「木の造形、現状とその未来のために」 (2002年12月10日(火)PM4:00〜5:30 高山市役所4Fにて) |
「木の造形、現状とその未来のために」 みなさん、こんにちは。ただいまご紹介をいただきました籔内佐斗司です。 今日は、木彫の里・高山へやって参りまして、いささか緊張しています。また、しゃべることが本業ではありませんので、お聞き苦しいところもあると思いますが、どうかお許しください。 私は大阪の生まれで、岐阜にほとんどご縁がなく育ってきました。しかし彫刻家になってからは、作品を通じてたくさんのご縁ができました。 岐阜市内の神田町商店街にあります円徳寺というお寺の門前には、「楽市楽座童子」が設置されています。このお寺は、信長が初めて「楽市楽座」の高札を掲げた所として知られていますので、そのことにちなみ制作した作品です。また県立岐阜北高校には、開校70周年を記念して「大うつせみ童子」が設置されています。 大垣市内にある大きな牡丹園には、ブロンズの「うさぎ」が跳ねていますし、幾つかの木彫作品も所蔵頂いています。そしてこの高山市本町の屋台蔵「琴高蔵」の前には、「琴高童子」が設置されています。 それからお隣の愛知県にはパブリックコレクションとして7ケ所、そして石川県の加賀市にある「うるし蔵」という観光施設には、公開されている私のコレクションとしては最大の常設ギャラリーがあります。料理も美味しいですから、ぜひいちど遊びに行ってみて下さい。 本日、主催者のかたが用意されたテーマは「籔内佐斗司・人と作品」ということですので、くどくどと言葉を弄しますよりは、映像をご覧頂くのが早いと思いますので、まずは、20分ほどのビデオをご覧下さい。 これは1999年に開催しました「籔内佐斗司の世界・色心不二」という大きな展覧会の会場を撮影編集したものです。映像をご覧頂きながら、説明を加えてまいります。 では、ビデオをお願いいたします。 ビデオは以上です。何かご質問がありましたら、お受けいたします。 さて本日は、私の作品をご紹介するほかに、みなさんにお話したいテーマがもうひとつあります。それは、「木の造形、現状とその未来のために」です。 私もみなさんも、木を素材に刃物を使って、何かを作っているわけですね。しかし、木に関する地場産業は、どこをみても惨澹たるありさまです。各地の木彫、建築大工、木工産業、漆器、竹細工いずこも同じです。人材育成から材料の調達まで構造的な問題が山積しています。地場産業としては、補助金でなんとかやりくりしているところが多いと聞いています。 しかし、わが国は歴史的に見てじつに素晴らしい「木の文化」を持ってきたことは間違いありません。そしてこの文化は、日本だけのものではなく、人類が共有する文化財のひとつとして、日本人自身で大切に育み残して行かなければならないと思います。 私は、これら「木の文化」に携わるすべてのひとたちが情報交換をし、骨太い産業として発展していく方途を総合的に探る集まりはできないものかと考えています。 【日本の木の造形】 ここで「木彫」といわず「木の造形」ということばを使ったのは、木質系素材のすべてに関わる造形に従事するひとたちについてお話を進めたいと思うからです。そこには彫刻だけでなく指物や組み物、編み物も入りますし、漆や竹、和紙も含めたいからです。 現代日本の「木の造形」は大きく四つの系統に分類できるのではないかと考えています。それは、1)仏像系、2)建築装飾系、3)工芸系、4)創作系です。 1) 仏像系はもちろん仏像彫刻がその代表で、文字通り仏教寺院で必要とされる彫像 や荘厳に関わる彫刻です。 日本の仏像彫刻は、主に檜材、寄木造り、塗漆、彩色という技法が用いられています。このような日本独自の様式ができあがったのは平安中期以降と考えられます。現在、各家庭の仏壇のなかにある小さな阿弥陀さまの造形が1000年以上前の平安中期の仏師・定朝があみ出した様式でつくられていることは、日本人にとってはなんの不思議もないことですが、世界的にはきわめて稀なことといっていいと思います。宗教造形といえども、様式上の好みに変遷があるのが一般的ですから、1000年も通用する様式を作り出した定朝の偉大さは驚くべきことです。様式の伝承を得意とする日本文化の特性ともいえます。 しかし、この定朝様式の仏像が、21世紀のひとびとにもアピールし続けるかは、仏師だけでなく仏教界も大いに危惧しているのが現状です。 2)建築装飾系は、寺院建築、高山の屋台蔵の彫り物、また富山県の井波町の欄間などの大型装飾としての木彫です。 ご存じのように建築装飾が最盛期を迎えたのが桃山から江戸初期です。 大仏さまや密教は仏像そのものを拝む偶像崇拝に近い信仰形式でした。しかし中世以降、禅宗では修行、その他の宗派では念仏や勤行のような信仰形式、そしてそれぞれの宗教指導者を大切にする仏教が盛んになるにつれ、信者が集る建築物の方が仏像より重視されるようになりました。一方、城郭や武家屋敷も武士が政治を司るための威圧的な建築が盛んになったわけです。 これと同じような理由から、明治から昭和初期の国家主義が台頭した時期にも建築装飾は大きな隆盛をみます。 しかし戦後は、建築から彫刻的装飾を排除する傾向は世界的な潮流として定着しています。その理由として、建築を彫刻で飾ることが1930〜40年代のファシズム的様式や戦後の社会主義的様式として嫌悪されたことを抜きには考えられません。 しかし現代の住空間を見渡した時、装飾を拒絶した建造物が生み出す街並は、機能的ではあってもたいへん殺伐としています。私は、一刻も早く建築と装飾が和解しかつてのようにふくよかな住環境を取り戻してくれることを、強く希望しています。 3)工芸系は、みなさんがやっておられる一位一刀彫りを始め、獅子頭や天神像、鎌倉彫、奈良一刀彫りや北海道の熊彫りなど地場産業としての性格を持つ木彫から、日本工芸会が主催し文化庁が後援する「伝統工芸展」が扱う分野まで含まれるでしょう。黒田辰明の木彫工芸もここに含まれるでしょうし、能面・狂言面なども入るかと思います。 西洋の芸術観で見ると、これら工芸彫刻は、「人形」や「食器」「家具」などの「クラフト」の範疇に入り、純粋芸術の範疇からはずれる場合が多いようです。私の作品もこの分野に属すると考えるひともいます。 4)創作系は、おもに美術大学出身者が公募展やギャラリーなどで発表する彫刻です。私の出身や活動領域はこの分野に属しています。しかし彫刻は、市場性という点では、日本画や洋画、陶芸などにくらべるともともとたいへんちいさなものです。流通には、美術商や百貨店が重要な役割を果たします。 それとは別に60〜70年代にパブリックアートがアメリカを中心に流行しました。アメリカの現代彫刻はこの時期、多くのスター作家を生みました。日本でも公共空間における彫刻や街角の美術など開かれた芸術として、80〜90年代はじめ、大変な需要がありました。しかし木彫作品は屋外には不向きということで、パブリックアート事業から取り残された感は否めません。そしてこのブームも、公共事業の縮小にともないすっかり沈滞化しています。またバブル当時の安易なパブリックアート事業に対して、「彫刻公害」などと呼ばれる批判がおきたのも事実です。 創作系の木彫作家が、かつてのように地場産業の木彫職人たちを技術面でリードできた時代はすでに遠い過去の話です。美術大学出身の多くの木彫作家の技術は落ちるところまで落ちたというのが、私の率直な感想です。 かつて文部省が主催した文展や帝展といわれた官展彫刻部は、創作系彫刻の最高権威として君臨しましたが、いまやいずれの公募団体展も時代を牽引し変革していく活力を失っているように見えます。 またこの分野で人材を供給すべき美術大学は、木彫技法や様式の伝承を放棄して久しくなります。そして木の造形に携わる技術者や作家たち同士の建設的な交流はほとんどないのが現状です。 たいへん大雑把で、また独断的ですが、わが国の「木の造形」の現状を整理してみました。 【私と工房のこと】 私の芸大時代のことをすこしお話します。私は学生として自由な制作をする一方で、仮面に興味を持っていましたので、能楽師の方から面打師をご紹介頂き、大学の外で一通りのことを教わりました。能面師になりたかったのではありませんから、修業といえるようなことはしませんでしたが、今のしごとに直結することを多く教えて頂くことができました。能面の作り方だけでなく、能楽全般について学ぶことができたのはほんとうによかったと思っています。 また東京の仏師のお宅に出入りして、仏像の造り方を目のあたりにしました。漆を初めて使ったのもこの頃でした。そのうちご縁あって芸大のなかの仏像の修理や古典技法を研究をする保存修復技術研究室のお手伝いをするようになって、実際の修復作業をしながら今の私の技法を完成したわけです。この研究室には6年勤務し、およそ40体の仏像の修復に携りました。 私の小さな工房では、美術大学の彫刻科や日本画科出身の若いひとたちがスタッフとして参加しています。そして井波で欄間彫刻の修業をしたひとも手伝いに来てくれます。美大を出た連中は、彼らのしごとぶりを見て、はじめてほんものの職人の木彫技術に出逢い少なからぬショックを受けます。そして道具のことを教えてもらったり、技法について盛んに聞いています。そのようにして工房を巣立ったひとたちのなかには、感覚と技倆ともに兼ね備えたユニークな彫刻家として頭角を現しつつあるひとも出てきました。また井波出身のひとたちも、この十五年ほどの間に、のべで十人くらい工房に来てくれていますが、私の工房でのしごとを楽しんでいるようです。 私の小さな工房が、先ほど分類した幾つかの業種の若いひとたちが、私のしごとを通じて交流していることを、とても嬉しく思っています。 【はじまりのためのおわりとして】 さて、いろいろと勝手なお話におつき合いを頂きありがとうございました。 そろそろ締めくくりめいたことを申し上げる時間となりました。 現在、さきほど申し上げた「木の造形」の四つの分野は、いずれも深刻な問題を抱えています。 1)仏教造形の分野では、定朝以来伝承されてきた日本の仏像彫刻のありようが、これからの信仰の現場でどのような新しい祈りの造形を創造できるのか問われています。 2)建築装飾の造形分野では、寺院や公共建築、住宅などすべての建築分野に必要とされる木彫装飾を創造し、産業として生き残れるほどの需要を生み出していけるのか?また木造建造物を支える森林資源をいかに確保していくかも、重要な問題です。 3)工芸の分野では、無形文化財保持者制度の重要な要件である技能者の養成が、型や様式の伝承に終わってしまい、創造的活力を喪失しています。また補助金になれてしまって産業としての生命力が弱体化していることは、反省されるべきことだと思います。一位一刀彫組合でもやはり新しい時代の要請に応えられる商品の開発は急務なのではないでしょうか? 4)創作彫刻の分野ですが、じつはこの分野の病弊も深刻だと私は思います。美術大学はいずれも技術教育も様式の伝承も放棄して五十年近くが経ってしまいました。たしかに自由な発想を尊重するということは大切ですが、たくさんの税金を使っているのですから、体系的な技術保存や効果的な人材育成ということもそろそろ真剣に考えてもらう時期ではないかと思っています。 さいごに、私はみなさんに提案をしたいと思います。それは「木の造形」に関わるいろんな分野のひとたちとの交流できる場を作れないだろうかということです。場合によっては、「木」の概念を「植物素材」全般にまで広げれば、竹細工や和紙、染織までも含まれます。またその周辺の材料や道具に関わるひとびともいっしょに「木の造形」の現状と今後の発展の道を考える集まり、仮に名付けるならば「木の造形学会」とでもいうようなものを作りたいと私は思っています。 ここに書いてあるのは、私の工房のホームページアドレスです。賑やかなホームページですから、こちらもぜひのぞいてみて下さい。そして今日の感想などを、お気軽にメールで出してみてください。 どうも永い時間おつき合いを頂きありがとうございました。 (2002.12/10) |
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