南蔵院講演/2008年7月4日

はじめに)

 こんにちは、籔内佐斗司でございます。

 30年ほど彫刻家をやっておりましたが、4年前に東京芸大の大学院に呼び戻されまして、現在は彫刻家と大学教員という二足の草鞋をはいております。
 ただいまのご紹介にもありました通り、最近はマスコットキャラクターのデザイナーとして、マスコミのみなさんから突如として有名にして頂きました。ただいま、売り出し中の新進マスコットキャラクターデザイナーでもあります。
 本日お越しの方で、全国的に話題となるキャラクターデザインをご希望の方がおられましたら、ぜひご協力をさせて頂きたいと願っております。

【せんとくん】
 この子が、私をデザイナーとして有名にしてくれた「せんとくん」であります。
 先月、愛称公募に14500通という自治体公募としては記録的な応募数のなかからこの名前に決まりました。カタカナで「セントくん」と言う愛称は、神戸の民間団体が、平清盛が平安時代の末に行った福原遷都のイメージキャラクターの名前にしていたそうでありますが、そちらの「福原セントくん」はとくに商標登録をしておられなかったということで、こちらはひらがなの「平城せんとくん」と無事に名前が決まりました。
 このせんとくんは、私も1300年協会も予想だにしなかった強い「話題力」を持っていたようでありまして、わずか2ヶ月ほどの間に、だれも知らなかった平城遷都1300年祭というイベントとともに日本中に知れわたることとなりました。大阪府立大学の先生が、愛称が決定する前の時点で、新聞紙面やテレビの放映時間数を広告宣伝費に換算して、14億何千万円という金額を算出されておられました。
【クリスティーズ大日如来坐像】
ちょうどこの騒ぎの最中に、鎌倉時代の運慶作と思われる大日如来像がニューヨークのクリスティーズというオークションで競売にかかり、ほぼ同額で落札されました。生まれたばかりのこの子が、大仏師・運慶に匹敵する宣伝効果を産んだかと思うと、まことに驚くばかりであります。

 芸能界では、デビューしたときに違和感や反発の声が大きかったタレントや歌手ほど、あとで大化けした例が多いと聞いております。この子が、その前例どおりであることを、大いに期待しています。
 では自己紹介を兼ねまして、15分ほどのDVDをご覧頂きます。撮影と編集はNHK-EDで、ナレーションは山根基世です。

童子のコンセプト)

 さて、さきほどの14億円の宣伝効果を発揮した「せんとくん」は、私がずっと作ってきた「童子」シリーズのなかから生まれたものです。
 「童子」ってなんですか?とよく訊ねられます。
 そんな時、「『童子』とは、『気』であるとか『魂』であるとか『spirit』というような世界中の言葉で表される生命活動の源泉であるエネルギーを具象化したものです」と私はお答えしています。
 物理学者は、この世のあらゆる構成要素の根源を「原子」「分子」「電子」「素粒子」などという「子」のつく言葉で表現し、その「子」たちの活動によってすべての事象や現象が起こると説明しています。
 私の場合はアーティストですので「童子」という「子」のつく名前で「この子」を作っているわけです。ですから、「童子」はどこにでも潜んでいますし、あらゆる現象と事象に姿を変えて表れてきます。そして、童子のふるさとを突き詰めていくと、太陽に行きつくのではないかと私は考えています。
 物理学と仏教学の唯識論、すなわち般若心経の世界はとてもよく似ているといわれます。大乗仏教や密教のような宇宙概念をもったすべての宗教が、太陽や光を中心に据えていると言えると思います。
 東大寺の大仏さまも、ビルシャーナ、即ち光り輝く存在という意味ですし、弘法大師さまがもたらした真言密教の中心教主は、大日如来さまであることからもわかります。
 わたしたちの国は、日本すなわち日の本といいます。日がのぼるところという意味です。日の下と書いて日下さんという名字がありますが、これも日の本と同じ意味です。横綱のことを「日の下開山」といいますが、あれは日本一の強者という意味です。
 九州には日向という地名があります。日に向かうと書きます。神武天皇が、東に向かって軍勢を進めはじめた場所で、ヤマト王権を考えるうえで、日向はたいへん象徴的な地名だと思います。
 そして遙か東のかなたには「ひたちの国」があります。今では日が立つと書きますが、語源は「日高見の国への道」という意味の「日高見道」であると聞いています。日高見の国とは後に陸奥の国と呼ばれた今の宮城県、秋田県あたりを中心とする東北地方をいい、「常陸」の語源は東北へ行く道ということです。
 常陸の国には、奈良の春日大社のルーツである鹿島神宮、そして利根川の対岸には香取神宮があります。神宮を名乗るもっとも古い記録として、古事記や日本書紀には石上神宮(天理市)と伊勢神宮のふたつだけが記されていました。そして石上神宮と深い関わりのある物部氏というのは河内あたりを根城にした豪族で、物部という名前が表しているように鉄器などの武器や軍事物資を生産管理した一族のようです。平安時代初めの記録には、石上神宮に加え、東のはての鹿島と香取が神宮として記載されていますから、この両神宮が、いかに重要な戦略拠点であったかが伺われます。祭神は、いずれも武力の神様であり、東国進出のための軍事基地であったのではないかと想像されます。物部氏の香取神宮、藤原氏のもとになる中臣氏と深い関係にある鹿島神宮という日本でたいへん古い神社が、東の遥かかなたにあるわけです。
 さて日向から瀬戸内海を通って堺に上陸して、竹内街道を通って河内平野から東を見ると、二上山というふたこぶらくだの脊の様な特徴のある山があり、そこから太陽が出てくる。そこを超えると、ちいさな三つの山のある穏やかな平地がある。そこは三輪三山でありアスカ地方です。いよいよ奈良に入ります。
 三輪三山の三輪山は、山そのものがご神体であり、古代日本の最大の聖地でありました。出雲の大国主尊が国譲りされ、海のかなたの光をもとめてこの地に到り、幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)という和魂の神を祭られ、ご自身も祭神となられたとの伝説の地です。

【たま(魂、霊)】
和魂(にきたま、にぎみたま) 神々の加護と恩恵、平和
幸魂(さきたま、さきみたま) =禄、豊 収穫や物質的な幸せをもたらす。
奇魂(くしたま、くしみたま) =福、寿 こころに直接働きかける幸せをもたらす。
荒魂(あらたま、あらみたま) 神々の怒りと懲罰、闘争 天変地異、疫病、人心の荒廃
【仏教の受容】
和魂・・・・如来、菩薩
荒魂・・・・明王、天部
 神道において、おおまかな神概念はこのようになっているそうです。
 古代の日本人は、このような神概念の基盤をもっていたところに、仏教が入ってきて、それをこの神概念に沿うかたちで受け入れていきます。そして、やがて和魂は如来や菩薩の恩恵であり、荒魂は明王や天部の威力や懲罰と考えるようになり、神仏習合というわが国独特の仏教のありかたへと発展していったわけです。
 仏教は宇宙論に基づく普遍的理論を説き、神道はわが国土に顕れた自然の姿をあらわしたもので、文明と文化の違いのようなものと言えるかも知れません。
 明治初年、神仏が分離される前までは、この三輪山のご神体の「和魂」の本地仏として十一面観音が祀られていました。ここで奈良のみほとけをひとつご紹介することにします。
 桜井市にある聖林寺の十一面観音立像です。
 廃仏毀釈の時代、近在のひとびとが穴に埋めて守ったとの言い伝えのある、天平時代の最高傑作のひとつです。木心乾漆造のこれだけすばらしい仏像をお祭りしていたこの神社の当時の格の高さが想像できます。
 そのころの奈良盆地は、ヒノキなどの原生林と湿潤な湿地帯が拡がっていたことと思います。
 「アスカ」という不思議な響きを持つ地名は、じつは全国にいくつか存在するようです。
 大阪の河内地方もかつてアスカと呼ばれたようですし、堺にも浅香山というところがありますが、おそらくアスカ山だったろうと思います。広島県や三重県、静岡県、岩手県、青森県などにもあるそうです。アスカの語源には、「安らかにくらせる所」という説や、湿地帯の水辺であるというようにいくつかの説があります。
 もちろん飛ぶ鳥と書くのは、アスカ地方の枕詞から来ているのはいうまでもありません。内陸の森林地帯ですから、たくさんの鳥が飛び交っていたのではないでしょうか。
 ここで、もうすこし視野を広げてみましょう。
 東アジアの地図を南北逆さまにしてみますと、古代の東アジアのひとびとの動きがとてもよくわかります。この方法は、近年亡くなられた歴史学者の網野善彦先生が提唱しておられました。もっとも、古代から中国の皇帝は、北極星を背にして南を向いて座るとされていましたから、中国のひとびとは東アジアをこんな風に認識していたのだと思います。
 そして日本列島には、朝鮮半島からやってきたひとびとの他に、大陸から黄海を渡ってきたひとびと、沿海州から日本海を渡ってきたひとびと、東南アジアや南方から黒潮に乗ってやって来たひとびと、カムチャッカの島づたいにやってきたひとびとなど、さまざまなルーツをもっている人たちがいて、私たちは彼らの混血民族です。もちろんヤマト王権の中枢や豪族の多くは、言語の共通性と、古墳や出土遺物から判断して朝鮮半島からきた種族が中心であろうと考えられますが、さまざまな血の融合があったようで簡単には説明できません。しかし古墳時代のころからは、あきらかに朝鮮半島南部のひとびとが中心になって、ヤマト王権を形成していったのだと考えられます。
 日本列島への移住の原因は、朝鮮半島の政治情勢が密接に影響していますが、そのずっと以前に移り住んだひとたちは、出雲、若狭、越の国などに小さな国を造り、京都盆地、紫香楽、大阪平野から奈良盆地に移り住んだひとびともいたのでしょう。そしてあとからやってきたヤマト王権は、東日本へ、東北へと朝日が昇る山のかなたの土地を目指して進んできたわけです。アメリカ合衆国が西へ西へと夕日を追いかけたのとは正反対です。
この世の根源としての太陽)

 今は、エコだのロハスだのという地球環境を真剣に考える思想と行動が持てはやされています。これは一口に言えば、石油エネルギーの依存から脱却して、太陽エネルギーの恩恵を見直そうということだと思います。これは現代文明のひずみが顕著になったから起こってきた新しい考え方ではなく、この世のできごとはすべてお日さまの恩恵であると考える宗教は世界中にあります。
 とりわけ、わたしども日本人は、「日の本」という国号を持ち、「日の丸」を国旗とし、「大日如来」を中心本尊とする大乗仏教を信奉し、「天照皇大神」を八百万の神々の中心にすえ、お天道さまに恥じない生き方を目指してきました。そうした我々の先祖の末裔のひとりとしては、エコだのロハスだのと何を今さらと思うのですが、しかし外国ではやったものをありがたがるのも日本人の特質ですので、エコライフとやらが社会的ブームになっているようであります。
 もちろん、その姿勢は大いに結構なことだと思います。しかし、太陽エネルギーの見直しをするのであれば「太陽の民」の末裔として、お天道さまそのものへの畏敬の思いを忘れてはならないと思いますが、いかがでしょう?
 さて、この太陽を中心に据えることは、決して日本人の専売特許ではありません。「光輝く存在」すなわち「光明神」を中心に据える宗教は世界中にあります。そしてその大本は、約3000年から4000年前に成立したとさられる拝火教すなわちゾロアスター教であると考えられています。
 古代イラン地域で成立したとされる拝火教は、ゾロアスター、ドイツ語読みにするとツアラトゥストラですが、この宗教家を開祖とし、彼がそれまであったペルシア地域の宗教を一神教として再構成したといわれております。人類最初の宇宙論を持った一神教であるというひともおり、原始時代から人類が抱いてきたいわゆる八百万の神々を信仰するような素朴な自然宗教とは明らかに違います。
 ゾロアスター教は、この世のすべての源を光り輝く太陽である「光明神・アフロマズダー」として崇拝し、またその力が地上に降り立ったものが火であるとして礼拝したので、拝火教とも言われています。その後、このゾロアスター教は、世界中の大きな宗教に並々ならぬ影響を与えていきます。
 日本人にとって、ゾロアスター教というのは一見関係がないように思いますが、実はたいへん深いご縁があります。
 東大寺のお水取り、修二会で華々しく火の粉が舞い散る火の祭は、ダッタンの火祭りといわれ、ルーツは拝火教であると考えられます。また密教における護摩供養も、遠い昔に仏教が拝火教を取り入れたものであります。この護摩供養という火の行法を行う仏教儀式は、今ではチベット仏教と日本の密教ぐらいしか残っておりません。東南アジアの小乗仏教の国々はもちろん、中国や韓国の仏教でも、現在では行われていません。
 みなさんの世代ですと「マツダランプ」という名前を聞いたことがおありだと思います。これはエジソンのゼネラルエレクトリック社が特許を持っていた電球の商品名ですが、日本では東芝電気が製造しました。このマツダは、M-A-Z-D-Aと表記され、松田さんとは関係がなくて、ゾロアスター教の太陽神であるアフロマズダーから来ています。
 古代エジプトの宗教も自然宗教をもとにした多神教でありましたが、ゾロアスター教の影響を受けて太陽神を頂点にしたヒエラルキーをもつ宗教に改革されております。
 同じく多神教を信奉していた古代ギリシアやローマも、太陽神を最高神と崇めるようになったのはゾロアスター教の影響が大きかったということであります。
 ヘレニズム文明の時代には「ミトラ教」というのがあったそうであります。このミトラ教は、ゾロアスター教の一派と考えられ、ローマ帝国において5世紀ころにキリスト教がローマの国教とされるまでたいへんな信仰をあつめました。しかしローマ帝国がキリスト教化されたことによって、ミトラ教の神像彫刻や神殿の多くは、ローマ神話の像とともに破壊され、地下に埋められ海中に投棄されて、ルネッサンスまで忘れられることになったわけです。
 しかしながら、太陽を崇拝するミトラ教では、「冬至」を太陽が復活する日として重要な祝祭日としていたようであります。ローマで国教化したキリスト教では、冬至のこの日、すなわち12月25日をキリスト降誕日にして、ミトラ教の祝祭日を継承してしまいました。
 ミトラ教は、キリスト教文明のもとで地中海世界から駆逐されてしましまいましたが、仏教がヘレニズム文明と接触したときに、ミトラ(仏教ではマイトレーヤ)は、弥勒菩薩として仏教に取り入れられて、釈迦が亡くなったあとに現れる八番目のブッダとして東の国々において確たる信仰を築いていきます。
 最近、自動車会社のフォードがジャガー部門をインドのターターモーターズに売却しましたが、このターターモーターズの母胎であるターター財閥は、遠い昔にペルシア地域から南下してきたアーリア民族の一派であったゾロアスター教徒だそうで、イギリスがインドを植民地統治する際に、ペルシア民族であるターター一族を大いに活用したということであります。したがって、彼らが英国が産んだジャガーを買ったというのも、ある意味理解できることであります。

 ゾロアスター教では「光明神」を、「有翼日輪」というマークで表します。
 これは、皆既日食の時に起こるコロナ現象を図像化したものといわれています。太陽の左右に鷲が翼を拡げたようなデザインです。これをもっと象徴化したものがこれであります。
 あるいは、自動車のミニクーパーのロゴマークも典型的な有翼日輪です。
 ここらあたりのことは、東北大学名誉教授の斎藤尚生(ひさお)さんによる中公新書「有翼日輪の謎」に詳しく出ておりますので、ご興味のある方はご参考までに。

 このように見ていきますと、縁遠いもののようなゾロアスター教とか拝火教とかいうものが案外身近に思えてくるのではないでしょうか。

太陽の恩恵にたいする畏敬の思い)

 しかし、西欧諸国がキリスト教の厳しいくびきかた解き放たれて近代合理主義を打ち立てたこの2〜300年のあいだ、太陽の恩恵を被ってきたという謙虚な考えに帰るのではなく、神に代わって地球上のすべてを自由にできるという傲慢な考え、すなわち科学的合理主義や唯物主義という薄っぺらな新しい宗教に、現代人は取り憑かれてきたように私は思っています。

 エコやロハスをいうひとびとは、石油や石炭を燃やす古典的なエネルギーを取り出す仕組みから、風力発電とか水力発電とか太陽電池への転換をさかんに言っておられます。しかし、石油も石炭も水力も風も、もとをたどればみんな太陽からこの地球に降り注いだエネルギーを利用させて頂いているわけです。われわれのご先祖さまは、「お天道さま」と尊敬と感謝を込めて呼んだわけですし、お天道さまに恥ずかしくない生き方をしようとしたわけですね。しかし現代日本人は、太陽を見上げることも、朝日や夕日を拝むことも忘れています。

 エコを考えるときに、太陽を利用する対象だけととらえないで、その恩恵に対する感謝と畏敬の思いが必要だと思います。

 人間を中心に組み立てられたキリスト教に代表される一神教やその聖書は、近代科学が明らかにした人類が現れる以前の地球のことについて語り始めると破綻してしまいます。したがって、たいへん敬虔なキリスト教徒が多いアメリカのある田舎の町では、いまだに進化論や地動説を学校で教えないようにしているそうですし、欧米の科学者のなかには、人類の起源を地球外に求めて、自分たちの信仰との矛盾を克服しようとするひとさえいます。UFO騒ぎも、キリスト教圏の国々ほど熱心で、日本人などはやはりジョークのひとつくらいにしか考えていないのではないでしょうか?

 かつてキリスト教世界では、猿から人が進化したことも、地球が丸くて太陽の周りを回っているという科学が解き明かした事実に、宗教界が大騒ぎになりました。しかしキリスト教圏以外の国々で、そういう騒ぎがあったという話しは聞きません。山川草木悉有仏性という考えを敷衍すれば、そのいずれもが「さもありなん」と納得できたわけですし、恐竜時代のティラノザウルスやステゴザウルスにも、またピテカントロプスやネアンデルタール人にも仏性があり、死ねば極楽往生したと解釈しても、まったく矛盾はないのです。

 さて時間も頃合いとなりましたので、お話はこの辺で終わります。

 本日の機会を与えてくださった南蔵院さまと、お集まりいただきましたみなさまに心よりの御礼を申しあげます。

 本日は、ご静聴ありがとうございました。

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