木と茶の湯
鈴木皓詞/茶道家


 茶の湯は陰陽五行の象徴である。茶は「木火土金水」の連鎖の上に成り立っている。その中で「木」からもたらされる恩恵は絶大である。茶の湯は「木」によって具象化されたと言っても過言ではない。
 「木」は茶の浄域を定め、茶人の精神を調え、茶の美意識を鍛練し、楽しさを囲う。「木」は茶碗を焼き、炭となって茶釜の湯を煮る。又、「木」は形を変えて茶器となる。茶器を荘厳する漆は、此れ又、樹脂のしたたりである。
 茶人は炭点前の過程で、炉中を拝して、盛りの過ぎた炭火の弱まりを眺めて無常を思い、新たにつがれた炭に勢いを増す火相を見て、生きる希望をつなぐのである。
 易掛五行による相剋には「金剋木」とある。木は金に剋される。刃物で切られるか、割られるか、刻まれるかである。九星では木気を三碧と四録に分ける。三碧は若木あるいは原木と考える。四録は育ち切った木、完成した木、つまり材木、と認識する。木は特殊な場合を除いて、原木のままでは用が足りない。多くは木材になって、初めて形をなしていけるのである。

 茶の湯における寸法の割り出しと、そこにおける微妙な違いを一瞬にして感じ取ってしまう感覚は、「木」がもたらしてくれたものである。この場合の寸法とは、建築の木割りは勿論のこと、茶器の大きさ、高低、器体の幅、身の厚さ、それらの結果としての手取りなどをいう。
 茶の湯の流れにおいて、感覚に障るものが少しでもあると、そこで気持の流れが止まってしまう。茶は虚空に夢を描くことである。それだけに途中で覚めては困るのである。
 なぜ「木」が茶の感覚を高めることが出来たかというと、木で組まれた茶室と木そのものの特質にある。一間は六尺、それを基本に正座の目線の高さから、空間の高低を決め、木の厚みを割り出す。その眼は当然、茶道具にも及ぶ。木取りが厚ければ野暮になり、薄ければ脆弱になってしまう。この調整は素材が「木」なればこそ、容易に出来たことであった。茶の先人たちは、人の気持を柔らかく受け止め、柔軟に応じる「木」に親しみながら、感覚を向上させていったのである。
 今、私たちはもの言わぬ「木」に、思いを致さなければならない。人は木の感触を忘れはじめている。日本人の柔軟で毅く優しい精神は、「木」によって育まれたものであることを、茶の湯から発信していきたい。

鈴木皓詞(すずきこうし)
茶道家

北海道生まれ
得度して僧籍に入るが還俗
日本大学藝術学部卒業、在学中より裏千家の茶の湯を学ぶ
著書:「近代茶人たちの茶会」(淡交社)、「茶道学大系4・吉兆料理と日本料理」 (淡交社)、
   「茶の湯からの 発信」(清流出版社)ほか

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