木の文化は供養の心
多川俊映/興福寺貫首

 猿沢池の南畔から見上げる五重塔は、あまりにも絵ハガキ的かもしれないが、私にとっては一番心が落ち着く風景だ。それで時々、池をめぐって帰山する。
 -その五重塔に、もう三十年も前、独りで真夜中に登ったことがある。正確にいえば、登らざるを得なかった。つまり、当直の夜更けに自動火災報知器が鳴って、「五重塔内上層」の表示が点灯したのだ。もちろん誤報だったが、それを確認してホッとした瞬間、静寂の中から聞こえてきた木組みの軋る音に、私は身震いした。何か巨大な生き物の胎内に取り込まれた不気味さだったが、その時ほど、木造の建物は生きているんだ、と感じたことはない。
 興福寺はしばしば大火に見舞われたため、鎌倉時代以前の堂塔は残っていないが、奈良には飛鳥や天平時代の宗教施設が現代に伝えられている。それは、木という素材が少しも硬直したものではなく、生きているからだと思う。もちろん、生きているものはきわめて脆弱だ。そのため、仏教弾圧がしばしば行われた中国では、焚書に対抗して、石板に一切経が刻まれた(房山雲居寺の石経)。石はたしかに強固で永遠性がしのばれる素材で、保守に手間もかからない。山深く埋蔵すれば万全だ。しかし、そのために還って永く忘却されるおそれもある。何のためかということになる。
それにくらべて、生きている木は脆弱で老朽するが、傷んだ部位を適切に手当てすれば、また、新たな生命が吹き込まれて受け継がれていく。そのため、日常の目通し・風通しから、大小さまざまな修理が必要である。わが先人たちは、そうした地道な手間をほとんど無言の内に重ねてきたが、実は、それによってこそ、善き心性も育まれてきたのではないかと思う。こんにち改めて、そのことに意を用いるべきではないか。

 つまり、手間をかける中に自ずから、ものや人を「いとおしむ」心根と生活態度が涌き立ってくるということだ。昨今、車中で平然と化粧する女性をよく見かけるが、先日久しぶりに、編み物をする女性を目撃した。男物のマフラーだったから、恋人への贈り物か何かだろう。もらう人のうれしさはともかく、編み物をする中に、意中の人への気持ちがさらに大きく育まれていることに思いをはせて、心は自ずから和んだ。
 それを「供養の心」というのだといえば、その女性は困るだろうが、人やものを地道に手間ヒマをかけていとおしむ−−。木の文化とは、いってみれば、そういうことなのではないか、と思っている。


多川俊映(たがわしゅんえい)
興福寺貫首

1947年、奈良県に生まれる
1969年、立命館大学文学部卒業
著書「日本仏教講座1奈良仏教」(共著、雄山閣)、「阿修羅を究める」(共著、小学館)、
「はじめての唯識」(春秋社)

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