「法華堂の柱」
狹川普文(さがわふもん)/東大寺教学執事

 小さかった頃、二月堂や法華堂周辺が遊び場であったが、その場所が東大寺の寺域の中で、最も深く強く歴史を刻んだ空間である事なぞ知るすべもなく、ただ漫然と二月堂の屋根より大きい良弁杉を見上げていた。
 唯一強烈な印象は、進駐米軍がわがもの顔で、裏参道の石段をジープで駆け上がるさまを見て、子供心に腹立たしい思いをしたことである。
 これは大人になってから知ったことであるが、その進駐米軍が本坊の裏の春日野グラウンドで、アメリカ合衆国の独立記念日を祝って花火大会を開催し、その飛び火によって管長室から大広間まで延焼し本坊が全焼した。昭和22年7月4日のでき事である。当時は報道管制下で、この事件は報道されず進駐米軍からは補償も無かった。
 一旦火が出れば木造建築はひとたまりもない。平安と戦国時代の大仏殿がそうであったように。
 近年では平成10年5月、放火のため戒壇院千手堂が罹災したが、奇跡的に堂内の諸仏は救出され、すぐに仏像修理作業が実施され建物も解体修理されて平成14年には落慶法要が営まれた。


 奈良時代からの災害史をながめてみると、地震、大雨、暴風雨、落雷による炎上、いくさによる炎上、放火による出火、他の地域からの類焼、盗難などがあげられようか。
 いずれにしろ、自然による災害が多い。現在は、平成元年から十年の歳月を費やして実施した総合防災事業が完了し、365日24時間体制で防火防犯の警備を実施している。  東大寺におけるさまざまな災害史を見ればみる程、法華堂が奈良時代に創建されてから、全く一度も罹災していないのは奇跡であると言わざるを得ない。

 日本の国、国民のことを第一に考え、動植物が共に栄えることを願って『華厳経』の教えを取入れられた聖武天皇の指示を受け、東大寺初代別当の良弁僧正が、その『華厳経』の講説を開始し、華厳の衆徒を育成していった堂宇だからだろうか。


 さらには平安時代、「千日不断花」と称する千日行が営まれていたからであろうか。
 火にかかると焼け落ちてしまう木であっても、堂内の柱に連綿と注入され続けてきた確固たる精神性があったからこそ、法華堂は1250年もの間、美しい姿を保ち続けてきたのであろう。

 そう言えば、昭和12年に法華堂本尊不空羂索観音像の宝冠の銀の阿弥陀如来像が盗まれたが、時効間近の昭和18年、犯人が逮捕され盗品がほとんど回収されたのも不思議な話である。
 いまだ謎が多い法華堂の思想・歴史・建築・美術のそれぞれの分野における探求が、なお一層進むことを願わずにはいられない。法華堂の柱の年輪のひとつひとつに、それら各分野のDNAが記憶されているからである。
 今もなお、十数箇所ある塔頭寺院の住職となる資格のひとつを得るための試験(竪義)が、良弁僧正の忌日である12月16日の夜(該当者がいる場合)、厳粛に執行されている。
 コンクリートと樹脂の時代になってしまった現代の精神性を、如何にして柱に注入してゆくのか真剣に分析し実行してゆかねばならない。
 だからこそ、柱の表面に浮かびあがってくる色彩を見逃してはならないと思う。


狹川普文(さがわふもん)
東大寺教学執事

1951年 奈良県に生まれる
1975年 龍谷大学大学院修士課程仏教学科修了
現在
華厳宗教学部長、東大寺教学執事、東大寺福祉事業団理事長、東大寺塔頭北林院住職
東大寺ホームページ
http://www.todaiji.or.jp/

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