木に想う
江里 康慧/仏師

 大古の昔より本物の衣・食・住に充たされた生活を送ることが出来たのは皇帝か、或いは為政者の近辺の極めて一部の人たちであったことでしょう。世界の美術・工芸品を見回しても、それらを命じ、造り出してきたのはこうした人たちであったことは確かです。ところが近代の民主主義はこの構造を大きく覆し、すべての人たちに王に等しい環境を造りだしました。平和で理想的な国民皆王の時代と云えます。しかしそこから生み出される文化のレベルは貼りもの、練り物などの代用品にとって代わっています。今の時代はもう古典の美術工芸品のような格調高い作品が生まれることは難しいのでしょうか。まことに皮肉なことであります。


 いつの頃からか私たちの身辺は合成素材からなる工業製品に囲まれた生活を送っています。機能を備え、廉価な面においては優位ですが、いつの間にかそれに慣らされて、本来内在するはずの品位や感性を薄れ、鈍らせてはいないでしょうか。人は和服を着たとき、自然と背筋が伸び、居ずまいを正しています。また、陶器や漆器の名器に盛られた料理を前にしたとき、器は両の手で扱い、卓の上を引きずったりはしません。こうした日常の所作から美は知らないうちに備わり、古来よりの礼法が自然と身につき、その人の人格にまで反映されてくるから不思議です。今どきの若いものは、と嘆く前に知らず知らずの間に見失い、置き忘れてきた古来よりの文化をもう一度見つめ直し、取り戻してゆくことに心を向けることも大切なように思います。

 天然の木質は人に優しく、温もりが感じられます。工業製品は完成したときが最も美しく、次第に劣化し、やがて見苦しく変化してゆきます。しかし本物は完成したときから所有者が愛着をもって大切に扱われてゆくことから深い味わいや渋みが加わり、時代を経るごとに良さが増してゆきます。


 しかしそんな木材も資源の枯渇がいわれる時代、すべての人が無垢の木材で造られた家に住み、什器、調度品に囲まれた生活を送ることは許されません。これらを改めて見てゆくとき、資源に対する保護育成とともに、用途への配慮が切望されます。日常のたとえ一角にでも本物を復権させてゆくことこそ、日本人が本来もっていた美意識を甦らせることに繋がると信じたいからです。
江里康慧(えりこうけい)
仏師

1943年、京都に生まれる
京都市立日吉ヶ丘高校美術課程彫刻科卒業
松久朋琳師、宗琳師に入門
アントワープ慈光寺阿弥陀如来像、三千院金色不動明王立像ほか多くの仏像制作
龍谷大学客員教授、同志社女子大学嘱託講師、平安佛所主宰
著書 「仏像に聞く」(ベスト選書)

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