08.2.10福岡市美講演会 木喰展記念講演
「木を彫ることのよろこび」

はじめに)

みなさんこんにちは。ただいまご紹介にあずかりました彫刻家の籔内佐斗司です。私は、木と漆を使った彫刻作品を作っています。また東京藝術大学大学院の文化財保存学講座で彫刻文化財の保存修復と古典技法を教えています。
本日は、木喰さんの仏像がみんな楽しげに微笑んでいることにちなんで、「木を彫ることのよろこび」と題して、私たち日本人がどんなに木を愛し慈しんできたかということについて、仏像を中心にして日本文化と木についてお話しをさせて頂こうと思います。
いま美術館で開催中の木喰さんの仏像は「微笑仏」ともいわれておりますが、私の童子たちもみんな微笑んでおります。「笑顔は感染る」「笑う門は福来る」といいまして、微笑みをもって暮らせば、みんな、幸せになるわけです。木喰仏の人気が高いのは当然といえましょう。さて講演に入る前に、自己紹介をかねまして17分ほどのビデオを見て頂きます。NHKが番組の取材で取り溜めていた私に関する映像をまとめて編集たものです。ナレーションは、おなじみの山根基世さんです。

わが国の彫刻文化財のおよそ9割は仏像です。そのまた9割は木彫作品です。文化財における建造物や工芸品でもその比率が大きく変わることはありません。私たちの先祖は、ほんとうに木が大好きだったのです。しかし現代は、実はもうれつな勢いで、本当の木を私たちの身の回りから奪っていきました。
子ども達が勉強する学校の教室に、ほんものの木はほとんどありません。家庭でも木はありません。


日本人と木)
日本書紀「神代上」の木の話。
7世紀に編纂された日本書紀神代の上に、素戔嗚尊の体毛が木になった話がある。顔の鬚が杉に、胸毛は檜に、尻の毛は槇に。
また杉とクスノキは「うきたから・船」に、檜は「宮殿」に、槇は「棺桶」。

仏像材料の変遷
飛鳥時代
奈良時代
平安時代
鎌倉時代
クスノキ
アカマツ
銅、石、
ウルシ + ヒノキなど(乾漆像)
銅、塑土、
カヤノキ
カヤノキ
ケヤキ、カツラ、サクラ
ヒノキ
銅、石
ヒノキ
銅、石
室町時代
安土桃山時代
江戸時代
明治時代以降
ヒノキなど
ヒノキ、広葉樹など
ヒノキ、マツ、スギなど
ヒノキ、クスノキ、
外材

クスノキ)
日本霊異記の敏達天皇の時代に、和泉の国の海中に落雷にあったクスノキが漂着し、妙音が響き、夜は光り輝いて振動しているのを見つけ、引き上げてそれクスノキを材料に仏像を三体彫ったという説話があり、すでに仏像にはクスノキを用いていたことがわかる。
クスノキというのは、日本の本州から九州、台湾、南中国などに自生し、朝鮮半島には自生していなかったといわれます。樟脳は、カンフル剤になる。

桐)
中国中原以南の原産、北海道以南に自生。仮面や箱の材料として多用されるようになったか?

飛鳥時代の仏像
広隆寺の弥勒菩薩半跏蔵(アカマツ)、法隆寺救世観音・百済観音(クスノキ)
伎楽面(クスノキ、キリ)

奈良時代の仏像
乾漆像
聖林寺十一面観音、阿修羅

奈良時代末
白檀(栴檀、白栴檀)の代用材。東南アジア原産の半寄生植物、インド沈香木(ジンチョウゲ科植物。加熱することによって芳香を発する。原産国や部位によって香りがことなり、最上のものはベトナム産で伽羅という)
仏像の用材として榧の木の使用。鑑真の影響か?中国江南地域に自生するカヤは、「柏」の字をもちいる。「松柏は千年の翠」

平安時代初めの仏像
多くが檜ではなくカヤノキ。東北地方はカツラ材、ケヤキなども。
「松柏千年青」
樹霊への信仰。木に神が降臨する。落雷、門松、榊、立ち木仏

平安時代後半の仏像
桧材による寄木造り

鎌倉時代の仏像
能面
茶席における木の造形


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