木と茶の湯 | |||
鈴木皓詞/茶道家 |
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茶の湯における寸法の割り出しと、そこにおける微妙な違いを一瞬にして感じ取ってしまう感覚は、「木」がもたらしてくれたものである。この場合の寸法とは、建築の木割りは勿論のこと、茶器の大きさ、高低、器体の幅、身の厚さ、それらの結果としての手取りなどをいう。 茶の湯の流れにおいて、感覚に障るものが少しでもあると、そこで気持の流れが止まってしまう。茶は虚空に夢を描くことである。それだけに途中で覚めては困るのである。 なぜ「木」が茶の感覚を高めることが出来たかというと、木で組まれた茶室と木そのものの特質にある。一間は六尺、それを基本に正座の目線の高さから、空間の高低を決め、木の厚みを割り出す。その眼は当然、茶道具にも及ぶ。木取りが厚ければ野暮になり、薄ければ脆弱になってしまう。この調整は素材が「木」なればこそ、容易に出来たことであった。茶の先人たちは、人の気持を柔らかく受け止め、柔軟に応じる「木」に親しみながら、感覚を向上させていったのである。 今、私たちはもの言わぬ「木」に、思いを致さなければならない。人は木の感触を忘れはじめている。日本人の柔軟で毅く優しい精神は、「木」によって育まれたものであることを、茶の湯から発信していきたい。 |
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鈴木皓詞(すずきこうし) 茶道家
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