木々への想い
神居 文彰/平等院住職
 東京ディズニーランド(TDL)に対する論評は、経営・経済、アメニティグッズ類、果ては教育、社会、宗教学に至るまで非常に多岐にわたり、実に多くの視点によるコメントが提示されている。そこにはそれだけ多くの人々を魅了する素晴らしい何かがある。
 実際周囲を巡るリゾートラインに乗ると、シンデレラ城が見えるか見えないかのうちに「きれい!」「夢みたいだ」と、感嘆の声が車内にわき起こり、とてつもなく楽しい、ワクワクする、楽しむぞ、といった顔つきに移行する。
TDSメディテレーニアンハーバー
TDSホテルミラコスタ遠望
 快適で、楽しくて、何も差し障るものがない。まさにこれは楽園の要素である。
 浄土体認の一つの展開として「借景」概念が構築されたように、TDLにおいてもパーク周辺は、ホテル群も含めて緻密な計算がなされている。すなわち、夢の世界であるTDLからは、現実の世界を思い起こさせる建物が一切見えることのないよう、厳密な高さ制限が守られているのである。
 楽園、いってみれば浄土ともいえるTDL。しかし、ここは殆ど全てが人工的な構築物で構成されている。
 たとえば、アドベンチャーランドのスイスファミリー・ツリーハウスは、樹木の上での生活と探検をアトラクション化したものであるが、絡み合う大木はご承知の通り模造品である。トムソーヤ島のいかだやスプラシュマウンテンのそれも当然木ではない。ディズニーシー(TDS)などは、中心のプロメテウスカンデラが岩石と溶岩のイメージであり、周辺はヴェネツィアの運河や19Cアメリカの北西部の街並、アラビア世界を再現したものとして、石と水がデザインの中心である。
 それでもが、極めて楽しい楽園なのである。
TDSアメリカンウォーターフロント
 浄土経典類を見直すと良耶舎訳『観無量壽経』には、高さ八千由旬という華麗な宝樹が浄土に繁茂するが、それは、珊瑚・琥珀・瑠璃、真珠の網という、およそ木そのものの美しさで形容されるものではなく、鉱物という異質な美しさによって荘厳される。しかし、仏の国土を観るためには、「明らかなる鏡にその面像を観るがごとく」として「宝樹のなかにして、みな悉く照見せん」(康僧鎧訳『無量壽経』巻上)と、樹木を媒体として世界を観じる感性が開示されている。
圓光ホスピス院/玉石の部屋
 はたして、木の文化とは何であろうか。
 先年、韓国益山市にある仏教ホスピス「圓光ホスピス院」の調査に赴いたところ、周囲が玉石で覆われた一種の瞑想室「玉石の部屋」が設置されていることに驚いた。
 部屋の中央にカーテン状のパーテーションが張られ、瞑想、個人気功、集団気功等状況に応じた使用を供し、説明によると、この玉石によって大陸にある気が病院全体に充満し、穏やかな日常を過ごすことができるとされる。人の「いのち」の終わらんとする時、「石」の力を借り、精神の安定と浄化をはかる。日本の土砂加持も基層部分で一致するかもしれない。
 さて、市内の聞き取り調査(H13年2月14日13:00〜)で、市民が、当施設と玉石の部屋およびその効能の関係を回答できるものが複数存在したことは留意すべきであろう。
 このことは益山市が石材を主要産業とすることのみならず、韓国の石の文化・信仰の顕現と併せて考える必要がある。
 韓国仏像の部材には金銅、塑像・石像が多く見られるが、高麗前期では鉄仏と石仏が多く残されている。
 この石を素材に使用するということは、石から素晴らしいものが現れると信じる霊石信仰及び大地に関わる信仰と容易に結びつき、鉄は半島における精製状況に起因する希少性と争乱に連関する。
一方、日本では、やはり霊木の信仰を念頭に考察すべきであろう。木から何かすばらしいものが生まれるという概念である。
 日本で鉄仏が積極的に制作されるのは鎌倉時代である。鉄は鎧甲冑、すなわち戦闘を連想させ、力強さを表現するものとして、時代の持つ意味が素材に落とし込まれているといえる。すなわち、信仰対象である仏像の素材の意味は、その時代や場所の意志を大きく反映したものであることを示しているのである。
 石は大地と結びつき、木は常に変化する。
 この変わりゆく木を愛でるというのは、文化の中で培われた現象なのであろうか。
 現在の日本で、どうしても木では困るといったものも多く存在する。例えば、お墓。墓石という言葉が表すように、石をもって完全なものとする考えが一般である。しかし、必ずお世話になるお棺は、現在火葬の発達した日本では木製が中心である。
 さて、鳳凰堂中堂内側の長押上の小壁には、52躯の雲中供養菩薩が懸け並べてある。
 この雲中供養菩薩はいずれも檜材でできている。
 かつて、檜は建築部材として発展したという。それを仏像に使うという意味。
 また、宮城県高蔵寺の裏山が茅の原生林であったことを覚えている。仏像における檜と茅の意味するところはご承知であろう。
 雲中供養菩薩は、割矧ぎの手法が多く用いられ、平彫り、丸彫りなど様々な技法が駆使されている。木製であるが故の技法である。
(左)雲中供養菩薩南2号のお顔 (右)南24号のお顔
雲中供養菩薩南20号
 ゆったりとした豊満で、端正な肉どり。一体一体は、さまざまの変化にとんだ姿態を示し、穏やかな顔だちと自然な衣文。反面、雲自体は、かなりエッジがはっきりしていてダイナミックな印象を与えている。平安の曲線というのは、なんともデリケートで、肌の下の骨まで染み通っていくような肉体の変化と、触れると跳ね返るような美しいラインと盛り上がり。見るたびごとに表情を変える木目。小品であるが故のバランスの微妙な収まりと美麗さもある。
 木というものは、なんと魅惑的なものを生み出すことができるのか。
 TDLのワールドバザール前に広がるチューリップ畑や、TDSのロストリバーデルタに生い茂る草木にほっと胸を撫で下ろす。また、杉板を圧着させ、コンクリートに木目を表現した「ほんざね」仕様の建物の壁面がとても豊かに見える。

 TDLは常にリニューアルとニューアトラクションで更新される。雲中供養菩薩は、現在時間を経た美しさを顕しているが、毀損の度合いは修理の実施を待つ。
 木と人為的な構築物。木を活用する人々。藤原家の荘園の多くは、檜の産地である。 北大植物園の一角に残される、札幌が開拓される前の自然樹林に広がる原始林床に圧倒されたこともあった。森という概念の意味…。
木目といえば、平等院に鳳凰堂創建時の原寸野地板が残っている。鑓鉋で製材された表面は、まるで雲海が流れ降りる瞬間のような複雑で美しい紋様を顕し、撫ぜると柔らかな起伏を指先に感じることが出来る。

 きっと、木の文化は、微細で、人の大きな営みの中から考え直す必要があるのではないだろうか。
鳳凰堂野地板・部分

神居文彰(かみいもんしょう)
平等院住職

1962年、愛知県に生まれる
1991年、大正大学大学院博士課程満期退学
1992年、平等院住職就任
現在、佛教大学、東京藝術大学等非常勤講師。(財)美術院監査理事。メンタルケア協会講師ほか
「いのちの看取り」(共著、北辰堂)、「臨終行儀-日本的ターミナルケアの原点-」(北辰堂)「平等院物語」(四季社)、「平等院鳳凰堂 よみがえる平安の色彩美」(東方出版)ほか

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