『桧図屏風』によせて
山崎隆之(やまざきたかゆき)/仏像研究家、愛知県立芸術大学教授

 前回の矢野健一郎氏のページに伝狩野永徳の『桧図屏風』の写真が添えられていました。八曲の横長の画面右手から中央に大きく屈曲しながら上昇し、天を目指して突き抜けていくヒノキの太い樹幹。画面全体を支配するように左右に力強く伸びる枝。花もないのに、豪華絢爛たる画面です。しかし、このヒノキは彫刻にも建築にも使えない、アテです。アテとは、悪条件に耐えて傾き、反り、ねじれながら成長した木がもつ尋常でない性質のこと。そうした木は内部にそれぞれ苦闘の跡を抱えていて、硬く、むらがあり、使用に耐えません。
この、誰も見向きもしないアテに深い愛情の目を注いだのが、幸田文さんです。随筆集『木』には、さまざまな木への思い、木を通しての人との出会いが綴られていますが、その中の一つ、「ひのき」は、アテへの鎮魂歌でもあります。筆者はアテを愛惜し、そのダメな理由を自分の目で確かめたくて製材に立ち会います。アテは回転する歯に抵抗し、歯向かい、そしてついに裂けてころがりました。そのアテを抱いて、筆者はどうしようもない無力感に沈みます。この話を筆者自身が語るのをラジオで聞いたことがあります。ちょうど筆者が法輪寺の三重塔の再建に力を尽くしている時でした。筆者の高音で哀切に満ちた声がアテの悲鳴に聞こえて、今も耳を離れません。

 『桧図屏風』のヒノキは、アテのくせに、実に堂々と存在感を主張しています。その雄姿に、天下人、信長、秀吉といった英雄像のイメージが重ねられているといわれますが、そのふてぶてしいほどの姿に、少年期、手のつけられない暴れん坊であった信長の性格がよく現れていると思いませんか。
 それはともかく、この絵はヒノキのアテを生かした作品として傑出しています。画面の中で、使い物にならないヒノキが、強烈なエネルギーを発して輝いています。絵でしかアテを生かせないのでしょうか。そうでもないようです。生涯で十二万体もの仏像を刻み続けた円空は、時にねじれた割り木にも仏の形を見つけ出しています。すべてのものに仏性が宿るという仏教精神からみれば、捨てる木などないのでしょう。
 木材の危機といわれる今、良材だけを使うというわけにはいかなくなってきています。アテも見直さなければならないかもしれません。永徳や円空のように、アテを正面から見据え、幸田文さんの願いにも応えるような取り組みも必要ではないでしょうか。
 私には全く当てはないのですが、誰か挑んでみてください。

青面金剛神像
個人蔵
(下呂市下呂地区)
山崎隆之(やまざきたかゆき)
仏像研究家、愛知県立芸術大学教授(芸術学)


1942年、東京都に生まれる
1964年、東京藝術大学美術学部芸術学科卒業
1967年、東京藝術大学大学院美術研究科保存修復技術修了
東京藝術大学付属古美術研究施設を経て、愛知県立芸術大学教授
著書;「秘技探訪-日本美術の伝統技法」(共著、講談社)、「文化財のための保存学入門」(共著、角川書店)
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