催。 |
1970年 |
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写楽研究の成果「写楽」(ノーベル書房)を出版。 |
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東京造形大学の日本画講師となる。(2年間) |
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人工木材による住宅建設野オートメ化について研究「完全機能構 |
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造体(FFC住宅)」で特許取得 |
1974年 |
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第1回人人展(日本橋三越)人人会を結成。 |
1975年 |
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東京展市民会議を創設。事務局長として奔走。 |
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第1回東京展(都美術館)開催 |
1977年 |
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4月16日肺癌のため死去。享年52歳。 |
1980年 |
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NHK日曜美術館「私と中村正義」放映。 |
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異端の天才画家中村正義展(豊橋市美術博物館)開催。 |
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中村正義画集(講談社)刊行。 |
1983年 |
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反骨・奔放の偉材中村正義展(神奈川県立近代美術館)開催。 |
1988年 |
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9月 川崎市の自宅が美術館としてオープン。 |
1993年 |
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NHK日曜美術館「現代日本画の出発 中村正義」放映。 |
1997年 |
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2〜7月「没後20年・中村正義展」(豊橋市美術博物館、川崎市市 |
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民ミュージアム、新潟市美術館)開催。 |