基調講演;第一回井波彫刻大学院&セミナー/2002年3月19日
「木の造形、現状とその未来のために」 |
みなさん、こんにちは。ただいまご紹介をいただきました籔内佐斗司です。今日は、木彫の里のど真ん中へやって参りまして、いささか緊張しています。どうぞお手柔らかにお願いいたします。また、しゃべることが本業ではありませんので、お聞き苦しいところもあると思いますが、どうかご勘弁ください。 私は、大阪の生まれで、若いころは北陸にほとんどご縁がなかったのですが、この15年ほどのあいだにとても深い繋がりができました。まず十数年前に初めて花粉症の症状が出たの北陸でした。私の花粉症は北陸の杉が原因です。それ以来、春は大の苦手です。 石川県の加賀市にある「うるし蔵」という観光施設には、公開されている私のコレクションとしては最大の常設ギャラリーがあります。料理も美味しいですから、ぜひいちど遊びに行ってみて下さい。 また私は、木彫作品を原型としたブロンズの作品もたくさん作っています。その鋳造メーカーが、富山の黒谷美術というところです。今日もこちらへ来る前に、工場で新しい作品の打ち合わせをしてきました。 そして今日ここへお招きを頂いた理由のひとつでもあろうと思いますが、私の工房には井波で修行をしたひとが何人も出入りしています。今も、ある大きな寺院のしごとで、ずっと東京に泊まりこんでしごとをしてもらっています。みなさんたいへん優秀で、おおいに助けて頂いています。会場にも知った顔をぽつぽつお見受けいたします。 そんなぐあいで、北陸とは縁浅からぬ身ですので、どうぞ本日はよろしくお願いいたします。 今回の講演会のご依頼を頂いて以来、なんの話をしようかとずっと考えていました。木彫という点では同じでも、表現や活動の方法が全く違う私の作品ですが、お渡ししましたカタログやご覧いただいたビデオでおおよそはご理解いただけたと思います。したがって、今日は私の作品そのものよりは、日頃私が考えていることを話させていただきたいと思います。みなさんのご参考になることがすこしでもあれば、今日やってきた甲斐があります。 本日のテーマは、「木の造形、現状とその未来のために」にしました。 【日本の木の造形】 ここで「木彫」といわず「木の造形」ということばを使ったのは、木質系素材のすべてに関わる造形に従事するひとたちについてお話を進めたいと思うからです。そこには漆や竹も入りますし、彫刻だけでなく指物や組み物、編み物も含めたいからです。 現代の日本の木の造形は大きく四つの系統に分類できるのではないかと考えています。それは、1)仏像系、2)建築装飾系、3)工芸系、4)創作系です。 1) 仏像系はもちろん仏像彫刻がその代表で、文字通り仏教寺院で必要とされる彫像や荘厳に関わる彫刻です。 日本の仏像彫刻は、主に檜材、寄木造り、塗漆、彩色という技法が用いられています。このような日本独自の様式ができあがったのは平安中期以降と考えられます。現在、各家庭の仏壇のなかにある小さな阿弥陀さまの造形が1000年以上前の定朝様式でつくられていることは、日本人にとってはなんの不思議もないことですが、世界的にはきわめて稀なことといっていいと思います。宗教造形といえども、様式上の好みの変遷があるのが一般的ですから、1000年も通用する様式を作り出した定朝の偉大さは驚くべきことです。様式の伝承を得意とする日本文化の特性ともいえます。今日は会場に京都から仏師の江里康慧先生もお見えのようですから、のちほどご意見をうかがえればと存じます。 2)建築装飾系は、みなさんがやっておられる欄間、寺院建築や山車の彫り物などの大型装飾としての木彫です。 ご存じのように建築装飾が最盛期を迎えたのが桃山から江戸初期です。 大仏さまや密教は仏像そのものを拝む信仰形式でした。しかし中世以降、禅宗では修行、その他の宗派では念仏や勤行のような信仰形式、そしてそれぞれの宗教指導者を大切にする仏教が盛んになるにつれ、信者が集る建築物の方が仏像より重視されるようになりました。また武家が政治を司る威圧的な建築も盛んになったわけです。 これと同じような理由から、明治から昭和初期の国家主義が台頭した時期にも建築装飾は大きな隆盛をみます。しかし戦後は、建築から彫刻的装飾を排除する傾向は世界的な潮流として定着しています。その理由として、建築を彫刻で飾ることが1930〜40年代のファシズム的様式や戦後の社会主義的様式として嫌悪されたことを抜きには考えられません。 それとは別に60〜70年代にパブリックアートがアメリカを中心に流行しました。アメリカの現代彫刻はこの時期、多くのスター作家を生みました。日本でも公共空間における彫刻や街角の美術など開かれた芸術として、80〜90年代はじめ、大変な需要がありましたが、現在は公共事業の縮小にともない沈滞化しています。またバブル当時の安易なパブリックアート事業に対して、「彫刻公害」などと呼ばれる批判がおきたのも事実です。 3)工芸系は、みなさんお得意の獅子頭や天神像、鎌倉彫、奈良一刀彫りや北海道の熊彫りなど地場産業としての性格を持つ木彫から、日本工芸会が主催し文化庁が後援する「伝統工芸展」が扱う分野が中心となるでしょう。黒田辰明の木彫工芸もここに含まれるでしょうし、すこし強引かも知れませんが能面なども入るかと思います。西洋の芸術観で見ると、この工芸彫刻は、「人形」や「食器」「家具」などの「クラフト」の範疇に入り、芸術、美術の範疇からはずれる場合が多いようです。私の作品もこの分野に属すると考えるひともいます。 4)創作系は、おもに美術大学出身者が公募展やギャラリーなどで発表する彫刻です。私の出身や活動領域はこの分野に属しています。しかし彫刻は、市場性という点では、日本画や洋画、陶芸などにくらべるともともとたいへんちいさなものです。流通には、美術商や百貨店が重要な役割を果たします。 かつて文部省が主催した文展や帝展といわれた官展彫刻部は、創作系彫刻の最高権威として君臨しましたが、いまやいずれの公募団体展も時代をリードし変革していく活力を失っているように見えます。 またこの分野で人材を供給すべき美術大学は、木彫技法や様式の伝承を放棄して久しくなります。このことについては次に歴史的経緯をお話ししたいと思います。 そして1)〜4)にたずさわる技術者や作家たち同士の建設的な交流はほとんどないのが現状です。 たいへん大雑把で、また独断的ですが、わが国の「木の造形」の現状を整理してみました。 【東京芸大に木彫科がなくなったわけ】 かつて東京美術学校は塑造科と木彫科のふたつの専攻に別れていました。しかし現在では東京芸術大学をはじめとする美術大学で、独立した木彫科を開設しているところはひとつもありません。そしてみなさんが井波で修行を始めるときに教わったような木彫の「いろは」をカリキュラムに取り入れている美術大学の彫刻科は皆無です。この話をすると、多くの方が驚かれますが、現実はそうです。 私が学生のころ、木彫実習室の棚のなかに東京美術学校時代の木彫科の学生に与えられた「手板標本」がたくさん並んでいました。線彫りや網代彫り、さまざまな幾何学模様が巧みに彫られているのを見て、「昔の学生はすごい技術を習っていたんだなあ」と感心したのを覚えています。三十年前でそうでしたから、伝統的木彫技法を教えることの放棄は、今はもっと進んでいることでしょう。ではなぜこのような技術教育の放棄が行われたのかについて、その理由のひとつをお話します。 昭和初期に、木彫がまるで塑造彫刻のような柔らかみを持った写実表現をした時期がありました。これは石膏原型を星取り器という器具を使って正確に写し取る方法を採用したためでした。どんなに複雑でリアルな形であっても、無数の点を繋いでいくことで機械的に比率を拡大して再現できました。この星取り法は、西洋で古代ローマ時代から使われてきた石彫技術の応用です。木彫界でこの器具を積極的に使用したのが平櫛田中先生です。田中先生はこの星取り法を美術学校生徒や弟子たちに積極的に修得させました。当時、「星取り法」は当時の先端技法であり、これを木彫に導入したことは大変画期的なことでした。また結果としてこの時期特有の木彫様式が出来上がったわけですから、それなりの美術史的評価はあたえられるべきだと思います。 しかし星取り法にはおおきな落とし穴がありました。粘土を原型とする石膏像や小さなひな形を機械的に写し取る作業では、木を加工する技術は錬磨できても、木彫家としてたいせつな直彫りの素養は磨けないわけです。そしてこの器具を使えばだれでも同じ結果だせるのであれば、木彫は独立した芸術表現とは見なせないということになり、戦後、美術学校から芸術大学へ移行してまもなく、芸大彫刻科のなかで塑造科へ吸収されるかたちで木彫科が消滅し、現在の彫刻科になりました。 もちろん、木彫科が消滅したのは時代背景やその他の理由があったでしょうが、木彫表現が技術偏重に陥り、当時の芸術表現の概念に合わなくなってしまったことが最大の原因といえるでしょう。 現在、東京芸大の彫刻科を始めどこの美術大学にも体育館のような大きな木彫実習室があります。そこでは学生諸君が、楠の丸太をチェーンソーや電気鉋を使って「木」の彫刻をしています。しかし、その様子は仏師の工房や井波のような伝統的木彫とはまったくちがいます。替刃式の道具ややすり、電気工具が中心で、伝統的木彫技術や仏像の構造や木取りなどの伝統的技術や様式の教育はまったく行われていません。 私はこの教育方法に功罪の両面があると思います。伝統や様式の継承を無視するというのは、技能の修得効率は悪いですし中途半端になりがちです。しかし発想や選択を自由にさせるということは、100人にひとりの創造的才能を産み出す可能性があるのも事実です。創造教育ということはたいへん無駄の多いことであると思います。 アメリカでは1000人に一人の天才的研究者を産み出すため、青天井の国家予算を注ぎ込んでいる非公開の国立先端研究所があり、世界最強のアメリカの政策や戦略思想はここの研究から生まれているといわれています。 もちろん芸大彫刻科の現状を、私がすべて認めているわけではありません。どちらかといえば、批判的かもしれません。現在の芸大生の大半が普通高校の卒業生ですから、彫刻科のほぼ全員が木彫の基本的なことを全く知らずに入学してきます。そして大学ですぐに自由な造形を始めてしまうことは、多くの学生にとって、日本の文化にとって必ずしも幸せなことではないのは確かです。 【私と工房のこと】 私の芸大時代のことをすこしお話します。私は学生として自由な制作をする一方で、仮面に興味を持っていましたので、能楽師の方から面打師をご紹介頂き、大学の外で一通りのことを教わりました。能面師になりたかったのではありませんから、修行といえるようなことはしませんでしたが、今のしごとに直結することを多く教えて頂くことができました。能面の造り方だけでなく、能楽全般について学ぶことができたのはほんとうによかったと思っています。 また知り合いのお父さんが東京で仏師をしておられましたので、そこにも出入りして、仏像の造り方を目のあたりにしました。漆を初めて使ったのもこの頃でした。そのうちご縁あって芸大のなかの仏像の修理や古典技法を研究をする保存修復技術研究室のお手伝いをするようになって、実際の修復作業をしながら今の私の技法を完成したわけです。この研究室には6年勤務し、およそ40体の仏像の修復に携りました。 私の小さな工房では、美術大学の彫刻科や日本画科出身の若いひとたちがスタッフとして来ています。そして井波で修行をしたひとも手伝いに来てくれます。美大を出た連中は、彼らのしごとぶりを見て、はじめてほんものの職人の木彫技術に出逢い少なからぬショックを受けます。そして道具のことを教えてもらったり、技法について盛んに聞いています。そのようにして工房を巣立ったひとたちのなかには、感覚と技倆ともに兼ね備えたユニークな彫刻家として頭角を現しつつあるひとも出てきました。また井波出身のひとたちも、この十五年ほどの間に、のべで十人くらい工房に来てくれていますが、私の工房でのしごとを楽しんでいるようです。 東京の西武百貨店で、私の工房関係者の展覧会が年1回開催されていますが、井波出身のひとの作品は、毎回注目を集めています。 私の小さな工房が、先ほど分類した幾つかの業種の若いひとたちが、私のしごとを通じて交流していることを、とても嬉しく思っています。 【はじまりのためのおわりとして】 さて、いろいろと勝手なお話におつき合いを頂きありがとうございました。そろそろ締めくくりめいたことを申し上げる時間となったようです。 現在、さきほど申し上げた四つの「木の造形界」は、いずれも問題を抱えています。 1)仏教造形の分野では、定朝以来伝承されてきた日本の仏像彫刻のありようが、これからの信仰の現場でどのような新しい祈りの造形を創造できるのか? 2)建築装飾の造形分野では、寺院や公共建築、住宅などすべての建築分野に必要とされる木彫装飾を創造し、産業として生き残れるほどの需要を生み出していけるのか? 3)工芸の分野では、無形文化財保持者制度の重要な要件である技能者の養成が、型や様式の伝承に終わってしまい、創造的活力を阻害し、また補助金になれてしまって産業として弱体化していることは、反省されるべきことだと思います。井波でもやはり新しい時代の要請に応えられる商品の開発は急務と聞いています。 4)創作彫刻の分野ですが、じつはこの分野の病弊も深刻だと私は思います。美術大学はいずれも技術教育も様式の伝承も放棄して五十年近くが経っています。たしかに自由な発想を尊重するということは大切ですが、たくさんの税金を使っているのですから、効果的な人材育成ということもそろそろ真剣に考えてもらう時期ではないかと思っています。 私はみなさんに提案をしたいと思います。それは「木の造形」に関わるいろんな分野のひとたちとの交流できる場を作れないだろうかということです。「木の造形学会」とでも名付けてはいかがでしょう?今日私が申し上げたかったのは、この一言かも知れません。 最後になりましたが、すこし宣伝をさせて頂きます。今年の5月8日から19日、奈良の東大寺で「大仏開眼1250年奉賛」の展覧会を奉納いたします。連休開けの二週間ほどですが、お暇がありましたらぜひお出かけ下さい。ちょうど奈良国立博物館で「東大寺のすべて」展も開催されていますから、そちらを見るだけでも価値があると思います。 展覧会パンフレットを置いておきますので、ご自由にお持ち下さい。 また、私の工房のホームページアドレスの名刺も置いておきます。賑やかなホームページですから、こちらもぜひのぞいてみて下さい。そして今日の感想などを、お気軽にメールで出してみてください。 どうも永い時間おつき合いを頂きありがとうございました。 (2002.3.19) |
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