「矧目と木割れの謎」 | ||||||||||||||||||
中里壽克(なかざととしかつ)/鶴見大学教授 | ||||||||||||||||||
私の専門は一応漆芸であるが、木には当然多くの恩恵を受け感謝する立場にある。しかし製作の際に良木に執着するつもりはない。 文化財の道に迷い込んで始めた仕事の一つが、X線透視による古代漆芸品の素地の調査である。この調査で今まで知られなかった様々な事実が明らかになった。国宝級の漆芸品の素地は大方檜(ひのき)の柾目(注1)が用いられていた。当然とも思えるが、この事実は今日の様に板の加工が、製材機でなく木を割って板にすることと無関係ではないと思われた。 つまり柾目の良木でないとうまく割れないためであろう。国宝や重文になっている12世紀の漆芸品は大作でないかぎり板を矧ぐ(注2)事はなく一枚板が用いられている。これらが古いわりに破損が少ない原因であろう。 木で箱を造るには必ず四隅で木を組み、蓋や底板を組合わせなければならない。これらの部分にどの様な処置が施されたかはX線透視調査でも実はよくわからない。矧目(はぎめ)や組目に膠(にかわ)が使われたかも明白な証拠があるわけではない。矧目等に筋布着せ(注3)を施す事は確かだが、いわゆる木屎彫(注4)は行った形跡が見られない。一方で木割れ(注5)には木屎彫が行われている。この事実を最もよく示すのが中尊寺金色堂巻柱である。柱上部(1)に生じた木割れには木屎彫が行われているが、巻柱の中央部(2)の蒔絵のある重要な部分、ここはカマボコ形の別材(杉)を並べて柱を覆っているが、この別材の矧目には木屎彫が施されていない。平等院の柱(3)をみると木割れには木屎彫をほどこし、板壁の矧目にも木屎彫が行われていた。12世紀に完成した寄木造では部材の矧目には木屎彫は行う事がなく、こうして見てくると12世紀の施工は矧目と木割れをどの様な理論で処置したかわからなくなってくる。現代の施工では両者を区別する事はないと思えるが、12世紀のこの様な考え方には非常に興味を覚える。 |
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中里壽克(なかざととしかつ) 漆芸家、鶴見大学教授(文化財学)
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