「森林の社会」 |
酒井秀夫(さかいひでお)/東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林教授 |
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植物と動物のちがいは、細胞のつくりや栄養の取り方などいろいろありますが、読んで字のごとく、動物は移動できますが、植物は動くことができません。種が飛んで、偶然落ちて芽生えたところで、あるいは一度植えられたら、そこで一生を終えなければなりません。木々は毎年花を咲かせ、たくさんの種をまきちらしますが、一生をまっとうできるのは、何億、何十億分の一です。動物に食べられたり、芽生えても光が足りずに死んでしまいます。
植物は太陽エネルギーを利用して水と空気中の二酸化炭素から炭水化物を合成して、酸素を吐き出します。広葉樹は光を求めて枝を伸ばし、葉をたくさんつけようとします。南向き斜面の広葉樹の幹は光の方向に斜面から反り上がったり、隣の木が覆いかぶさっていれば屈んでいたりします。根も水を求めて、常に争っています。ときとして人を癒して安らぎを与えてくれている木々も、常に凄絶な生存競争を繰り広げ、一所懸命に生きようとしています。陽が当たらない北斜面の広葉樹は成長は悪いですが、真っ直ぐに育っています。そんな、例えば秩父の広葉樹林に新緑、初夏の頃行きますと、むせかえるような森の精気にくらくらすることがあります。この精気はフィットン(植物が)チッド(殺す)という物質によるものです。葉っぱが虫に食べられないように毒を出して、それが薄まって殺菌作用となって私たちには爽快感をもたらしてくれます。
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一方、針葉樹は、太陽が横にあっても、天に向かって真っ直ぐ伸びます。太陽が真上にあれば、木のてっぺんに葉をたくさんつけた方が光合成の効率が良いですが、緯度が高い北欧や北米の亜寒帯針葉樹林は、太陽が横にありますので、てっぺんに葉や枝が少なく、密生することができます。北海道は北に逃げていく亜寒帯針葉樹林と、これを追いかけて北上していく冷温帯落葉広葉樹林が気候的にちょうど混ざり合っているところです。針葉樹と広葉樹が混交することで、広葉樹は若いうちに余分な下枝を落とされて暴れることがなく、幹は針葉樹に矯正されて南斜面でも真っ直ぐに育っています。
北海道のエゾマツやトドマツは全く日陰でも、人の背丈くらいの高さで50年から80年は生きます(写真1)。年輪幅は直径3cmで50年とすれば、1.5/50で0.3mm と顕微鏡の世界です。そして、上で陰を作っている常緑の針葉樹が枯れて倒れるのをじっと待っています。人間の我慢どころではありません。隣の木が倒れて光が射し込むチャンスに恵まれると、ぐんぐん成長していきます。台風などで老木が倒れると私たちは風害と呼びますが、若木や森林にとっては更新のチャンスです。一斉に植えられて若いときに光をいっぱい浴びて育った人工林のトドマツとちがって、同じトドマツでも天然林のは芯に筋金がはいっています。
エゾマツやトドマツの子供は栄養のあるところでは育つことができません。冬季に雪で地面に寝かされて、葉が雪腐れ病のばい菌に感染してしまうからです。ですから、栄養のない、すなわちばい菌のいない火山灰地や、清潔な倒木の上で芽生えます(写真2)。では、栄養のないところでどうやって成長できるのでしょうか。共生菌がかかわっていることが最近になってわかってきました。共生菌自体もきれいなところでしか生きられません。共生菌は葉っぱの光合成でできた栄養が根に下りてきたのをもらい、リンや窒素、カリウムなどの貴重な栄養を木に与えます。人間でいえば腸内細菌のようなものです。ちなみに人間1人あたり腸内細菌は1.5kgもあるとのことです。山火事や台風の後など、北海道では明るくなったところに真っ先に入ってくるカバも、エゾマツやトドマツと同じ共生菌を共有しています(写真3)。貧しい環境で寄り添う「さくらと一郎」のようですが、貧しさや世間に負けないところがちがう点かも知れません。共生菌で育てられた木は大きくなると、自らの根でも栄養を吸収していきます。カバの葉は栄養がありますので、落ち葉によって火山灰地もだんだん肥えていくようになります。
辛抱する、あるいは働いて額に汗する、現代ではいずれも死語になりつつありますが、人間も生きていく上で植物的生き方の「人」と動物的生き方の「ヒト」、メリハリが必要ではないでしょうか。
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写真1
人間の顔の高さしかないトドマツ。
これで30年くらい。
写真2
火山灰地の手前ダケカンバと後方エゾマツの根。白く固まって着生しているのが共生菌。
このエゾマツはこれで20年くらい。
写真3
倒木更新
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酒井秀夫(さかいひでお)
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林教授、北海道演習林長
1952年
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茨城県生まれ
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1975年
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東京大学農学部卒業
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宇都宮大学農学部助教授、東京大学農学部助教授、秩父演習林長などを経て現職。
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主な著書;
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「作業道」(全国林業改良普及協会)、「人と森の環境学」(共著、東京大学出版会)
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