動植咸く栄えむとす
(どうしょくことごとくさかえむとす、大仏造立の詔より)
佐伯快勝/浄瑠璃寺住職

 この寺へは奈良から来る人が多い。乗合バスもタクシーも通る道中が、現在急激に変貌している。京阪奈文化学術研究都市の木津南地区開発工事が進んでいるからで、まさに都市化の波が---と実感させられる。以前はいわゆる里山が続いていた。山というより丘陵地帯といった間に小さな集落がいくつかあり道も曲がりくねって狭かった。
 その山や丘陵が機械の力でみるみる平地にされていく。そこからのがれてきたのだろう猪、きつね、狸、てん、鹿などが寺の周辺に急増した。この冬は寺域を囲む山林内のそこここが耕されていた。猪の親子が出没して近所の田畑も次々とやられ、家屋のすぐ傍まで耕してくれると騒がれていた。この寺は地下水の湧き出している苑池を中心に、東に桧皮葺の三重塔、西に横長の九体阿弥陀堂が向き合っている。その東西とも建物のすぐ後が樹林の山で、そこが耕されている。しかも連日である。
 たしかに近頃動物たちが人間をさけなくなった。てんが庫裡の中へ食べものを探しに来るし、阿弥陀堂の裏山に棲むムササビが近付いても木穴から背中を見せたままで眠っているし、池の鯉をとりに来るアオサギも以前に比べると逃げなくなった。人間を必要以上にこわがっていては生きていけないと覚ったのか。

苑池とカキツバタ
 寺域を囲む樹林は椎の木が中心になった。以前は赤松が目立ったが松枯れでほとんど姿を消した。その間を桧皮をめくれる桧は百本ほどあり、桧皮葺用の桧皮のとれるのを待っている。三重塔も九体阿弥陀堂も平安時代から仏像と共に生き続けてきた。約三十年リズムで屋根の葺替えと保存修理を繰返してきた。 木材も桧皮もかつては豊富であった。日本の古寺はどこも豊かな自然がその背後に控えていたことを示している。

三重塔と柿
 本来自然の一員である人間は、自然の中で自然に生活していた。国中が都市化に向かって暴走しだしてから全てがおかしくなってきた。”自然から遠ざかるほど、人間は病気に近づく”とは医聖ヒポクラテスの言葉だという。紀元前からこんなことは分っていた。聖武天皇が東大寺の廬舎那大仏を造立することを決め”詔”したその中に”乾坤相ひ泰かにし万代の福業を脩めて動植咸く栄えむとす”という文言がある。人間だけが栄えることは危険だというのは釈尊のさとりの核だったともいう。
 この寺の境内(庭園)では昔からこの地で生きてきた植物を主人公に、外来種や人間の勝手な好みで改変した園芸種はできるだけ遠慮してもらうことを続けている。京阪奈学研都市が西の方から近づいて来る。東の方には複数の産廃などゴミ処理場ができて水の汚染が危惧されている。 “自然を畏れ 自然を敬い 自然に従う”をモットーに、”動植咸く栄えむ”ことを願う山寺であり続けたいと思う。
佐伯快勝(さえきかいしょう)
浄瑠璃寺住職

小田原山浄瑠璃寺住職
1932年、奈良県に生まれる
1955年、奈良教育大学卒業(国文学)
公立中学校教師を六年間つとめたあと浄瑠璃寺に入り、1968年、父・快龍師の跡をうけて同寺住職となり、現在に至る。「小田原説法」と題した説法誌も出している。1980年まで、京都府教育委員をつとめる。
著書;「入門・仏教の常識」「入門仏事・法要の常識」「巡礼大和路の仏像」「古寺巡りの仏教常識」(以上、朱鷺書房)、「菩薩道」「仏像を読む」(大和書房)、「ブラフト神父との対話集・釈迦とキリストとの対話」(流動出版)
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