出合い
澄川喜一/彫刻家

 山口県岩国市に錦帯橋がある。5連の木造のアーチ橋である。今から330年前創建された、流れに落ちない為に匠達が工夫を凝らした知恵の結晶であり環境造形としても大変美しい。
 昭和20年岩国工業高校(旧制)の生徒だった私はこの橋に魅せられアーチストになろうと夢見つつ、よく写生していた。夏には裸足で渡り、川向こうで泳いだ。川面から橋の裏側を仰ぎ見ると、空に伸びる雄大な木の虹のようだった。欅、桧、松、樫など適材を適所に巧妙に使われていることを知った。
 東大寺を調べはじめた。1180年焼失後、俊乗房重源上人が再興した鎌倉時代の遺構が運慶、快慶作の金剛力士像のある現在の南大門であることが分った。
使われている桧が私の郷里に近い山口、島根県境の山から切り出され瀬戸内を経て海路奈良に運ばれ、豪壮な南大門と力士像になっていることを知り、驚いた。少年時代の大発見で、彫刻が一気に身近なものとなった。
 彫刻家になろうと志した昭和25年キジア台風が襲来し、落ちる筈の無い錦帯橋が目前で激流の中に崩れ落ちた、ショックで涙が止まらなかった、終生忘れ得ぬ出合いとなった。
 洪水が去り、木組みの橋の一部が川下に横たわった、自然の猛威には引き千切られても、バラバラに離れなかった木組みの大きな塊は、木と人間の深い心の絆を見せつけた。努迫力のある稀有なインスタレーションだった。
 今年、50年振りの平成の架替が行われ、去る3月20日盛大な渡り初め式があった。多くの子供達が新しい木の香の漂う橋を裸足で渡った、木造橋は人の重みで僅かに揺れ、生きている。この心を癒す体感は一生忘れないだろう。
 木と人の絆を架替により改めて取戻し、木の文化が見事に伝承されたのである。
 山に樹木が無ければ、清き水は流れて来ない。魚も住めず、人も住めない。
日本人は木と共生し、木による文化を育んだ貴重な歴史を持つ。それはこれからの文化立国日本の原点であろう。日本の唯一の宝ものであり、日本人の誇りでもある。

「そりのあるかたち」5
1980年 木、金属、1.5×3.8×0.6m
埼玉県立近代美術館
photo:村井修
澄川喜一(すみかわきいち)
彫刻家

1931年、島根県に生まれる
1956年、東京藝術大学卒業後、同学教授、美術学部長、学長などを歴任
2001年、同学学長任期満了
平櫛田中賞、本郷新賞、吉田五十八賞、紫綬褒章、紺綬褒章、恩賜賞、日本芸術院賞ほか受賞
現在、東京藝術大学名誉教授、新制作協会会員、日本美術家連盟理事、日本建築美術工藝協会理事ほか
作品集「そりのあるかたち」(平凡社)、「高津川と錦川」(形文社)

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