木の文化は日本のこころ | |||
籔内佐斗司/彫刻家 |
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私の友人に、永いあいだ東京の下町とパリを半年ごとに行き来していたフランス人の老彫刻家がいました。数年前のある日、彼がひょっこりやって来て「パリに帰る。もう日本には戻ってこない」と言いました。「東京の下町をあんなに愛していたのに、なぜ?」と聞いたところ、彼の答えはこうでした。「自分のアパートのそばに大きな桜の木があった。毎年4月になると見事な花を咲かせ、春の訪れを知らせてくれていた。先日突然、地主がその木を切り倒して駐車場にしてしまった。近所のひとから落ち葉と毛虫の苦情が寄せられることに嫌気がさしたのだという。自分はそれを聞いて、もうあの町に住む気がしなくなった。」と。私には、彼を引き留める言葉が見つかりませんでした。 |
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戦後生まれの私ですが、戦前から歌い継がれていた小学唱歌をいくつか習った記憶があります。四季折々の風物や情感を歌った数々の名曲を今もときどき口ずさみます。 最近、小学校の音楽の教科書を見る機会がありました。次々出てくる見知らぬ曲の歌詞を見ていて、あることに気がつきました。季節と植物の名前を読み込んだ歌がとても少ないということです。逆に言うと、一年中いつでも歌える内容といえますが、とてもおおきな忘れ物をしているようで気になりました。 俳句にはかならず季語が必要なように、季節は言葉で感じる部分が大きいものです。和歌、短歌、俳句、歌謡、散文、日常の挨拶など、ひとが自然から感じた情感を言葉に置き換えて語り継ぐことによって、共通体験としての四季が形成されてきたのです。もちろん四季を何よりも敏感に感じさせてくれるのは木々や草花であり、それらを語り伝えるべき文芸作品に昇華する努力を私たちは怠るべきではないのです。 ある日本通のアメリカ人が茶懐石の席で質問をしました。「お箸が最初から濡れているのは何故ですか?」廻りにいた日本人は、唐突な質問にうろたえながら、隣のひとが答えました。「こうしておくと、ご飯粒がお箸にくっつかないんだよ」。青い目の彼は、いささかあきれた顔で、「清水で浄めてあるのではないのですか?」といいました。一座の日本人は、悔しいことながら一本取られた思いでした。 かつて水は、天から降った雨が夏のあいだ山の木に蓄えられ、それが冬になる前に木の根を通ってふたたび山の地面深くしみ込み長い時間をかけて川や地下水となり、田畑の作物を育て、うまい酒や料理に姿を変え、また沿岸の魚たちをも養っていたのです。 水が、水道局によって殺菌消毒され、塩化ビニールの水道管を通って蛇口から出て、排水は下水管を通って汚水処理場に集められ濾過され川に流すという近代的治水システムでは、山も樹木も介在していませんから、もはや水に精神的な霊力や浄化力などを感じることが出来なくなってしまったのでしょう。 戦後、私たちは国土の外から原料とエネルギーを買い付け、工業生産物に作り替え、それらをたくさん販売し所有することが幸福に繋がると信じてきました。また化学的に処理された合成物質を信頼し、自然のままのものを忌避してきました。その姿勢には、四季の移ろいを愛でることや、自然への畏敬も感謝も入り込む余地はありませんでした。結果として、山を荒廃させ、里の風景を台無しに、水や空気を汚しつづけることに邁進してしまったのです。 そして、日本のこころそのものが消滅しつつあることにやっと気がついた今、多くの人たちが「木」について考え行動を始めています。 私もそのひとりとして「木の文化と造形フォーラム」を立ち上げ、多くのひとびとと語り学び合い、一緒に活動を開始しようとしています。 |
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籔内佐斗司(やぶうちさとし) 彫刻家
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