美術青年会講演会;2001.2.14
「Art For The Life」
籔内佐斗司(彫刻家)
1)はじめに
みなさんこんにちは。ただいまご紹介にあずかりました籔内佐斗司です。
私は今年が年男ですから、もうすぐ四十八歳になります。
そして美術青年会とのご縁は、岡崎守一さんがおられたバブル景気の盛りのころで、 「ニューアーティストウェーブ」の時でした。またお話をさせていただくのは、二回 目です。前回は、夏目雅さんが理事長のころでした。雅さんが理事長だったころに、 美術青年会60周年記念として「おしおき童子」という記念ブロンズを作らせて頂いたのもついこの間のことのように思い出します。
その頃はどこへ出かけて行っても「最年少」という冠がついたもんでしたが、最近は すっかりおじさん扱いになってしまい、少し寂しい思いをしています。
今日、会場を見渡してみて、若い方が多いのに驚きます。しかし、青年会の構成メン バーの平均年齢はあまり変わらないはずですから、単に私が老けただけのことです。 理事の伊藤さんは、今の夏目美術店のビルが建ったころからのお付き合いですが、当 時は頬のうぶ毛も初々しい若者でした。九段にある夏目美術店の入り口のドアの取っ手とか、屋上の鬼の親子の像を作らせて頂いた頃でしたね。伊藤さんもすっかり貫禄 がついて、久しぶりにお会いしてびっくりしました。今だに独身でしたっけ?まだ遊 び足りませんか?
2)私と文化財修理
私は、東京藝術大学の彫刻科を1978年に卒業し、大学院の彫刻専攻を1980年 に修了しました。担当教官は、現在学長をしておられる彫刻家の澄川喜一先生です。 その後、芸大を出ても食べて行く当てもなかったものですから、モラトリアム学生の典型のように、大学院の研究室にもういちどもぐり込みました。二回目の大学院生でした。その研究室は、保存修復技術研究室と呼ばれていました。現在は保存学科という名前になって、日本画家の田渕俊夫先生が主任教授でおられることは、みなさんよくご存じだと思います。
私はそこに大学院生として一年間だけ在籍したあと、当時主任教授を兼務しておられ た平山郁夫先生のご指示で退学届けを書いて非常勤講師に採用されました。ですから私の最終学歴は、東京藝術大学大学院美術研究科中途退学です。
非常勤講師といっても、お茶汲み、コピー取り、電話番ですから、しごとの内容は助手でした。ちょうど平山先生が敦煌の壁画の保存事業に取り組まれはじめたころで、後の文化財の赤十字構想を練っておられたころでした。同僚には、宮廻正明さんがいました。ちなみに、私が入った時は、昨年、交通事故で亡くなられた林功さんも非常勤講師をしておられて、翌年、愛知芸大に招かれて行かれました。私は林先生が模写をされるところを垣間見て、創作家が古典と接することの大切さや作法のようなものを、身を以て教えて頂いた気がします。
保存修復技術研究室には、都合六年間いました。
今の私にとって、この六年間はとても重要な期間でした。まず平山先生のもとで仕事ができたこと、平山先生を通じて当時の美術倶楽部の社長でもあった藤井一雄氏に出会えたこと。その後、数知れないほどのひととの出会いがありましたが、発端は保存修復技術研究室にいたことです。
この美術倶楽部の建設計画が、藤井さんを中心に具体化しつつある時期でした。いろ いろないきさつがあったようですが、私にとって藤井さんは個人的には大恩人で、彫刻家としての私を語るうえで忘れられない存在です。

東京芸大にいますと、美術は作家が創造するものとだけ考え勝ちです。そのことに私はおおきな疑問がありました。しかし古文化財の修復作業を通じて、美術品にはたくさんの側面があることを知りました。
修復をする物件、ことに彫刻の分野ではほとんど木造の仏像ですが、これらには、まず所有者である寺院の存在があります。そして仏像を信仰する信者がいて、その集まりである檀家と呼ばれる信徒団体があります。また修復物件が、国や自治体の指定文化財であれば、それぞれの行政の文化財担当の部局がからんできます。そして美術史的に重要なものには、学術の分野から研究者が参加してきます。指定文化財の場合、文化財保護法にのっとって修復事業は管理されます。一体の仏像にはたくさんの分野のさまざまなひとたちが関係してくるわけです。しかし、そこには私たちが大学で学んだような創作的な芸術や美術という概念はどこにもでてきませんでした。そのことが逆に大学教育のなかの「美術、芸術」への疑問を解く鍵を与えてくれました。
3)文化財ということばから
私は、長い間「美術、芸術」と「ART」との概念のずれが気になってしかたがありませんでした。そのことについて、最近また新しく考える機会がありました。それは 「文化財」という言葉を通じてです。
私の友人のイギリス人で翻訳のしごとをしているひとがいます。名前をギャビンといいます。美術館の展覧会図録の論文を英訳するのが主なしごとです。いま東京都立美 術館で行われている「鑑真和上展」に載っている図録の英文も彼のしごとです。先日「鑑真展」のオープニングレセプションに彼と一緒にでかけました。そこで奈良国立 博物館の館長の鷲塚泰光先生にお目にかかりました。先生は私が芸大で仏像の修理をしていた頃には文化庁美術工芸課の調査官として活躍しておられた方で、私もたくさんのことを教えて頂いた恩師のひとりでもあります。そしてこの展覧会の総監修をなさっています。
鷲塚先生は、ギャビンの翻訳について、「あなたは重要文化財の翻訳を『Important CulturalAssets』と翻訳しているけれど、日本では対外的な翻訳語として『important cultural properties』という語を使うことになっています。ですから、公式文書の翻訳をする時は、『assets』ではなく『properties』を使って下さ い。」という指摘をされました。
もちろんギャビンは翻訳がしごとですから、「用語」は文化庁が使っている公式のものを使うべきだということは理解しましたから、鷲塚先生の指摘を素直に受け入れました。しかし、あとでこんな風に教えてくれました。「重要文化財すなわち
『Important cultural properties』という用語を日本政府が公式に使うのならそれでもかまわないけれど、イギリス人なら大事なものという意味を込めて『Assets』を使うのが自然なんだけどね。」と首をすくめたのです。
私は、この「Assets」と「Properties」談義にとても興味を覚えました。
後日、別の英国人の友人にそのことを尋ねました。彼は、永く日本で東洋美術のディ−ラ−をしています。彼がいうには「どちらでも意味はほぼ同じだけれど、イギリス人なら『Assets』がより自然な用語だろう。自分たちの時代に稼いで獲得した物質的資産としてなら『property』でいいだろうし、先祖が残してくれた遺産や財産、代々受け継いできた無形の価値を含めた資産という意味を込めていうなら『asset』が妥当だね。」
アメリカではメトロポリタン美術館の所蔵品などを、「cultural properties」という言い方をしています。イギリス人である彼は「アメリカ人にとって、文化的な財産 はこの150年ほどのあいだに、石油や鉄で稼いだお金で世界中から買ってきた物だから自分たちで獲得した資産としてpropertyに間違いない。また20世紀の現代美術も、自分たちの時代にアメリカで生み出された芸術作品だし投資対象でもあったから、propertyでいい。だけど、唐招提寺の仏像は千年以上前から日本にあって、みんなで信仰という共有できる無形の価値を今でも持っているわけだから、その部分を強めていうのならassetが適当だろうね。」ときわめて明快な答えでした。また、「僕は仏像や仏画を信仰の対象と考えたことはなく、商品として売買してきたから『property』以外のなにものでもなかった。しかし民族や地域の歴史、文化や信仰までも含んだ民族的資産と考えれば『asset』とよぶべきだろうね。」と付け加えていいました。
戦後にできた文化財保護法は、アメリカの文化行政をお手本にしています。ですから語句はアメリカで使われていた用語の直訳が多いようです。そして文化庁美術工芸課 は文化財のうち売買対象品を国外流出から守るという姿勢が基本にありますから、「Properties」の用法でいいとも考えられるでしょう。この二つのことばの微妙な意味の違いから、私は今日の講演会のテーマのヒントを得たわけです。
4)「もの)と「こと」
やまとことばの「もの」と「こと」の違いについて話をします。日本の古代の考えでは、ただの物体は「もの」です。そして、すべての「もの」には「たま(即ち
「魂」)」が宿ると考えました。そして「もの」に魂がやどると「こと」になるわけ です。この魂を「ことだま」といい、ことだまの作用で状況を生み出されるわけです。「ことだま」をいいかえれば人の思想や観念なわけで、ひとの間では「ことのはじまり」という意味の「ことのは、ことば」として介在するわけです。これは、ちょうど「properties」と「asset」とに対応しているようにも思えます。
美術商であるみなさんにとっても、「properties」即ち「もの」的性格の商品を扱う商売と、「assets」即ち「こと」的性格の商品を扱う商売があるのではないでしょうか。
このことについてはあとでみなさんのお考えをお聞かせいただければと思っています。

作家にも、ものを作ることに徹する純粋なタイプと、作品が新たな状況を作り出すことに意味を求める純粋でないタイプがいます。私は、後者の不純なタイプに属します。作品を作るだけではあきたりないわけです。
しかしこれは、日本の職人たちの基本姿勢でもあったように思います。
明治になるまでの日本のアーティストはみんな職人でした。西洋では職人はアルチザンとよばれアーティストの美意識や創造性を具体化する下職のひとと考えられていました。設計家と建築職人のような関係です。しかし日本では、棟梁は大工の出身者であったように、陶芸職人も漆職人も刀鍛冶も一流の職人は、デザインの面でも大変優 れたアーティストでした。それは彼らが、工房で図面通りに「もの」を作っていたのではなく、それを使う人たちの状況をつねに考えて「こと」を演出しながら作っていたからだと思います。
それは茶道の十職のひとたちにも言えることでしょう。流儀の型を大切にしながら、それぞれの当代がその時の宗匠の好みを考えながら自分なりの創意工夫をつねに行ってきたからこそ、茶席でいろんな時代の取り合わせにも、いつまでも新鮮に存在を主張できるのではないでしょうか?
ここらも、のちほどご専門のご意見も伺えればと考えています。
5)何のための芸術か?
美術や芸術という概念が、「ART」の訳語として明治の日本に入ってきました。それから百数十年、日本人は、つねに西洋の「ART」を自分たちのものにしようと努力をしてきたわけです。ですから、芸術の本道はヨーロッパに存在し、学校教育のなかで教えられ美術館のなかだけでしか触れられないものだと思い込んできたわけです。
別のいいかたをすれば、学校で教えられなかった表現行為は芸術ではなく、日本人が生み出したものは、海外から齎されたものには及ばないものであり、美術館にないものは美術と呼ぶに値しないものであるかのように思うようになりました。これが近代日本美術を享受する側にとっての不幸の根源で、現代美術にいたるまでずっと続いてきた卑屈な姿勢のように思います。
明治の日本が切り捨てて行った日本の美術、「浮世絵」しかり「根付け」しかり、
「仏像彫刻」しかりです。また伝統的な日本画は、西洋画の雰囲気や技法を取り込むことによって、「芸術」たらんとしたと思います。これを私流にいえば、「Art for the museum」「Art for the education」のみを美術、芸術としてきたのではないかということです。そして庶民生活に密着しながら、世界でも例を見ないほど高い芸術性を失わなかった江戸時代の豊かな生活芸術はすっかり日陰ものにしてしまったのだと私は思います。
戦後、日本の経済成長とともに、美術ブームが何度か訪れました。私が芸大の学生であった20数年前もそうでしたし、10数年前のバブル景気もそうでした。それは市場を大きくし、新しい作家を世に送りだしたという効用は評価されるべきでしょう。 しかし「Art for the Investment(投資)」の面ばかりが注目されたのは悲しいことです。結果的には「Art for the Closet」「Art For The Bunk」「Art For The Auction」ではあまりにも悲しすぎるように思います。
6)おわりに
今日ここにお集まりのみなさんは、扱うジャンルに多少の違いはあるでしょうが、どなたも「美術、芸術」をこよなく愛しておられると信じます。さきほど、一体の仏像にはさまざまなひとたちが関係してくることを申し上げました。もちろんみなさんがあつかっておられる美術品も同じことが言えると思います。
その底には歴史や文化という人間活動に対する敬愛とそれを後世に伝えることの誇りがあって初めて「美術、芸術」を扱う意義が生じるのではないでしょうか。それがなければ、最近はやりの公開オークションと、魚河岸や、株の取り引き所との違いは何処にあるのでしょう。
私はみなさんに提案があります。それは美術市場が、「もの」の所有権の移転にともなう手数料稼ぎだけではなく、「こと」をプロデュースして活性化させて頂きたいと思うのです。そこにこそ、美術商としての醍醐味があると私は思います。そのためには、もっともっと新しいさまざまな人材をみなさんの仲間に取り込んで、ものとともにひとも流動化させていくべきだと考えます。
日本の歴史のなかで文化をプロデュースしたひとたちの働きを思い起こして下さい。 東大寺が作られた頃の行基、真言密教を齎した空海、東大寺の鎌倉再建時の重源、桃 山の利休、江戸初期の光悦、江戸時代の蔦屋、明治時代の天心、民芸運動の柳宗悦や 浜田庄司、現代の日本料理を完成させた魯山人、これらのひとたちの業績の集大成が 日本の文化なのです。そして彼らは実に貪欲に懐深く多くの人材を迎え入れ、文化と 経済を両立しえた人たちです。高みを目指し裾野を拡げ得たひとたちです。その総体 として時代の潮流を造り上げたわけです。

最近まで私は「Art for the public」というテーマで活動をしてきました。これからもその姿勢は続けますが、それをもっと生活に密着した部分でも展開した「Art For The Life」「生活に資する芸術」を提唱して行きたいと思っています。お集りの若い美術商のみなさんとともに、20世紀には音楽や映像がうんと身近になったように、美術も、希少価値から生ずる付加価値だけを追求するのではなく、裾野を大きく広げることによって、ひとびとの暮らしのなかになくてはならないものへ復権していくことを願っています。そしてそれをみなさんとともに提案していける日を楽しみにしています。

取り留めもない話に貴重なお時間を頂きました。なにか参考になることがあれば幸いです。
今日はセントバレンタインデーでもありますから、私からの愛のメッセージとして受け取っていただければ幸いです。
ご静聴、ありがとうございました。
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